258-1 if~たとえばこんなお見合い~あなたとひなたぼっこを(前編)
毎度おなじみifシリーズです。
ゆかりさんと和樹さんがくっつくときのボツプロットを再利用しました。
ゆかりさん、お見合いするんですって?
和樹の何気ない質問に、鼻歌まじりにお皿を拭いていたゆかりの表情は一変した。がくりと項垂れ、キッチンの向こうでずるずると沈んでいく。
カウンター席に腰かけていた和樹は、身を乗り出してキッチンを覗きこんだ。そこだけずーんと重力が倍増したかのように頭を抱えてしゃがみ込んでいるゆかりの姿に、思わず吹き出す。
「笑いごとじゃないんですよ、和樹さん!」
「ははは、すみません。あまりにゆかりさんらしい反応だなって」
私らしいってなんですか、と唇を尖らせながら、立ちあがったゆかりがコーヒーのおかわりは要るかと訊いてきた。閉店間際で、客はほかに居ない。もう少しだけのんびりしても構わないだろう、と和樹はありがたくカップを差し出した。
「あのゆかりもついに年貢の納め時ですよ、ってリョウさんがご機嫌でしたよ」
「あー、やっぱりお見合いのこと喋ったのお兄ちゃんだったんですね。本っ当に口が軽いんだから」
ゆかりのボヤキに和樹は苦笑する。すっかり飲み友達となってしまったゆかりの兄とは、実は昨晩も酒を酌み交わしていた。
「そもそも今回のお見合い、話を持ち込んだの兄なんです! 両親……はまだしも親戚から嫁はまだか孫はまだかの催促が厳しいからって、私を生贄にしたんですよ! ゆかりにちょうどいい相手がいるんだー、って! 酷くないですか!? 順番で言えばお兄ちゃんのが先なのに!」
ぷんすかと憤るゆかりに、コーヒーカップに口を付けながら和樹はまあまあ、と苦笑した。生贄とはずいぶん過激な表現である。よほど今回のお見合いが嫌で仕方ないようだ。
「それにしても、その様子だとまさか釣り書きすら読んでないのでは?」
「読みませんよぉ。兄に抗議の電話かけたらね、『とりあえず釣り書き読め! お前絶対断らないから!』って言われて。どれだけ好条件だか知らないけど、一方的に決めつけられてムカーってきちゃって、読む気なくした」
「なるほど」
「まあ、年齢とか職業とかの情報は電話で母から聞きましたから大丈夫です。名前は聞き忘れたけど『あんたこんな優良物件の紹介なんてもう二度と来ないよ!』って。たぶん、兄の大学時代のサークルの先輩の人ですよ。だいぶ前ですけど、紹介されそうになったことがありましたから」
ゆかりの言葉にピクリと眉を動かし、和樹は微かに目を眇める。
「……大学の先輩、ですか?」
「そう。すっごく良い人だし市役所勤めで職も安定してるし、写真見せたらお前に会いたいって言うんだよーって言われて。でも結局タイミング合わなくて、そのままになってたんですよねぇ。私も写真見せてもらいましたけど、これがなかなかのイケメンさんで。あの人なら母が気に入ったのも頷けます。うんうん。あ、和樹さんのほうがずーっとイケメンさんですよ」
謎のフォローは入ったが、和樹は内心落ち着かない。なんだそれ、リョウさんからはそんな話は聞いていないぞ! と心の中で文句をつける。
「一応、調べておくか……」
「ん?」
「ああ、いえ。お気になさらず。に、しても。そこまで嫌なら断るという手は?」
「母があれだけ乗り気なのにそんな真似したら、二度と実家の敷居を跨がせてもらえません。親戚から送られてくるお米と野菜と、食べ慣れた母お手製のお味噌と糠漬けの供給がストップされます! それは辛い、辛すぎる……!」
顔を覆って嘆くゆかりに、思わず「そこかよ」とツッコみそうになるのを、和樹はなんとか堪えた。あくまで関心は食糧の補給にしかないようだ。
昨晩の居酒屋で、上機嫌のリョウから聞かされた『ついにゆかりが見合いを承諾しました。でもめっちゃ嫌そうでしたよ~アッハハハハ』の言葉が気になって様子を見にきたのだが、まあ、これなら大丈夫そうだ。ゆかりらしい反応の数々に、心配して損したと胸を撫で下ろす。
拭き終わった皿を棚に戻しながら、ゆかりは体力を吸い取られたかのように深々とため息を吐いた。
「あー、行きたくない。まだ結婚とかする気ないし、相手の人に悪いし」
「相手に悪い?」
「悪いですよ。相手がそれほどの優良物件なら、私なんて事故物件もいいとこじゃないですか。お兄ちゃんも友達のことを思うなら、妹じゃなくてもっとマシな人紹介してあげればいいのに」
「何もそこまで自分を卑下しなくても」
「超高層タワマン最上階ペントハウスクラスの和樹さんにはわかりませんよぉ。はぁ。私なんて築五十年は経ってる家賃三万四畳半の木造アパートですよ……すっかり畳も色褪せて、押し入れなんかかび臭くて、辛うじてトイレとお風呂だけはついてて。当然のように近くにはバス停もなくて駅から徒歩三十分はかかるの。坂道ばっかりで自転車移動もキツくて。唯一の利点は近所に激安商店街があることで……あ、日当たりも重要……ぽっかぽかのひなたぼっこは最高ですよねぇ」
話がどんどんズレていっている。和樹にはわかる、これはゆかりの現実逃避だ。
お見合いなんて嫌がってるだろうとは思ったが、まさかここまでとは。
「なんでそんなに結婚したくないんですか? 以前、結婚願望がはかなりあるって言ってましたよね?」
「それは……」
少しためらってから、ゆかりはなぜかじとっとした目を和樹に向けた。
そして、小さくこぼす。和樹さんのせいですよ、と。
「僕のせい?」
「うん……」
「僕、何かしましたっけ?」
この店でやらかしたことは……本業の影響でお手伝いしますと言ったのにドタキャンしたことがあったな。それから、なぜかイケメン店員だと話題になってしまったせいでゆかりさんがネットで炎上してしまったこと。そのくらいしか思い浮かばない。今更ながらゆかりさんには多大な迷惑をかけたな、と思う。が、そのいずれも彼女の結婚願望を損なわせる原因になったとは考え難い。
「『いいお嫁さん』」
「はい?」
「和樹さんが言ったんですよ、車出してもらって大型スーパーに買い出しに行った時に。『ゆかりさんはいいお嫁さんになりますね』って」
「ああ」
憶えがある。
当時は、あらゆる負の感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって、とてつもなく荒んでいた時期だ。
表向きは、上手に笑顔の好青年の仮面を被っていたはずだった。いつも通り笑顔でお客に接して、料理を作って。けれど内心は到底平静でなどいられなかった。いられるわけがなかった。笑顔の下の歪な内面に気付いたのか、それとも何もわかっていなかったかは今となっては不明だが、そんな自分を「今日の買い出しはちょっと遠出したいので連れてってください」と遠方の大型スーパーに連れ出したのはゆかりだった。
彼女を助手席に乗せて、とりとめもない世間話を聞いていた。喫茶いしかわに小さな子供が来店する機会が増えたのでこども用の食器を増やしたいことや新しいメニューを考案中であること、親戚の結婚式でリョウさんがダジャレを連発して顔から火を噴くかと思ったこと。そんな何でもない話を聞きながら愛車を走らせているうちに、ほんの少しだけ肩から力が抜けていた。呼吸もしやすくなり、頭痛も引いていた。どうしてだろう、と不思議に思っていたら、勝手に口から出ていたのだ。「ゆかりさんは、間違いなくいいお嫁さんになりますね」――と。
今更ながらに恥ずかしくなる。なんで「和樹さんは卵と小麦粉をお願いしますね」と頼まれての返答が「いいお嫁さんになりますね」なのか。本当に、何を考えていたんだ当時の自分は。今の今まで記憶の彼方にすっ飛ばしていたのに、まさかゆかりさんの口から再びその言葉を聞くことになるなんて!
「あの言葉について、私、折に触れて本気出して考えてみるんですけど」
「いや忘れてください。ていうか、もう忘れてくれているものだとばかり」
「忘れられませんよ。だって卵と小麦粉お願いしたら帰ってきたのが『いいお嫁さんになりますね』ですよ。全然意味わかんないじゃないですか」
「デスヨネー!」
「で、本気出して考えてみた結果……」
ゆかりが、いつになく神妙な眼差しで和樹を見つめる。その瞳に籠った熱に、思わず心臓が大きな音を立てた。これは、まさか。いや、でもゆかりさんだし。けど、この流れなら。
「……どんな、答えが出たんですか」
静かに問うた和樹に、ゆかりは必死に言葉を探すように指を弄りながら、頷く。
「和樹さんの方が、絶対いいお嫁さんになるな――って」
「……はい?」
「だから、和樹さんの方がいいお嫁さんになるって結論に至ったんです」
「なんで!?」
想定外。斜め上どころか大気圏の外までぶっ飛んだ回答に、和樹はもうツッコまずにはいられなかった。さすがはゆかりである。いつだって彼女は和樹が百通りの可能性を準備しても何食わぬ顔で百一個目の言動を選択するのだ。実に侮れない。
声を荒げた和樹に、ゆかりはだってえ、と可愛らしい声を上げた。
「美人でスタイルよくて頭もよくて料理上手で気立てもよくて優しくてみんなから好かれて。和樹さんが奥さんだったら旦那さんは絶対に結婚生活ハッピーですよ! 私だって欲しい! 和樹さんみたいなお嫁さん! 毎日優しく起こしてもらって、美味しいお味噌汁作ってもらって!」
「それはもはや、お嫁さんというよりお母さんでは……?」
「子供ができた時のことも考えたんですけどね」
「こども!?」
また予想外の方向へと話が進んだ。




