259 とある応援し隊員の思い出話・Case6
すみません。昨夜からwi-fi環境が調子悪すぎて。やっと投稿できました。
Case6 某社技術職・男性
喫茶いしかわのカウンターに座ってコーヒーを味わい、それからおもむろにタブレットを操作し始めた男・和樹。その隣に座ってタブレットを覗いている喫茶いしかわの看板娘・ゆかり。
二人は旅行に行く計画を立てているところだ。まぁ、旅行といっても和樹の愛車で行ける範囲の温泉旅館に一泊二日だ。
現在、平日の十四時。ランチタイムが一段落したためゆかりは休憩中。和樹は遅いランチ。二人揃ってゆかりが作った賄いを食べている。従業員でもないのに賄いがランチでいいのか? そんな声が上がるのが普通だろうが、マスターは和樹をすでに息子のように可愛がっており、ゆかりが作る食事をなにより喜ぶのを知っている。
「ゆかり、今から賄い作るだろう? 和樹くんにも同じもの作って食べさせてあげなよ。いいよいいよ、半分従業員みたいなものだし。和樹くんはそれでいい……というかそれがいいんだろう?」
「はい、ぜひ! ゆかりさんにお願いします」
「うん。ゆかり、賄いは和樹くんと二人分作ってね。和樹くん、ランチの通常料金はもらうけど、かわりにブレンドじゃなくて和樹くんお気に入りの豆で淹れたコーヒーを提供するよ」
「ありがとうございます」
そうしてマスターに提供されたコーヒーは、客用のカップではなく、和樹が店のお手伝いをする時に使う従業員用のマグカップに入っていた。和樹用のカップはペールブルー。ゆかり用の黄色いマグカップと並べると、太陽と青空みたいで、こっそりお揃い気分を味わえるので、和樹は気に入っていた。
そうやって賄いを食べ終わってのコーヒーブレイクは、旅館の品定め、というわけだ。
ウキウキを隠さずタブレットを覗きこんでいたゆかりが言う。
「せっかくですから、個室に露天風呂がついたお部屋にしたいですね。私、この日のために節約がんばったんですよ」
小さくガッツポーズを作るゆかりに、和樹が笑う。
「前にも言いましたけど、宿代は僕が払いますから。ゆかりさんには僕が家に帰れない時にブランの世話や家の掃除をお願いしてますし。とても助かっているんです。今回はそのお礼も兼ねてますので」
和樹は出張の多い仕事だが犬を飼っている。ゆかりは和樹の仕事が忙しくなると、ブランのお世話と和樹の家の掃除を買って出る。
「ふふっ。ブランくんのお世話は可愛いからしているだけだし、和樹さんのお家のお掃除はそのついでですから、気にしなくていいんですよ」
連絡がきたらいつでも出入りできるように、和樹の家の合鍵を預っているのはゆかり。
「そんな……それに、僕が帰ってきたら作り置きまでしてくれているじゃないですか」
ゆかりは毎回、和樹が帰ってきたらすぐ食べられるようにと、日持ちする常備菜を冷蔵庫に入れてくれる。それがどれほど嬉しいか。疲れきった身体に沁みることか。
「和樹さんが買ってきた食材が無駄にならないようにしているだけですから気にしないでください。ね? そんな話よりもこっちの話をしましょうよ。ペット可の宿もいいですね。それならブランくんも一緒に行けるし。ペット可で、露天風呂付きのお宿なんてあるかしら?」
旅行サイトの検索機能を利用して、器用に調べていくゆかり。
「あら、へーっ。結構あるんですね。ここから絞り込まなくちゃ。あ、そうだ、和樹さん。お休みは順調に取れそうですか?」
マスターが淹れてくれた和樹専用コーヒーに口をつけながら、ゆかりが操作したタブレットを覗き込んだ。
「休みは大丈夫そうです。僕も楽しみにしていますので。ブランも一緒なら、なおさら楽しみだな。……ああ、ここなんてどうですか?」
和樹が画面をタップするとあらわれた旅館の写真。離れの平屋の部屋で、庭がついていて、ドッグランになっているらしい。ブランが思い切り遊べそうだ。部屋の中にはキャットタワー。猫を飼っているなら嬉しい設備だろう。しかもハンモックまであるようだ。もちろん専用風呂付きで豪華な部屋食。たしかに、すごく魅力的だけど。
「ちょーっと、お値段高すぎません?」
小さく眉間にしわを寄せるゆかり。
「うーん、でもブランくんにも楽しんでもらいたいし……欲しかったワンピースと、カフェ巡りを一、二ヶ月我慢すればどうにか……」
ますます眉間にしわを寄せると、和樹がその眉間を突っついた。
「どちらも我慢しなくても大丈夫ですよ。僕が出すって言ったでしょう? では、ここで決定ですね」
そういってタブレットを鞄にしまう和樹に、ゆかりが抗議する。
「いけませんよ、和樹さん。そもそも旅行に行きたいなって私の呟きから始まってるんですから。自分のぶんは自分で払います。運転までしてもらうのに……」
ぷうっと頬を膨らませるゆかりに、河豚みたいですねぇと和樹がからかうと、ゆかりはもう……と呆れながらコーヒーを一口飲んだ。
「和樹さん、いつもごはん行くときに払ってくれるし、私のほうこそお礼する必要があると思います」
喫茶いしかわの新メニュー、期間限定メニュー作りの参考にとカフェ巡りをするゆかりに、和樹はたびたびついてくる。
「それはゆかりさんのお宅にお邪魔した時にいつもご馳走になるから、それでおあいこですよ。喫茶いしかわに配達のお願いをするときだって、夜食用のお弁当まで用意してくれて……本当に助かります」
「あれは、配達のついでです」
「じゃあ僕も、自分のを払うついでです」
と、二人で言い争い始めた。
「あのさ、マスター。あの二人って」
「付き合ってないよ」
「まだ最後まで話してないのに……」
マスターがいる前の席に座って、喫茶いしかわの壁に同化したかのように二人の様子をおとなしく見守っていた常連客の一人が、ついつい壁であり続けることに我慢できなくなり口を開いてしまった。
「でも、旅行……」
コクリと頷くマスター。
「部屋の合鍵……」
コクン。
「デート……」
「傍から見ればね」
「半分同僚っていっても、あんなに仲がいいものかなぁ?」
自分も働いている身で、同僚や元同僚という存在はいるが、あそこまで仲良くはない。あのふたりは、どう考えても同僚の範囲を超えている。
「いいんだよ。二人が良ければ」
マスターの言葉に「そうですね……?」と納得したようなしていないような返事をしたタイミングで和樹が立ち上がった。そろそろ仕事に戻るらしい。
「もう! とにかく、私は自分の分を払いますから!」
まだ支払いのことで揉めていたのか……二人のほうをチラ見すると、ゆかりの言葉に少し考えるようなポーズを取った和樹。
「じゃあ……」
ゆかりの耳元で囁いて、にこりとしてゆかりの頭をひと撫でした和樹が、マスターに挨拶して店を出ていく。
和樹に何を言われたのか。ほんのり顔を赤くしたゆかりを見て、同僚から何かに進展した二人の瞬間を目撃してしまった! と思った常連客であった。
ホントこのふたりは……ねぇ?
和樹さんのほうは確信犯でしょうけど、どっちにせよ「いや距離感おかしいから!」って総ツッコミくらいなさい。
マスターは何も言いません。“見えてる人”なので。
まあ、うっかり居合わせたモブさんにも、ここで何かが始まったような気がしたのは気のせいだったことがそのうち判明するんでしょうね。




