281-1 スノードームに映るもの(前編)
和樹さんが長期海外出張に行く前の、ちょっとだけ不思議なお話。
路地裏でその小さな骨董品店を見つけたのは、ほんの偶然だった。
久しぶりの休日。天気が良いこともあって、散策に繰り出したゆかりは、特に当てもなく街中を歩き、いくつかの店を冷やかしながら見て回る。
陽も暮れかけた頃、いつもは行かない裏通りに足を向けたのは、ただの気まぐれだった。ちょっとした探求心に誘われるまま、路地の奥へと進んでいく。
どれほど足を進めただろうか。ふと気付くと、目の前に趣のある小さなお店が佇んでいた。
暁に染まるレンガ造りの建物に、木製のドア。その端には金色の欧風のベルが備え付けられている。窓から見える店内の様子から、どうやら雑貨屋のようだ。
ドアに掛けられた「OPEN」のサインプレートに導かれるまま、ゆかりは店のドアを開いた。
そっと中を覗くと、店内は少し薄暗くて、たくさんのアンティークの品が綺麗に並んでいる。目を惹かれるまま、自然と足を踏み入れた。
静かに時を刻む振り子時計。繊細なガラス細工のワイングラス。可愛らしい猫の置物。西洋のお城に並んでいそうなキャンドルスタンド。陽の光に輝くステンドグラスのランプ。
そのどれもが気品高く、繊細な美しさに溢れていて、ゆかりの心を弾ませた。
他にお客はいないらしく、ゆっくりとひとりで店の中を見て回る。その時、ゆかりの目を一際捉えたのが、一つのガラス球の置物だった。
(水晶玉……ううん、これは、スノードーム?)
ゆかりが水晶玉と見間違うのも無理はない。通常、スノードームといえばガラスの中にミニチュアの置物や飾りが入っているものだが、このスノードームには何も入っていない。液体が満ちた空っぽのガラスの球体が、黒い台座に乗っているだけだ。唯一、ホロフレークだけがガラスの中で輝きながらふわりふわりと舞い上がりそうな軽さを見せている。
(変わってるなぁ……)
そう思ったゆかりが、何気なくスノードームに触れると、目の前で信じ難いことが起きた。スノードームが淡く光を放ったかと思うと、球体の中に、ある人物の姿が現れたのだ。
「えっ? あ、和樹さん?」
それは、喫茶いしかわで一緒に働く同僚にそっくりの人形だった。……果たして『人形』と言っていいのだろうか。なぜなら、ガラス球の中のそれは、まるで生きているようにゆるりと動くと、はっきりとゆかりと視線を合わせてきたのだから。
「えっ、ええ?」
驚愕のあまり思わず声を上げると、店の奥から誰かが声を掛けてきた。
「やぁ、お客さんですか。いらっしゃい。おや、それに目を付けるとはお目が高い」
のんびりとした声と共に現れたのは、丸メガネをかけた和装の男性だった。ゆかりよりも年上で、無精髭が生えているものの、端正な顔立ちの穏やかそうな青年だ。この店の店主だろうか。
「あああの、これって……」
「ああ、それはね、ちょっと特殊なスノードームなんですよ。その昔、名のある収集家が外国から手に入れた品でしてね。触れた人間と想い合う相手の姿や意識の欠片が、具現化されるんです」
「想い合う相手の姿や意識の欠片……?」
混乱するゆかりは、さらりと説明された突拍子もない内容をすぐに飲み込めない。店主はそんなゆかりを見て、くすっと笑みを零す。
「この中に入っている人物に、心当たりはありますか?」
「たぶん。知り合いに似ているような気がします。……でも、ちょっと雰囲気が違うから、何だか別人みたいだけど」
「ふふ、そうですか。ここにいる彼は、その人とは別人かもしれないし、同じ人物かもしれない。その人の持つ偽りの一面かもしれないし、本質なのかもしれません」
「……?」
「このスノードームの中に映し出されるのは、あくまでその人の一面でしかありませんから。まぁその中でも、特に隠された部分が現れやすい、とは言われていますが」
店主の語り口は、まるで謎かけのようだった。ゆかりはスノードームに視線を移す。
中にいる和樹そっくりの人物は、気だるげに座り込んでいたが、ゆかりが見つめるとじっと見返してくる。その瞳の強さはやはり彼に良く似ていて、どきりとした。
たぶん、きっと、良くできた人形なのだろうけれど、まるで本物と変わりない色をしている。
「随分と、その方に想われているようですね」
「え?」
唐突な発言に、ゆかりはきょとりとする。店主はどこか楽し気に目を細めた。
「これは、誰が触れてもこのような現象が起こるわけではないんですよ。よほど強い想いを向けられていなければ、こんなにはっきりと象っては現れない。貴女の大切な人なのでしょう?」
「なっ? ちちち、違います! 彼はただの同僚で、いつも凄くお世話になっている人で……」
「おや。てっきり恋人なのかと思いましたが、違いましたか」
「だから違いますってば! とんでもない!」
ゆかりはあたふたと両手を振り、顔を赤くする。こっそり秘めた恋心を、初対面の人に見透かされたようで恥ずかしい。
「ふむ……いつの世も、男女の結びつきというものは異なものですね。これほど分かりやすいものもないでしょうに」
「?」
疑問符を浮かべるゆかりに、店主は困ったように笑う。それはどこか、面白そうでもあった。
「いいえ。――さて、すみませんがそろそろ閉店の時間です。そちらは残念ながら非売品なんですが、貴女さえよければいつでも見に来てください。暫くは、こちらで店を開く予定なので」
そう言われて窓の外をみれば、すっかり暗くなっていた。いつの間に、こんなに時間が経っていたのだろう。慌てて「長々とすみません」と謝りながら、スノードームの中の彼と瞳を合わせたゆかりは。
「……本当に、また来てもいいですか」
そう口にしていた。




