278 if~何がいけないって言うんだ! からの告白劇~
ご無沙汰しておりました。
今回は、いつもの2話分をまとめて1本にしてます。
和樹さんの理性が1割くらい飛んでたら、告白の形がこうなったかもしれない、というお話。
僕は和樹。本職はいつでもどこでも(海外含む)出張待ったなしの営業マンだが、たまの休みに気分転換の一環として喫茶いしかわで働き……ではなく“お手伝い”をはじめた。
この店はなんとも居心地が良いのだ。僕は喫茶いしかわに通い続けた。一つ所に留まることの少ない僕にしてはとても長くここに留まっている。それゆえ人当たりの良い和樹の仮面で随分と馴染んでしまった。
ここ喫茶いしかわは神経を張りつめなければならない相手が来ることもなく、僕のテリトリーとして段々と安心できる場所になっていた。いつだったか営業中(しかも客として来店した時ではなく手伝い中に)にうたた寝してしまったことは思い出しても恥ずかしい失態だが、今では休憩時間を仮眠に充てることもあるほどだ。
ここ喫茶いしかわはレトロな喫茶店らしく芳醇な珈琲の香りに満ちた心安らぐ癒やしの空間だ。シフトに入れる日は多くはないが、安全な空間で気を張らずにできる仕事で、休む間もなく働く僕にとって良い意味で休憩時間のような手放し難い時間だ。本業で忙しくしていると喫茶いしかわに行きたいと思うことがままある。そんな時は必ずと言っていいほど彼女──ゆかりさんの顔が浮かぶ。マスターは僕ら二人に店を任せ不在なことも多く、僕の中で喫茶いしかわ=ゆかりさんの図式ができあがってしまったのだ。彼女自身も素直で明るく優しくたまに天然なところはここを訪れる人々の心を和ませる癒やしの存在だ。
そんな癒やしの空間である喫茶いしかわに僕は勤務中だ。ここへ来るのは十日ぶりだろうか。本業が忙しく、特にここ三日はまともに睡眠を取れていない。だが喫茶いしかわにも顔を出さなければ、せっかく得た信頼が目減りしてしまう気がする。それに喫茶いしかわならばリフレッシュにもなる。だから眠気を押して出勤したのだ。
だが今日は妙に苛ついてしまう。寝不足によるストレスだろうか。僕が人前でも感情が昂ぶるなどほとんどない。いつでも冷静でいる訓練を積んでいるし、冷静でいなければ務まらない。だから寝不足くらいで苛つくなど、今日の僕はどこかおかしい。なにか他に原因があるのではないか、そう考えながら洗い物をしているとドアベルが軽やかな音を響かせ、スーツ姿の中年男性と若い男性の二人組が入店してきた。
「あら三日ぶりですね。いらっしゃいませ!」
「よっ! ゆかりちゃん今日もかわいいねぇ」
「ふふ、ありがとうございます。お好きな席にどうぞ」
「なんでえ、今日は『大盛りサービス』って言ってくれないのかい」
「毎回してたら『サービス』にならないでしょう。マスターにも怒られちゃう」
「そりゃそうだ!」
あははと笑いながら常連客らはテーブル席についた。
もうランチのピークは過ぎた時間だが、今日は特におじさん世代に分類される男性客の来店が多かったように思う。その多くが毎度の如くゆかりさんをかわいいだの癒やされるだのと褒めそやす。彼女はそれを素直に受け取り、時にはお礼のようにサービスを施す。元気なお客には明るい話題を振り、疲労の濃いお客にはお疲れさまですと穏やかに微笑む。彼女は計算ではなくごく自然に人を気遣う。それでいて聞き役に徹するでなく、自分の話題も適度に話す。人を和ませ、惹きつけ、愛される。まさに看板娘の鑑だ。
彼女の為人は僕だって十分にわかっている。常連客が褒める気持ちだって理解できる。
それなのにこんな場面を見る度に胸の中に靄が広がっていく。褒められた彼女は嬉しそうだしお客も上機嫌になる。喫茶いしかわにとって悪いことはひとつもない。
「ゆかりちゃん、今日着てるその服もしかしておニューかい?」
「あら、わかります?」
「当たりか! なんだかご機嫌そうだったからよ。似合ってていいじゃねぇか、なぁ?」
「ええ、とてもかわいいです」
「ありがとうございます。これ、バーゲン前なのにすっごくお値打ち品になってるのを見つけちゃって。他にも何人か褒めてくれたし、いい買い物しちゃいました」
「買い物上手だなぁゆかりちゃん、いい嫁さんになりそうだ」
「そうですかぁ? まず相手を探さないとですね」
僕は自然と耳に入る会話を聞きながら注文されたハムサンドを作っていたが、その手が止まっていることに気付いた。はっとして手を動かすが、むかむかとしてうまく笑顔を保てていない気がする。
今朝、僕は彼らと同じことを彼女に言った。
開店前の二人きりの時間、新しい服を似合ってると言えば彼女は喜んだ。だがかわいいですねと言うと途端に顔を顰め「そういう言い方はいけません!」と言った。以前買い出しに行った際にもいいお嫁さんになりそうですねと言えば「軽はずみな言動は避けて」と窘められた。人に、特に女子高生に聞かれたらSNSが炎上して大変だというのが理由だ。
けど、僕には怒って他の人にはありがとうと言うのか。僕にはその笑顔を向けてくれないのか。
思考が渦を巻いてどうにも抜け出せない。これは重症だ。明日も喫茶いしかわには出られる予定だったのだから、無理せず休んで寝ておくんだった。たかが三徹でこんなになるとは、これが年のせいだというのだろうか。体力の衰えを感じるなど認めたくない。
「和樹さん」
ハムサンドを作り終え洗い物を再開していた僕にゆかりさんが声を潜めながら呼びかけてきた。窺うように上目遣いをしてくるのかわいいよなぁとは毎回思っている。
「なんですか、ゆかりさん」
「……」
「ゆかりさん?」
じっと見つめられ動悸が走る。SNSが炎上するのはゆかりさんにも一因があると思う。絶対そうだろう、と誰かに同意を求めたい。誰か同意してくれ。
「あの……?」
「和樹さん、寝てないんでしょ」
「えっ」
思わずギクリと口元が引き攣ったのを彼女は見逃さなかった。
「やっぱり。もうピークは過ぎてるし、あとは私がやりますから先に休憩入っちゃってください」
「いや、でも」
「賄いも飲み物もすぐ持って行きますから。ほら、手濯いじゃって!」
「ハイ」
こういう時の彼女は手強い。年下のかよわい女性だというのになぜか逆らえない。でも彼女に負けるのが嫌じゃないんだからそれもおかしな話だ。
ではお先に、と声をかけバックヤードのソファに座ると無意識に溜息が漏れた。少し眠ればこの苛立ちも治まるだろうか。ぼーっと空を見つめていると店の方から笑い声が聞こえた。今いる客は先程の男性客だけだ。二人で話しているのか、ゆかりさんを交えて話しているのか。そう思うと再びむかっ腹の立つ気がした。今日は一体なんだというんだ。
やがてドアベルと共にありがとうございました、というゆかりさんの声が聞こえた。これでノーゲストだ。彼女も座って休むことができる。でも今日はこのまま別々に休憩だろう。寝不足を指摘した彼女はきっと僕が店内で休むことを良しとはしない。彼女と雑談するのも気が休まる貴重な時間なのに残念だ。そんなことを思っているとノックの音がしてゆかりさんが現れた。
「お待たせしちゃってすみません和樹さん」
「いえそんな、僕こそすっかりお任せしちゃって……」
「いいんですよ。私から言ったんですから」
ゆかりさんが作ってくれた賄いは高菜と明太子の炒飯だった。僕の看病をしてくれて以来、僕の好物だと認識したセロリのサラダが添えてある。次いでテーブルに置かれたカップにはラテの上に蜂蜜がかかっていた。
「ゆかりさんこれ……」
「ハニーラテです。和樹さんいつもブラックだけど、ものすごぉくお疲れみたいだしこっちの方が落ち着くかなと思って。……いけませんでした?」
少し不安そうに小首を傾げるものだから胸の奥がぎゅっと熱くなる。あんまりかわいいのもいけないと思う。
「いえ、ありがとうございます」
僕が礼を言うとゆかりさんはほっとしたようににっこりと微笑んだ。このハニーラテのように甘くて温かい、疲れた心身が癒やされる笑顔を向けられ、自然と言葉が洩れる。
「ゆかりさんは本当にいいお嫁さんになりそうだ……」
「もう、またそれですか!」
明らかに嫌そうな声音にはっとすれば、彼女は喜色などひとかけらもなく柳眉を逆立てていた。一瞬癒やされたかに見えた心に再び靄が立ち込める。
「何度も言ってるじゃないですか。そういう言い方はいけません! 和樹さんファンのお嬢さんたちに聞かれたらすぐ広まって炎上しちゃうんですよ」
「……また、炎上ですか」
「またってなんですか! 和樹さん、女の子っていうのは怖いものなんですよ。今だって私が対応すると睨んでくる子もいるんです。炎上が激化したら何されるかわかりません。それに事実無根のことで和樹さんファンの子を誤解させるのも可哀想じゃないですか」
彼女の言うことは筋が通っている。そう思うのに苛立って仕方ない。
「あのお年頃のお嬢さんたちはね、敏感で繊細なんです。誤解されないためにも私にお世辞なんて言わなくていいです!」
本気で怒る彼女が気に入らない。腹が立つ。──僕以外の男たちには笑顔を見せていたのに。
気付けば怒ったままバックヤードを出て行こうとする彼女の腕を掴んでいた。
「お世辞ってなんですか。僕は思ったままを言っただけです。いいお嫁さんになると思ったからそう言った。今朝だってかわいいと思ったからかわいいと言ったんだ」
感情のままに言葉が走る。強く掴んだ腕に彼女が顔を顰めるのにも構えない。
「好きな女に好意を伝えることの何がいけないって言うんだ!」
脳から直接飛び出た言葉にようやく自覚した。彼女の傍が落ち着くのは心を許しているから。喫茶いしかわに来たいのは彼女に会いたいから。男性客に笑顔で接する彼女に苛つくのは嫉妬しているから。少しでも真面目に考えればわかることだ。
僕は彼女が、ゆかりさんが好きだ。
「えっ……い、いまなんて」
「君のことが好きだと言ったんだ」
「う、うそ……」
「こんなこと嘘吐いてどうするんですか」
一度口に出した言葉はもう戻らない。ここで恋愛なんてまったくの予定外だが構うものか。
真っ直ぐに見つめると彼女は真っ赤になって視線を彷徨わせた。
「……僕のこと、嫌いですか」
「そんなこと、あるわけないです……」
でも……、と口籠もりそれ以上は続けられない様子の彼女は震えはじめ、今にも卒倒しそうに見えた。
あまりに物慣れない様子に今まで告白されたことがないのだろうかと疑問が浮かぶ。彼女を本気で狙っている客も多数いるのに本当に? でもたしかに遠回しなアプローチは斜め上から薙ぎ倒していたから僕が思っている以上に鈍感なのかもしれない。
そう思うとこのまま押し切るのは可哀想な気がして、手の力を緩めて彼女の手をやわらかく握り直した。感電したようにびくっと硬直してるのもかわいい。
「ゆかりさん。ゆっくりでいい、僕のこと真剣に考えてくれませんか」
こくこくと頷く彼女に今日のところは満足しておこう。異性として正しく意識してくれただけでも今は十分だ。
「今は僕の気持ちを知ってくれるだけでいい……。諦めるつもりは毛頭ありませんけどね」
念押しして手の甲に口付けるとおっとりとした普段からは考えられないくらいすごい勢いで手を振り払われた。諸手を挙げた彼女はパクパクと声にならない声を上げていた。
「あ、あ、あの! み、店! 私、店の方に戻ります! 無人にしておけませんし! 和樹さんはちゃんと休んでから戻ってきてくださいね!!」
早口でそう告げるとゆかりさんは逃げ出すように店へ戻っていった。静かになったバックヤードでソファに座り直すと溜息と共に乾いた笑みが洩れる。
「恋なんて、してる場合じゃないんだがな……」
けれど改めて自分の立場を省みても諦めるという選択肢が浮かばないのだから、呆れるしかない。もう後戻りはできない。
そこまで考えてはたと気付く。今後どうやってゆかりさんを落とそうか。嫌われてはいないし脈がないとも思わないが、あれだけ炎上炎上と騒いでいたのだ。僕にとっては些末なことだがそのせいで断られるなんてことは御免蒙りたい。
少し冷めてしまった高菜と明太子の炒飯を口に運びながらあれこれ思案しはじめる。先程までの苛立ちも眠気も飛び、すっかり思考はクリアだった。
あれからゆかりさんは僕を意識してくれるようになった。目が合うと反らされることが増えたが頬を紅潮させ、もじもじとしてるのがかわいいから良しとする。営業中は今まで通りを心がけているようだが、隠せているとは言い難い。現にSNSは既に炎上しているのを確認済みだ。
今日も僕のファンだと思われる女子高生が来店しているが、ゆかりさんに向けられる視線はいつもより厳しい。どうしたものかと考えているとドアベルが新しいお客の来店を告げた。
「ゆかりさんこんにちは! て、今日混んでますね……」
「遥ちゃんに聡美ちゃん、それに飛鳥ちゃんも! いらっしゃいませ。テーブル席空いてないからカウンターでもいい?」
「もちろんです!」
聡美が店内に進むと後ろにいた遥も挨拶を告げた。
「こんにちはゆかりさん。あ、今日和樹さんいるじゃない! 道理で混んでるわけね~」
カウンターまで来た三人は口々に和樹にも挨拶しながら席に着く。
注文された品をすべてサーブし終えてキッチンに戻ると飛鳥は身を乗り出し小声で話しかけてきた。
「和樹さん……ゆかりさん何かあったの? いつもと様子違うよね」
彼女の口から望む言葉が飛び出し、僕は心の中でガッツポーズをした。タイミングもばっちりだ。
わざわざ声を潜めてきた彼に対し、あえて背筋を伸ばし普通の声量で返す。
「実はゆかりさんに告白したんだけど、なかなか色好い返事をくれなくてね」
目論見通り、店内中の視線が一斉にこちらに向いた。
フォークを落とした女子高生に食べ途中で咽せたその友人、読んでいた雑誌を落とした女子高生にスマホを落としたその友人、飲もうとしていたコーヒーを溢したサラリーマン、勉強中のシャーペンの芯を折った男子学生。揃いも揃ってあんぐりと大きく口を開けて固まった。カウンターの聡美と遥だけが驚いた一拍後に喜々として目を輝かせる。
「え……ほ、本気で?」
「もちろん本気さ」
彼女の言う『本気』がどこまでを指しているかは知らないが、僕自身はいずれは役所に書類を、と既に考えている程度には本気だ。
店内には、僕が本気でゆかりさんを好きなことだけがはっきりと伝わる。
当のゆかりさんは件の女子高生と僕を交互に見て赤くなりつつ青褪めるというなんとも器用なことをしていた。
聡美と遥がなぜOKしないのかとゆかりに迫る一方で、テーブル席の女子高生たちは「カズキさん本気ってそんな……」「カズキさんを振るなんてあの女何様」などと隠そうともしない不満を洩らす。その声はゆかりの耳にも届いており、大層戸惑っていた。
以前彼女は自分が言い寄ってると誤解されて炎上したと言っていた。それならば彼女ではなく僕が好意を持っているのだと知らしめれば炎上は収まるだろうと考えた。さらに僕に好意を持っているなら、僕の気持ちに応えないゆかりさんを責めることも想定内だ。女子高生らは既にせわしくスマホをタップしているから今日のことはあっという間に広まるだろう。
ゆかりさんを追い詰めたい訳ではなかったが、これで炎上を気にするのは無意味だと気付いたはず。都合良く彼女のファンの客もいて牽制もできた。
「──それでゆかりさん、まだ僕の恋人にはなってもらえないんでしょうか?」
わざとらしく首を傾げれば、ゆかりさんはウッと口籠もってこれでもかと言うほど眉を八の字に歪ませた。
「僕はね、ゆかりさんがかわいいし、ゆかりさんの淹れるコーヒーや料理が好きだし、なにより一緒にいると楽しくて心が安らぐんだ。ずっと隣にいてほしい。──僕の恋人になってください」
ゆかりさんは言葉を詰まらせたっぷり三十秒は瞬きを繰り返した。
やがて観念したように微笑むと「はい」と答えた。
テーブル席のお客たちは長居せず帰って行ったが聡美と遥は興奮しきりだった。
「さっきの和樹さんの告白、もう告白というよりプロポーズだったわよねぇ!」
「うんうん、それに私たちや他のお客さんもいたのに普通あんな風に告白できないよねー!」
「さっすが和樹さん! イケメンのやることは違うわぁ~」
「ゆかりさんとっても愛されてるって感じ!」
「あ、あの二人とも、もうそのくらいで……。やだもう、恥ずかしい」
ゆかりが真っ赤な顔をトレンチで隠すとさらなる歓声が喫茶いしかわに響く。
「「ゆかりさんかーわいいー!」」
「もう、ほんとに、オネガイシマス…………」
照れの極致なゆかりを和樹は大層ご満悦なにこにこ顔で眺めていた。
お祝いムードといった喫茶いしかわで飛鳥だけが半笑いのままオレンジジュースを啜る。和樹と目が合うと猫かぶりな笑顔を向けた。
「和樹さんうまくいってよかったねぇ。アタシ和樹さんのお手伝いさせられちゃった気分だなぁ~」
「いやぁナイスアシストだったよ飛鳥ちゃん。お礼にケーキでもごちそうするよ」
チーズケーキの周りにクリームとフルーツを多めに盛り付けて彼女の前に置くと、じっと射抜くように見つめられる。
「飛鳥ちゃん?」
「ゆかりお姉ちゃんのこと、ちゃんと最後まで責任取ってよね。……泣かせたら、私も喫茶いしかわのみんなも常連客のみんなも絶対に許さないから」
子供らしからぬ低い声で凄まれ、彼女にとってもゆかりさんは大切な人の一人なのだと伝わる。そんな真剣な彼女には自信たっぷりに返す。
「もちろんさ!」
数日お休みいただきまして。失礼いたしました。
事情は割烹のほうにちょっとだけ。根っこの部分は伏せてるので、なんのこっちゃでしょうが。
今後の更新はちょっと様子見することがあるかもしれません。
恋愛ポンコツでフラグクラッシャーなゆかりさんの旗折り力がちょっとだけ弱かったら&和樹さんが公開告白を選んでいたら、こんな展開もあったかなというお話です。
これなら、本編で採用したルートよりちょっとだけ恋愛モノっぽくなってたかなぁと自分でも思います(笑)




