266-1 いつも通りケータリングを届けにきただけのはずなのに(前編)
たいていは和樹さんにお願いするワゴン車の運転を、今回ばかりはマスターにお願いして、とある建物へ。
通用門のところに立っているガードマンさんに許可証を確認してもらい(この時ばかりは毎回ドキドキする)中に入る。子供たちが後ろの席から「お兄さん、ありがとう」とにっこりすると、ガードマンさんも相好を崩す。わたしより子供たちのほうがよほど堂々としている。
建物入口の受付で入館手続きをして、ようやく中へ。
台車を使ったり荷物を抱えたりしながら指定された部屋まで歩いていると、途中で顔見知りのスタッフさんとばったり。
「『いしかわ』さんじゃないですか!」
「あら村井さん。ご無沙汰してます」
「あ、もしかして今日のケータリングですか?」
「はい。ご注文いただきました」
「やった! 今日の現場、大当たりだ!」
「くすくす。ありがとうございます。それじゃ、後でまた」
「はい!」
そのまま村井さんは軽快な小走りで去っていった。
村井さんが入っていった扉から、入れ替わるように出てきた人がいる。
「ゆかりさん!」
「和樹さん」
にこにこと手を振りながらこちらに駆けつけ、荷物を次々引き取ってくれた。真弓が大事そうに抱えている小さなクーラーボックスも受け取ろうとして「いや!」と拒まれ、軽くショックは受けてたみたいだけれど、こればかりは仕方ない。真弓は、どうしても自分で運びたいとがんばっているのだから。
「ありがとうございます。今日の出前はあちらの部屋までですよね。マスター、台車は私が。先にお湯沸かしてきてください」
「うん、そうだね。そうするよ」
以前も来たことがあるので給湯室の場所はばっちり把握している。マスターはやかんなどが入ったバッグだけを担いでそちらへ向かった。
目的の扉を抜けると、部屋の一部をとても明るく照らす照明とセットがあり、その周りにたくさんの人が集まっている。その人だかりの中に兄と暁弥さんもいた。
「やあ、来たね」
「待ってたよ」
「喫茶いしかわです。ご注文の品をお届けにあがりました! お食事はこちらに。コーヒーは今、マスターがお湯沸かしに行ってます。今日は、あちらのテーブルに並べればいいですか? すぐ準備しますから、もう少しだけ待ってくださいね」
「うん。こっちもちょっとした打ち合わせが残ってるから、それが終わったらいただくよ。和樹くんはこっちね。それ置いたらすぐ戻ってきて」
「承知しました」
和樹さんはさっさと荷物をテーブルに全部置くと、台車で到着した私を軽くぎゅっと抱きしめて「すぐ戻りますから」と言うと、打ち合わせに加わるべく去ってしまった。和樹さんたら……今日は本業のお仕事なんだから、こちらを気にしなくてもいいのに。も、もちろん嬉しいけどお仕事の邪魔をしてしまったのではないかとドキドキする。
そう。今日は和樹さんの会社のCM撮影。数年前の初回撮影前にいろいろあったらしく、結局和樹さんがこのCMの担当者になった。出演者が暁弥さん、兄がメイクを担当しているので、このスタジオで撮影できるなら、ケータリングは喫茶いしかわがいいとワガママを通してくれたらしい。
都内やその近郊ではないスタジオでの撮影は珍しいらしいが、CMの評判が良く効果が大きいことから毎回のようにこのスタジオを使っている。どうやら暁弥さんの表情がとても柔らかく、普通のCMとは一味違う表情が見られるのが人気の一因らしい。本番前に皆で食べている喫茶いしかわのケータリング効果もあれば嬉しいけど、どうかしら。地方での撮影にも関わらず撮影スタッフさんにも「このCMなら」と快諾をいただいている。毎回ケータリングをご注文いただいていている喫茶いしかわも、ありがたいことに評判が良いし、たまにロケハンで近くに来たというスタッフさんが喫茶いしかわに来てくれることもある。
私たちも子供たちも、手早くエプロンをつけると、腰に手を当てて、軽く気合を入れる。
「よし、さっさと並べちゃおう」
ケータリングとして注文された品を次々に並べていく。と言っても数十人が時間差で食べるので、だいたいは箱を種類ごとに積んでいちばん上の箱の蓋を開けるだけだ。
サンドイッチはカツサンド、ハムレタスサンド、BLTサンド、洋風たまごサンド、和風たまごサンド、ツナサンド、ポテトサラダサンド。
おにぎりは、わかめとしらす、鮭と枝豆、五目、唐揚げを真ん中に入れたもの、鶏そぼろとほうれん草、チキンライス、ドライカレー。一つずつラップに包んである。それから暁弥さんリクエストのひじき入りいなり寿司。これはひとり分のお弁当箱で別にしてある。
リクエストされた小魚の南蛮漬けやマカロニサラダ、春雨サラダもある。台車に乗せた寸胴で運んできたのは、玉ねぎたっぷりのクラムチャウダーと、野菜がごろごろ入ったトマトベースのミネストローネ。寒くなりつつある時期の撮影なので、温かいスープ類が喜ばれる。
それからおやつに、りんごのヨーグルト和えと、食パンの耳ラスクを作って持ってきた。サンドイッチを作る時に切り落とした食パンの耳をバターで炒めてグラニュー糖をまぶしただけの簡単おやつだが、子供の頃に食べていたというカメラマンのおじさまを中心に「うわ、これ懐かしい!」とご好評をいただいている。
これらを並べ終わったら、隣のテーブルにカセットコンロを設置して、その上にそれぞれフライパンをセットする。まずは薄焼き卵を作る。チキンライスやドライカレーのおにぎりを薄焼き卵でくるんでオムライススタイルで食べたい人がいるからだ。二種類のおにぎりの数の三割増しくらいの枚数を焼く。
それが終わったら、めんつゆとごま油を混ぜたごはんをラップにのせて三角に握って、フライパンで焼きおにぎりを作る。じっくり火を通すため、ちょっと時間がかかるのだ。自宅で作るときは魚焼きグリルでちょっと焦げ目がつくくらいに焼くけれど、今日は焦げ目は控えめに焼こう。
一回目の焼きおにぎりができあがり、アルミ箔の上に並べて二回目の焼きに入ったとき、女性の怒り声がこちらまで響いてきた。
「なんですって! わざわざこんな遠い場所まで来てあげたのに!」
「だから、そんなに日焼け跡がくっきりしてるのはマズいんだ。撮影にあたっての注意事項として事務所を通じて伝えていたはずだ」
「なによ、メイクで隠せばいいじゃない! そのくらいできるでしょっ」
ふんっと鼻息荒くつっかかっているのは、最近人気急上昇中だというティーン雑誌のモデルじゃなかったかしら。清純派を売りにしてたような気がするけれど、こういう態度だとスタッフさんの印象が悪くてお仕事減るんじゃないかしら。
「うひゃあぁ」
「おんなのひとって、こわいんだね」
完全に引いている真弓と、おびえている進に苦笑することしかできない。
「あは……あはは。とにかく準備を終わらせましょう。お皿とお箸とカップを用意してくれる?」
「はーい」
向こうの話の邪魔にならないように、小声で会話して作業を進めた。
少し経つと、笑顔の暁弥さんと苦笑いの兄と頭をガシガシ掻いている和樹さんがこちらにやってきた。こちらも努めて笑顔を浮かべる。
「お疲れさまです。お話し合いは終わりましたか?」
面白いものを見つけた表情の暁弥さんが口を開く。
「うん、そのことなんだけど……ゆかりちゃん、CM出てみない?」
「……へっ?」




