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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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255-4 if~とろけるキスをしたのなら~(後編)

※ちょこっとだけ、夜のニオイのするお話なので、苦手な方は自衛してくださいね。

 案の定車内は無言だった。

 おそるおそる横を確認してみるが、和樹さんは真っ直ぐ前を向いたまま微動だにしない。

 しかし今は、先ほどの怒りと言うよりは何か決意したような強い眼差しを前に向けていた。私は慌てて視線を戻すと、少しでも落ち着きたいとスカートの上で手を組みぎゅっと握りしめた。

 と、その時、私は気がついてしまう。

 あれ? いつもと道が違……う?


「あの、和樹さん……」

 私は慌てて問いかける。いつもの自宅への道とは、まったく違う場所に向かっているみたいだ。

「なに?」

「その……どこに行くんですか? 私の家はこっちでは……」

「ホテル」

「へ?」

 思いがけない回答に一瞬息が止まった。いや、さすがに聞き間違いかもしれない。

「え……あの……今、ホテルって言いましたか?」

「うん」

 どうやら聞き間違いではないらしい。


「ちょっ……ちょっと待ってください!」

 私は大慌てで止めようと和樹さんに向き直った。和樹さんはチラリとこちらを見たけど、止まる気配はまったくない。

「なんで? 待たないよ」

「いや、でもホテルって……どうして……」

 私はまたしても必死に問いかける。和樹さんのこの突然の暴走に、先程の酒井さんとのことが関係しているのは分かっているけど、詳しい理由が見つからない。

「ゆかりさんは何にも分かってないみたいだから、もう先に自分のものにすることに決めた」

「ええ……でもそんな……なんで……」

 私が訳が分からず震えた声を上げると、ようやく和樹さんはこちらを見てくれた。チラリとミラーを確認し、車を道の端にゆっくりと停車する。


「ホテルが嫌ならゆかりさんの家でもいいよ。まぁ、うちでもいいんだけど、何にもない部屋だし、どうせなら大きいベッドとかの方がいいでしょ?」

 和樹さんはそう言うと、少し首をかしげて私の顔を覗き込んだ。

 私はなぜこんなことになっているのか訳が分からない。そのせいで押し黙っていると、返答がないことに痺れを切らしたのか、シートベルトを外し和樹さんがこちらへ迫ってきた。

「別に車の中でしてもいいんだよ、僕は。褒められた行為じゃないけど」

 そう言うと和樹さんは口角をあげて自嘲気味に笑った。


 私の目からは、その瞬間大粒の涙が流れ出てしまう。

 私はこの関係をはっきりさせたかっただけなのだ。酒井さんに言ったことだって、正式にお付き合いを申し込まれていないのだから、そのまま本当のことを言っただけだ。それなのに、なぜ今更こんな強引なことをされようとしているのだろうか。

 そんなたくさんの感情が溢れ出てしまい、涙が次から次へと、ぼろぼろと溢れてしまう。

 それに慌てたのは和樹さんの方だった。まさか号泣するとは思っていなかったのだろう。


「ゆかりさん……! ごめん、ごめんね……車の中でとかあれは冗談だから……まさか本当に車でなんかしないから……」

 そう言いながらハンカチを取り出して、必死に涙を拭ってくれた。

「本当にごめん。泣かないで」

「ちがう……ちがうの……」

「違う……?」

 私は涙を流しながらも必死に声を上げた。

「わたし……和樹さんとの関係が……っく……何なのか分からなくて……それで……」

「え……何って恋人……だよね? ゆかりさんはそう思ってなかったみたいだけど……」

「え……?」

 その言葉に私は驚いた。涙もピタリと止まり、真っ赤な目で和樹さんを見上げる。

「恋人……?」

「そう……もちろんそのつもりだったんだけど」


 和樹さんもそこで、この事態の根本原因に気が付いたらしい。 ハッとした顔をして、慌てて口にした。

「もしかして伝わってなかった?」

「だって、ちゃんと告白されてなかったし……」

「いや、最初に家に送った時に伝えたつもりだったんだけど……」

 自信がなくなったのか和樹さんの声もだんだん小さくなる。私も思い返してみるが、何となく好意は伝えられたが、はっきりとした言葉はなかったはずだ。


「いや……本当にすみません……あの……完全に僕の言葉足らずでした」

 和樹さんは自分を責めるようにガシガシと頭をかくと、その直後に深々と頭を下げた。

「その後、キスもしたし……受け入れてくれたから僕はてっきり……」

「あの……私もはっきり聞かなかったから……ごめんなさい」

「いや、ゆかりさんは悪くないです。僕が悪い」

 和樹さんは優しくそう言って抱き寄せてくれた。その瞬間、落ち着く香りが私の心までも包んでいく。


「ゆかりさん。改めて告白します。あなたが好きです。お付き合いしてくれますか?」

 しばらくして私が落ち着いた頃、和樹さんは私を抱きしめたままそう言った。

 私は「はい。お願いします」とコクリと頷くと、和樹さんの胸に深く顔を埋めた。

「ごめんね、本当に……いや、でも良かった……さっきはこの世の終わりかと思ったんだ。あの男との話を聞いて」

 和樹さんは私の頭を優しく撫でながら、心から安心したように呟いた。

「私もごめんなさい」

「ううん、大丈夫だよ」

「あっ!」

 私はそこでもう一つ疑問が思い浮かんだ。この際だから聞いてしまおうか。


「ん? どうしたの?」

「あの……その……こんなこと聞くのも変かもしれないんですけど、帰り際にキスする時としない時があったのはどうしてなんですか……?」

 恥ずかしかったが勢いで聞いてしまった。和樹さんは一瞬目を大きく開いてから「あぁ」と言って小さく笑うとこう言った。

「僕も答えるの恥ずかしいんだけど、キスしたら止まらなくなりそうだなって日は触れるだけにしたんだ。本当は、ちゃんとデートして、時間かけて、それでそういうことをしたかったから」

 和樹さんは照れくさそうに頬をかく。

 そして「ゆかりさんとのことは、本当に真剣に考えてるから」と言うと、ちゅっと軽く口づけてくれた。

「和樹さん……」

 私はその気持ちがとても嬉しかった。

 少しだけすれ違ってしまったけど、お互いの思いは同じだったのだ。


「ゆかりさん……でもごめん。ちょっと今日は止まれないかも」

「え……?」

 和樹さんはそう言うと「ゆかりさんの家に行ってもいい?」って、色気を含む視線を向けてきた。

 一度落ち着いた感情が、鼓動が、また激しく湧き上がってきてしまう。

「は、はい……」

 私が真っ赤になりながら素直に頷くと、和樹さんはあからさまに大喜びして、素早くシートベルトを着けると愛車を動かした。

 私はそんな素直な反応に思わず笑ってしまう。仕事ではきっと厳しい人で、感情を押し殺すことも多いのだろう。だけど、せめて私の前だけでも、こうして素直な気持ちを表してほしかった。


「じゃあ、今夜はたくさんお話できますね」

「そうだね。でもまぁ、落ち着いて話す時間なんかあるかなぁ……」

 和樹さんはそう言って意味ありげにウインクした。一拍遅れて私が言葉の意味を理解し、さらに赤くなると「本当にゆかりさんは可愛いね」と嬉しそうに微笑んだ。


 そうして同じ気持ちを確かめあった二人は、私の家へと急いだ。

 今夜はきっと生涯忘れられない、素敵な夜になることだろう。


 私は、和樹さんの優しい横顔を見ながらそう思い、ふわりと軽やかに笑いかけた。


 『喫茶いしかわ』を書き始めるにあたって、ゆかりさんと和樹さんがくっつくまでの過程についてのプロットはいくつか考えていて、そのうちのひとつをリサイクルしました。

 ちなみに、どノーマルなのは「カウンターごしの恋」(11月1日発売予定。ISBN-13:‎978-4815029425)として製本しました。


 これはこれで、話としては成立しているとは思うのですが、ここまで読んでいただいた皆さまは、私が「本編ではちょっと……」とボツにした理由もなんとなくおわかりいただけたのではないかと。


 今ならこれもifシリーズのひとつとして楽しんでいただけると思うのですけれど。

 このふたりだと、なーんか、アカン方向に勘違いしてすっ飛んでいく気配がするというのかしら。

 こんな経緯でできあがった妻を溺愛する夫じゃあ、妻の意志を無視して束縛する存在になる気しかしないんですよ(苦笑)

 喫茶いしかわはホラーやサスペンスじゃなくて楽しいお話にしたかったので、かなり早い段階でボツにしてしまったのでした。ちゃんちゃん。


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