280-4 if~勘違いして、期待して~(中編3/3)
「あ、ゆかりさん、何で泣いてるんですか!?」
さっきまで瞬きひとつしないで固まっていた彼女の目からは、大粒の涙が零れている。
和樹は慌てて頬につたう涙を拭おうと一歩踏み出し右手を伸ばした……が、その手はゆかりの頬に触れる直前で止まってしまう。
『手を握るのもやめてください』
拒絶されたこの手で触れていいのだろうか。また拒絶されてしまうんじゃないか……触れることに躊躇して和樹は伸ばした手を下ろそうとしたその時。
「えっ」
ぎゅっと力強く、ゆかりの両手が和樹の右手を握りしめた。
驚いた声を出した和樹がぱちぱちと目を瞬かせると、小さな両手にさらに力が込められる。
「……すき」
小さな弱々しい声。けれども、はっきりと耳に届いた言葉に和樹は目を大きく見開いた。
「すき、好き。和樹さんのことが好きなの。でも、ユウさんが和樹さんの恋人だと思って、今のままの関係でいたらユウさんに悪いし、それに私自身の気持ちに諦めがつけられなくなっちゃうから和樹さんを避けるようなことを言ったの。この手を振り払っちゃっ……ぎゃっ」
もう躊躇する必要はない。和樹はゆかりの両手に握られた右手を引き抜き、その手で彼女の腕を掴みぐいっと引き寄せる。
そして、こんな時でも彼女らしい悲鳴に口元緩ませながら両腕を彼女の体に回した。
華奢だなとは思っていたけれど、思っていた以上に腕の中に閉じ込めた体は小さくて華奢で。簡単に壊れてしまうんじゃないかと思った。
抱きしめるだけで壊れることがないとわかっている。それでも抑えた力で抱きしめると、彼女の腕が背中に回ってきて抱きしめ返され、愛しい温もりを感じながら和樹は目を細めた。
「なんだ。僕たち同じ気持ちだったんですね」
「……ほんとに? 本当に同じなの?」
「まだ信じてくれないんですか?」
「だって……」
胸元からゴニョゴニョと聞こえてくる。
一体何を言っているのかわからないが、未だに同じ気持ちだと信じてくれていないのは確かだ。
「ねえゆかりさん。僕の心臓の鼓動に耳を澄ませてみて」
「……あっ」
「わかります? すごく速いでしょう? ゆかりさんが好きだからこんなにも鼓動が速くなるんですよ。どうです? これでちゃんと信じてもらえましたか? 僕がゆかりさんを好きで、僕らが同じ気持ちだってこと」
そう訊くとゆかりはコクりと小さく頷き「すごい、夢じゃないんだ」と呟く。
そう思うのは彼女だけじゃない。和樹だって同じだ。彼女に好意を抱き、彼女から好意を抱かれる。こんなの奇跡でしかなくて、本当に夢みたいな話だ。
和樹は抱きしめている華奢な体を少し離す。
「あの日、長期海外出張を終えてここに来た時に告白するつもりだったんです。でも、いざゆかりさんを目の前にすると緊張して言えなくて」
「え? 和樹さんでも緊張なんてするの? 何でも器用にこなしちゃう人なのに」
「……僕をなんだと思ってるんですか。たしかに自分でも器用な方だと思ってますが、あなたの前だとそうもいかないし、めちゃくちゃ緊張だってする。好きな子を前にしたら僕だってひとりの男でしかないんです」
右手で柔らかな頬に触れながら言うと、ますます頬に赤みを増しながら彼女は嬉しそうに笑う。
「そっか、和樹さんて実は不器用さんだったんだ。 ふふっ。知らなかったことを知れて嬉しいです」
潤んだ瞳。赤く染まった頬に残る、自分を想って泣いてくれた涙の跡。
彼女のすべてが愛おしくて。そんな彼女が嬉しいと思ってくれるのなら、不器用な自分でもいいかと思えてくる。
「……もっと僕のことを知ってほしいし、ゆかりさんのことをもっと知りたい」
好きです、僕と付き合ってください。
一瞬たりとも視線を反らすことなく伝えると、彼女の目から再び涙が溢れ落ちる。
「私も和樹さんが好きです。こんな私ですがよろしくお願いします」
垂れた目尻を更に下げ、満面の笑みを浮かべた。
「……僕の仕事柄、会える日よりも会えない日のが方が多く寂しい思いをさせてしまうのは確実です。それでもできる限り幸せにしてみせますから僕と一緒にいてくれますか?」
情けないことに声が、頬に触れる右手が震える。
寂しい思いをするのが確実なのに、そんな男と一緒にいたいと思えるだろうか。いくら同じ気持ちでも幸せになれる確率が低ければ、新たな関係へと進むことを選ばないかもしれない。
彼女の答えが聞きたい。でも聞くのが怖い。そう思っている和樹の右手にそっとゆかりの左手が重なった。
「そんなの当たり前です。 寂しい思いをしたっていいの。幸せにしようと思わなくていいの。 私は和樹さんが好きで、和樹さんも私のことが好き。ただそれだけでとっても幸せだもん」
垂れた目尻を更に下げて笑う姿は嘘偽りなく本当に幸せそうで、目頭が熱くなり何だか泣きそうになってしまう。
「……好きだよ。大好きだよ」
止めどなく溢れる想いを口にしながら、ゆっくりと顔を近づける。
「私も和樹さんが大好き」
陽だまりのような笑顔で同じ気持ちを紡いだゆかりの唇に、和樹は自身の唇を重ねた。
異なる体温と柔かな感触が重なった瞬間、右手に重なる彼女の手にぎゅっと力が入り緊張が伝わってくる。
――ほんと可愛いな。
心の奥底から込み上げる愛しさに、唇の端を吊り上げる和樹の頬には一筋の涙が伝った。




