258-2 if~たとえばこんなお見合い~あなたとひなたぼっこを(中編)
子供……とは。
「そ、それはまさか、僕とあなたの、ですか」
「いえ、和樹さんと旦那さんの」
「旦那は要らない! そこはゆかりさんでお願いします!」
「えーっ、私ぃ!?」
そこまで驚かなくても。というより、なぜ和樹に旦那がいるという前提で話をすすめようとするのか。和樹の必死の抵抗にゆかりは何か考え込むように視線を彷徨わせ、やがて紅く頬を染めていく。
「え、えっと、あの……」
和樹は思った。ちょっと待て。なんだその反応。何を考えた。もはやゆかりさんの見合いなんかどうでもいい。目の前のゆかりを前に、余計な探りを入れる余裕なんぞとっくに潰えている。
「ご、ごめんなさい。変ですよね、なんか、考え出したら止まらなくなっちゃって。もう、やだなぁ……恥ずかしい」
「いえ」
そんなことはない。いったい何を考えたのかが聞きたかった。カウンターが邪魔で仕方がない。頬を染めて俯く彼女の傍らに立って、今すぐ抱きしめたいとさえ思った。いや、そうするべきだろう、そうしよう。
和樹の両目がギラギラし始めたのも知らず、頬の熱を冷ますように手でさすっていたゆかりがぽつりぽつりとつぶやく。
「あのね、和樹さんの子供なら絶対に可愛いだろうなあって、思うんですよ。きっと産まれる時は光り輝いてこの世に姿を現してくれると思うんです。そう、おじいさんが竹をスパーンっと割ったらかぐや姫がいたみたいに。もしかしたらお腹の中ですでに光っているかもしれません」
カウンターを乗り越えようと立ちあがりかけていた和樹は、がくっと腰から崩れ落ちそうになった。
「漫画じゃないんですから」
「いやー、絶対凄い赤ちゃんがうまれてきますよ、きっと。もしかしたら頭が良すぎて生後ゼロ日目にして会話も可能かもしれない。もしくは運動神経良すぎて出産と同時にバック転したりブリッジしたまま部屋中を走り回ったり」
「凄い通り越して怖いだけでしょう、それ! ホラー映画じゃないですか!」
「でもそんなすごい子なら、きっと難産だと思うんですよね。真っ赤に灯る処置室の文字。入れ代わり立ち代わり出入りするお医者さんや看護師さん……ああ、いったいどうなってしまうの……!」
「ゆかりさん、聞いてる?」
聞いていない。ゆかりは架空の出産シーンを想像し、勝手にハラハラしている。
難産だと言うが、どちらかと言えばゆかりさんは安産型だと思うぞ、とつい視線を下げてしまった自分を叱責するように、和樹は大きく咳払いをして誤魔化した。
「でもね、和樹さん。大丈夫、危うい状況は脱して母子ともに無事だから!」
「え、あ、はい。良かったです」
何がだ。いや、もう、ツッコミはやめておこう――と思ったのも束の間。
「でね、ベッドで我が子を抱く和樹さんの手を取って言ってあげるんです。『よく、頑張ったね』って」
「僕が産むの!?」
「和樹さんが産んだ方が凄い子出てきそうな気がする」
「商店街のくじ引きじゃないんだから! 産めないですからね、僕! 人体の構造上無理だから!」
「ヤダあ、和樹さん。例え話にそんなマジにならないでくださいよぉ」
―― 腹 立 つ !
ケラケラと笑うゆかりを脳内で瞬時に泣かせまくってなんとか堪える。そうでもしなければカウンターを破壊してしまいそうだ。事実、手が触れている部分がミシッと音を立てたのだから。傷でもつけようものなら、恩人であるマスターに申し訳が立たない。我慢、ここは我慢。
「~~で! 結局、なんで『いいお嫁さん』発言が、ゆかりさんの結婚の妨げになってるんですか」
衝動に突き動かされそうになる己をなんとか抑え込もうと、和樹は強引に話を戻した。
すると、ゆかりの笑顔がピタッとやんで、言い辛そうに俯いてしまう。
「その……和樹さんがいいお嫁さんにピッタリなら、私なんて到底無理だなあって思っちゃって」
「無理?」
「はい。美人でスタイルよくて頭もよくて料理上手で気立てもよくて優しくてみんなから好かれて――そんな人が世の中の男性の理想のお嫁さんなら、私、そのどれにも当てはまってないなぁって。こんな私と結婚して、旦那さんちゃんと幸せにしてあげられるのかなって。そう思ったらなんか、勝手に自信喪失しちゃったっていうか」
いや、和樹さんと自分を比べることがそもそも大きな間違いなんですけどね!? ていうか、そんなことでうじうじしてる暇があったらもっと自分を磨けというか!
「……」
慌てたように手を振るゆかりの姿に、和樹は小さく息を吸う。カウンターに触れていた手のひらに、グッと力を込めて床を蹴った。我慢はもう、限界だった。
「え、ぇえ!?」
音もなく、重力すら感じさせず、ひらりとキッチンに降り立った和樹にゆかりが目を大きく見開いている。どうしたの、と開きかけた口を塞ぐように、抱きしめた。
「か、か、ずきさ――!?」
「うるさい。ちょっと黙って」
和樹は、怒っていた。
低い声音でそれが伝わったのか、ゆかりが小さく肩を震わせてそのまま動かなくなる。自分よりもずっと小さな身体を抱く腕にさらに力を込めて、和樹は大きく息を吐いた。
怒っている。怒らずにいられるか。
だって。
「私なんかとか、こんな私とか、そんなこと言わないでくださいよ」
「あ、あの……」
「僕はこんなにもあなたが大切で仕方がないのに、あなたの口から自分を貶めるような言葉は聞きたくない」
遠方のスーパーまで買い出しに行った夜のことを思い出す。ゆかりがいると呼吸が楽だ。くだらないことを楽しいと思える。何気ないことを愛おしいと思える。時折憎みたくなる平穏な日常を心から守りたいと思える。傍にいるだけで。傍にいなければ。だから、今回のお見合いのことだって。
「か、かずきさんっ、く、くるしい……っ」
「ダメです。離さない」
「お、お店だから!」
「もう誰もいないでしょう」
「で、でも、あのっ、外! 外から見えちゃうから!」
腕の中でゆかりを拘束したまま、和樹はちらっと店の外へと目を向けた。大きなガラス戸の向こうはすっかり暗くなっていて人通りはない。だが、誰かが通りかかれば確かに中の様子は丸見えだ。
「ふむ。なら、こうしましょうか」
「え――わっ」
ゆかりを抱いたままキッチンに背をつけそのまましゃがみ込む。座りこんだ和樹の上に、ゆかりが乗った状態。それでもなお、離そうとしない和樹にゆかりが情けない声を上げる。
「和樹さん!」
「これなら外から見えないでしょう」
「そういう問題じゃないよ!」
「じゃあ、どういう問題?」
「そ、れは、あのっ」
上手い言葉が見つからないのかゆかりが言いよどむのをいいことに、その髪やこめかみに口づけていく。ぎゃああ、と色気の欠片もないか細い悲鳴が上がった。
「わ、私、三日後にお見合いするので!」
「気乗りしないんでしょう」
「ぜ、是非にと言ってくれてる人ですから! あちらが良ければお友達からでもお付き合いするかもしれないし! だから、あの、離して!?」
「……ゆかりさん、実は煽り上手ですよね。そんな理由で僕が離すわけないだろ」
「えええ!? ――ぅぎゃっ」
黒髪を掻きあげて露わになった耳を噛む。唇で軽く食んだだけでも、ゆかりには相当な刺激だったようだ。悲鳴と共に激しく肩が強張った。構わず、こめかみや瞼、頬へと唇を滑らせる。その度に、びくっとゆかりが震えた。
「かずきさ……もう、ほんとうに、やめて……」
やがて聴こえてきたすすり泣く声に、苛立ちが一気に覚めて罪悪感にすり替わる。それでも腕の中の温もりを解放できず、和樹のシャツを掴んで小さく震える肩を強く抱きしめて、首筋へと顔を埋めた。
「僕にとって、きみは唯一無二なんだ」
「……え?」
「代わりなんか他にいない。この世でたった一つの――たった一人のかけがえのない人なのに、僕のゆかりさんをきみが見下したりしないで」
「……」
ぎゅうぎゅうと締め付ける腕の中で、ゆかりはもう抵抗しなかった。ただゆっくりと上げられた腕が、和樹の背に触れる。気づけば、抱きしめられているのは和樹のほうだった。
長い沈黙を超えて、ぽつりぽつりとゆかりが話し出す。
「わ、私、実はあんまり自己評価高くなくて……むしろ低い方で……」
「……うん、知ってる」
「だからどうしても、誰かと自分を比べちゃうんだけど……でも、和樹さんがそんなに怒るくらい大事に思ってくれてるってことは、わかりました」
「……うん」
「ごめんね?」
ゆかりの肩口に顔を埋めながら、和樹はそっと目を閉じる。
「僕じゃなくて、ゆかりさんに謝って」
くすっと、苦笑が聴こえた。
「はい。――酷いこと言ってごめんなさい、私」
「あと、ご家族や、他にもゆかりさんのこと大好きな人たちにも」
「……もしかして、いっぱいいる?」
「うん。いっぱいいる」
「じゃあ、ありがとうのほうが言いたいな。――ありがとう、みんな。ありがとう……和樹さん」
「……ん」
身の裡に広がった高揚感にゆかりを抱く腕にうっかり力を込めたら、「痛い痛い」と悲鳴が漏れた。それでもゆかりはもう和樹に離せとは言わず、縋るように預けた頭を抱いていてくれた。
結局、そうやって抱き合っている間に閉店時間を大幅に超えてしまっていて。
慌てて戸締りをするゆかりを手伝いながら、和樹は言いかけた言葉を飲み込んで、今の自分に最もふさわしい言葉を絞り出す。
「お見合い、頑張ってくださいね」
ゆかりは一瞬だけ傷ついたような顔を見せて、それから看板娘の笑顔で「はい!」と頷いた。




