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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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281-3 スノードームに映るもの(後編)

 店主は訥々と話し始める。

「あのスノードームは元々、ある男性が愛する女性に贈ったものだと言われています。彼は戦争のために徴兵され、死を覚悟していた。そこで、密かに想いを寄せていた女性に、二人の思い出をミニチュアで再現したスノードームを贈ったんです。素直になれず、好意を隠し続けていた彼の、精一杯の告白だったのでしょう」

 初めて知るその甘く切ない背景に、ゆかりの胸がじんと熱くなった。しかし、一つの疑問が頭をよぎる。あのスノードームは、触れる前はいつも空っぽで、何も入っていなかったような?

「男は戦地で亡くなり、その女性は誰とも添い遂げることなく、静かに眠りにつきました。彼女も、彼のことを想っていたのでしょうね。そして不思議なことに、女性が亡くなった後、彼女の遺品から見つかったスノードームは、中が空っぽになっていたそうです。まるで、彼女が思い出ごと持っていったように」

 ゆかりの疑問に応えるように、店主は話を続けた。


「そんな素敵なお話があったんですね……」

 とても不思議で、悲しいお伽噺のようでもある。けれど、ゆかりにはどうしてもただの作り話だと思うことができない。その話には、確かに真実が秘められている気がした。

「それ以来、あのスノードームは何人もの人手に渡り。やがて相手の隠された心や一面をその中に映し出す、と言われるようになったんですよ」

 そう言いながら、ぽんとゆかりの頭の上に温かな掌が乗せられた。その感触は、温かく、どこまでも優しい労わりに満ちている。


「でも、何かを媒介にして知るのではなく。目の前の相手と目を合わせて、言葉を交わして、相手の本質を知り、本心を伝えることの方が大切だと、私は思います。あれを贈った男性も、そうすべきだった。そうすれば、彼は齧りついてでも死地から舞い戻ったのではないかと――そんな気がするんです」

 そう告げる彼の眼は遠くを見つめ、何かを悔やみ、懐かしむような、そんな哀しい色をしている。その眼をゆかりに向けて、綺麗に微笑んだ。

「どうか、貴女は後悔をしないように。相手を見て、知って、引き留めてあげてください」

 いつも掴み所のない店主の言葉は、最後までゆかりにはよく分からないままだ。それでも、その言葉はゆかりの胸に深く刻まれ、コクリと頷くのだった。

 ゆかりが頷くと店主が嬉しそうに笑みを深め、その笑顔にゆかりもつられて微笑む。


 すると、頭の上にのせられていた掌が、不意に伸びてきた腕によって、瞬時に払われた。

「……すみません、お待たせしてしまって。帰りましょう、ゆかりさん」

 そう言いながら現れた和樹が、ゆかりの肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。その顔にはたしかに笑顔が浮かんでいるのに、妙に凄みがある。ゆかりはそんな和樹をきょとんとして見上げ、店主はそのこめかみに浮き出た青筋を見逃さなかった。

「これは、これは。大変失礼いたしました。それでは、お気をつけてお帰りください。どうか、帰る場所を見失いませんように」


 最後にそう言って、店主は胸に手を当て小さくお辞儀をした。その含みのある言葉に和樹は怪訝そうな視線を店主に向けるが、店主の飄々とした態度は変わらない。

 やがてゆかりの肩に置いた手に力を込めて、促すようにしながら店主と店に背を向けた。和樹に背中を押されてたたらを踏むゆかりが、「あ、あの! ありがとうございました」と慌てたように声をかけると、彼は楽し気にひらひらと手を振る。

 その姿も、和樹の腕がさらに強まったことによって、長くは見えなかった。


 この後、車内で和樹から彼と何を話していたのかを詰問され、スノードームのことを隠したいゆかりは半泣きでその追及をかわすことになるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 それから数日が経ち。

 ゆかりは和樹と一緒に喫茶いしかわのカウンターに並び、食器を片付けていた。

 あのお店は、何と次の日にはまるで初めから何もなかったかのように、跡形もなく消えていた。本当に不思議な店と、店主だった。あちこちを流れて商売をしていると言っていたから、またいつか、訪れることができるだろうか。

 ゆかりがそんなことを考えていると、隣で付け合わせのサラダを作る和樹から、ぽつりと声が落ちる。


「……また、あの店のことを考えているんですか?」

 視線を合わせないまま、そう問いかける和樹の声は、やっぱりどこか不機嫌そうだ。ふと、あの小さなそっくりさんの姿を思い出す。


(……もしかして、本当に拗ねているとか? だとすれば何に?)


『目の前にあるものを蔑ろにしては本末転倒』

 あの日言われた言葉が思い起こされる。そういえば最近は、和樹さんと新メニューの開発についてお話ししてないし、一緒に買い出しにも行っていない。もしかしたらそのことを、ちょっとくらい、寂しく思ってくれていたのかもしれない。もしそうなら、これは初めて見る彼の一面だ。


「ねえ、和樹さん」

「僕の質問は……まぁいいです。何ですか?」

「今日、二人ともラストまでじゃないですか。もし和樹さんに時間があれば、久しぶりに新メニュー開発という名の試食会やりません? そろそろ次の季節限定メニューを考えくて」

 そう提案すると、和樹は少しだけ驚いたような顔をして、頬を緩めてふわりと笑った。

「……!」

「――ええ、良いですよ。今日の夜は、特に予定もありませんから」

 見るからに機嫌が良くなった和樹は、手早くミニサラダのストックを量産しながら「さつまいものデザートもいいですがみかんを使ったデザートもいいですね」などと楽しげに語っている。

 ゆかりはそれに何とか相槌を返しながら、ドキドキと高鳴る胸をこっそりと抑えつけた。

 なるほど、ガラス越しじゃない本物の笑顔の破壊力って、すごい。

 そんな今更なことを再認識しながら。

 きっと今日の夜は、いつも以上に楽しい時間になるだろうと予感していた。


 そして訪れた、その日の閉店後。

 クローズの作業を終え、ゆかりが和樹とバックヤードに引いて一息吐いた時に、不意に和樹がロッカーから何かを取り出した。

「そうだ、ゆかりさん。忘れないうちに、これを」

「え? ……!? これって、スノードーム……ですか?」

 差し出されたのは、透明の液体の中でキラキラとしたホロフレークが舞う、ガラス瓶だった。中には可愛らしい小さなオーナメントが入っている。たまに店の前にひょっこり顔を出すゆかりお気に入りの靴下にゃんこ、桜の花、それにコーヒーカップとケーキ。これは、ひょっとして。


「ま、まさか和樹さん、これ、手作り!?」

「ええ、まぁ。グリセリンや、その他の材料があれば割と簡単に作れるんですよ」

「うわぁ、すごく可愛い……! 売り物みたいです。……でも、どうして急に?」

 和樹は何ともなしに言うが、その出来栄えは見事なものだった。お店に商品として置いてあったとしても分からないくらいに。ふわりと舞うホロフレークに胸を弾ませながらも、単純な疑問が湧いてくる。特にプレゼントをもらうような理由なんてないはずなのに、急にどうして。


「ゆかりさん、あの店でスノードームを気にしていたでしょう。中にオーナメントの入ってない、変わったものでしたが」

「え……」

 思わぬ指摘に、ゆかりが固まった。和樹はそんな正直な反応を返すゆかりを見て、小さく笑う。

「なぜか、僕に紹介はしてもらえませんでしたけど。だからこそ、誰かに譲りたくない、特別なものなのかなと思って。違いましたか?」

「……ち、違いません……けど……。よく分かりましたね」

 すでに確信を得ているような彼には、きっともう誤魔化しは通用しないだろう。ゆかりは観念して白状する。まさか気付かれていたなんて、思いもよらなかった。何でも見透かされてしまうのは、彼が優秀だからだろうか。


「本当は後で、僕が買取りの交渉に行くつもりだったんです。そんなに気に入っていたのになかなか買わないということは、高額か、非売品なんだろうと思って。まぁその前に、あの店自体なくなってしまいましたが」

「さすが、そのとおりです……あのスノードームは非売品だったの。でも、私が欲しがっていたとしても、和樹さんが買う理由なんてないのに」

「ありますよ。少なくとも、僕にはね。日頃ご迷惑をお掛けしているお詫び、というのもありますが……あとはどうしようもない理由なので、そこは秘密です」

「ええっ!?」

「ゆかりさんだって、あの店のことも、スノードームのことも秘密にしていたでしょう。おあいこですよ」

 和樹は人差し指を立てて、おどけたように軽くウインクをしてみせた。

 ゆかりはうーんと頭を悩ませて唸る。こちらの方がお世話になっていることが多いし、贈り物をされるほどの恩を売った覚えもない……と思う。

 さっぱり分からず、むむむと首を捻るゆかりは、和樹が声を落として呟いた言葉に気付かなかった。


「……目的があのスノードームなら、それがゆかりさんの手に渡ってしまえば、もうあの店に行かなくなるかと思ったからですよ。例え類似品でも、あの店と店主から、気を逸らすくらいの効果はあるだでしょう?」

 その答えを、今はまだ彼女に告げる気はないけれど。

 やがて気難し気に眉根を寄せていたゆかりだったが、考えることを諦めたらしい。

「分からないけど、でもいいです。ありがとうございます、和樹さん。すっごく嬉しい! にゃんことこの店と、それにお花見。まさに世界に一つだけのスノードームですね!」

 そう言って、輝くような笑顔を和樹に――彼だけに、向けた。

 どうやらちゃんと効果はあったなと、和樹は満足そうに笑う。


 あの店主は、最後に帰る場所がどうとか言っていたけれど。あれは単に家に帰宅するまでの道のりを意味しているのではない気がした。

 スノードームをかざしながら、朗らかに笑うゆかりを見る。本当は、何も言わずに去るつもりでいたけれど。彼女の意識が、自分以外の何かに向いているだけで、面白くない、どころでは済まない感情に支配されるのだと思い知った。

 こんなささやかな贈り物で彼女が自分を見るのなら、これからいくらでも。核心には触れられないまでも、伝えられるものは伝えていこう。いずれまたこの場所へ、本来の自分として戻って来るために。


 この笑顔があれば、自分は帰り路を見失うことはない。例え何があろうとこの光の元へ戻り、真実(おもい)を告げ、自分だけのものにすると決めたのだから。

 杞憂だよ、と。素性も知れない男へ向けて、和樹は胸の中で言い退けてやった。


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃。

「いやぁ、今回は実に楽しいお客様に会えた。さてと、次はどこにいこうか?」

 時代と時空を自由気ままに渡り歩くことのできる店主は、次の行き先に思いを馳せて、楽しげに笑みを浮かべるのだった。


 少しだけファンタジーなお話でした。

 楽しんでいただけていたら嬉しいです。


 ジェラシーむき出しな和樹さん、きっとここからプレゼント攻撃が激しくなっていったんでしょうね。

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