24-2 ぬくもり(後編)
「え!? 9時すぎまであそこにいるつもりだったの?」
「補導されちゃいますかね?」
「いやいやいやいやソコじゃない。看板もあったでしょ? “変質者に注意”って! 女の子がひとりであんな場所で……ダメだよ」
人差し指を目の前に出しながらメッ! と小さな子供を窘めるような仕草。とても似合う。
「そんなこと言うおじさんは、あんな場所で何を?」
「僕は配達の帰りでね。正義のアンテナが、か弱い女のコの危機を察知したみたい」
パチン、とウィンクする。これまた似合う。
「これも何かの縁だからさ、9時までうちの喫茶店でデートなんてどうだろう? ああ、店番してる娘もいるから、おじさんとふたりきりにはならないよ? 女性もいる店なら安心だろ」
「喫茶店……」
「ちなみに僕のオススメはホットサンドと僕特製のブレンド」
「行きます」
「あはは、ダメだなぁ、おじさん心配になっちゃうよ、まぁ可愛いけどね。名前、聞いてもいいかい?」
「美紗です」
「オーケー、美紗ちゃん。じゃあ行こうか。僕のことは、そのままおじさんでもいいけど、店についたらマスターって呼んでくれたら嬉しいな」
「は、はい。わかりました、マスター!」
ぽんぽん、と大きな手で頭を撫でられた。
「さっきはとっさにアキちゃんって呼んじゃったけど、当たってなくて良かったよ。さっきの変質者に名前を知られたら怖いよね? 秋だからアキちゃん、なんて単純すぎるかなと思ったけど、今回はそれでちょうど良かったみたいだ」
大通りをしばらく歩いて、ここだよ、と示されたそこは通りに面していて、腰の高さ程の窓から眩しすぎないけれど明るい灯りが暗い夜道を照らす。
マスターを疑っていた訳ではないが、暗い地下のお店とかではなくて良かったと美紗はほっとした。
「ただいま」
カランコロンとドアベルを鳴らし、店内へ入る。
「おかえりなさい、マスター。あら……可愛らしいお嬢さんをナンパでもしてきたんですか?」
お姉さんがくすくす笑って冗談を言いながら迎えてくれた。
「ひどいなあ。せめて営業努力と言ってくれ」
マスターは苦笑してからくるりとこちらを向く。
「座りたい席とかある?」
「えっ?」
「喫茶店、好きなんでしょ?」
ハッとした。慌ててカバンを見ると雑誌がはみ出していて、少し恥ずかしい。
「か、カウンターが……その、手元とか見るのも好きで……」
「オーケー。では美紗ちゃん、こちらのお席にどうぞ。荷物は隣の席でも、足元のフックでも、好きなほうにね」
カウンターから出てきたお姉さんが、お冷やとおしぼりを出してくれたので小さく会釈を返す。
入れ替わるようにカウンターに入ったマスターが、優しげな表情で美紗に注文を訊く。
「ご注文は?」
「ぶっ、ブレンドとホットサンドで!」
にっこりと頷いて、カウンターの中でカチャカチャと作業を始める。
ゆっくりと、丁寧なマスターの仕事は見ていて癒やされる。BGMもきっと中年以上の人が懐かしいと思うような穏やかな洋楽のインストゥルメンタルで、空間の邪魔をしていない。
カウンターの脇に“マスターHappy Birthday”の色紙が置いてある。
雑誌では見たことのないお店だが、こういう地域の人に愛されてるようなお店は美紗の大好物だ。
「はい、お待ちどうさま。ブレンドとホットサンドです」
目の前から差し出されたコーヒーはとても美紗好みの香りだった。
まだブラックで飲むのは本当は少し苦手だけれど、苦味が程よく酸味よりも渋みがある、それでいてナッツのように甘い匂いのコーヒーはとても美味しい。
ほう、と息を吐き余韻を楽しむ。
ホットサンドはとろりと溶けたチェダーチーズとナチュラルチーズの2種類と、ハム、薄切りにしたピーマンと玉ねぎ、荒挽きの黒胡椒がアクセントになっている。
「おーいしーい!」
頬に手をあて目尻と眉毛をこれでもかと下げて美紗はその味を堪能する。
「そんな顔で言われたら作った甲斐があるなぁ」
マスターも笑う。
パクパクとホットサンドを食べ、そういえばお腹ペコペコだったなぁと改めて気づく。
マスターに感謝だとうんうん頷く。
ペロリと平らげて、時計を見る。21時まではまだまだ時間がある。
食べ終わったホットサンドのお皿を見るだけであの美味しさが甦り、思わずうふふと笑いがこぼれる。
「ホットサンド、そんなに美味しかった?」
微笑ましいものを見る柔らかな表情を浮かべながらお皿をさげに来たお姉さんに聞かれて即答する。
「はいとっても!」
「そっか。ふふ、美紗ちゃんはそんなふうに笑うのね。マスター、この顔見た? すーっごく嬉しかったでしょ」
そんな顔とはどんな顔なのか。火照り始める頬を両手で隠す。
スマホが鳴り、失礼します、とそれを見る。
兄から「早く上がれる事になったから連絡をくれ」とメールが来ていた。
「おにぃ…兄が、早く帰れるから連絡をくれって」
「お! 良かったね。送っていくから、どこに行けばいいか聞いてくれる?」
「いえ、さっきの駅に戻るだけなので……」
「じゃ、コーヒー飲んだら出ようか」
「はい。あ、お会計」
「お代はいらないよ。よかったらまた来てね。差し支えなければ、お兄さんもご一緒にどうぞ」
「……はい! 絶対来ます! ごちそうさまでした!」
はいこれ寒いから、と、マスターはまたジャケットを美沙の肩にかけ、はぐれないようにと手をつなぐ。
大人の男の人はこんな風にスマートにエスコートしてくれるのかとドキドキする。
「そういえば、前にもこんなふうに迷子の子供を交番に連れていったことあったなぁ」
頭をガツン! と殴られた気がした。
マスターにとってはこれはエスコートではなくただの迷子の案内だったのだと。
可愛い可愛いと頭をなでてくれたのは、ただ単にこども扱いしていただけ。
なんてバカなんだろう。勝手にときめいてドキドキ浮かれてしまった自分を、穴があったら埋めたくなった。
「そういえば進路悩んでるの? 受験生?」
「え? なんでですか」
「さっき、それっぽいことをぶつぶつ言ってたでしょ」
「いえ、そんな、別に。なんとなく。あと受験はまだまだ先です」
「え、待って、中学生だよね? まさか小学生? だとしたらこの時間まずい……」
「……っ! 高校生です!」
「うっそ! ごめん! あちゃー、ごめんね可愛い顔してたから。そっかー、立派なレディに失礼しちゃったね」
ごめんごめん、と顔の前で手を合わせペコペコと謝る。
その顔すら格好良く見えるなんてずるい。
そして自分の童顔が憎い。きっとこのショートヘアがますます童顔に見せるのだ。髪を伸ばそうと決意した。
「はっ! もしかしておじさんに手を繋がれるのって、キモかった?」
気まずそうに聞くところは少し可愛い。
「……悔しいけどドキドキしました」
「そう? ならいいか。じゃ、仕切り直そう。はい、どうぞお姫様」
指の長い、大きな手を差し出される。
迷ったがそっと自分の小さな手を乗せる。
ふわりと、あたたかく包まれる。
肩のジャケットからは同級生や兄からは嗅いだことのない、オトナの良い匂いがする。
そのまま駅まで送ってもらって、お兄ちゃんが来るまで一緒に待ってもらって……と言っても5分くらい。
兄に挨拶をしてジャケットを引っ掛けながら颯爽と去っていく後ろ姿にオトナの色気を感じて、またドキドキした。
怖い思いもしたけれど、じんわりとした初恋みたいな大事な思い出。
今では兄も私も、すっかり喫茶いしかわの常連だ。
ということで、マスターがイケメンを発揮するお話でした。
なんか、絶妙なポンコツが混じってる気もするけど。
ちなみにマスターが美紗ちゃんを見つけられたのは、実はわらしくんが案内してくれたおかげです。
美紗ちゃんにはわらしくんは見えないので、気障なセリフでごまかしてます。
今回はわりと定番というかステレオタイプな場所で変質者に遭遇してもらいましたが、正直、別に迂闊な場所に踏み入らなくても、どこにでもいますよね。
人気のある明るいところは、遭遇する確率が少し減るだけというか。
私が遭遇したのだと、明々と電気がついたショッピングモール内の本屋に出没した露出狂とか……正直ドン引き。
落ち度があるから被害に遭うって偉そうに言われてもね、ショッピングモールや本屋に行くのが、普通の生活するのが落ち度かよ! って反論しか出て来ないのです。
ま、そういう人は得てして満員電車に乗るから痴漢に遭うとか偉そうに言うんですけど、それがどれだけダメな発言なのか、おそらく気付いてない。
実行に移す人数というか割合は少ないのかもしれませんが。たった一人が何十、何百の被害者を生み出すんですよね。はぁ……。
ホントこんなの、日常の一部と呼びたくない。
最近ちょいと重ためのテーマを入れた話が続いたので、次回からは甘々です。モブさんの和樹&ゆかり観察報告。




