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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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254 めい探偵ゆかり

 和樹さんがちょっぴり気持ちを自覚しつつも積極的に行動を起こさなかった頃のおはなし。

 それは和樹が珍しく、本業によるいきなりの欠勤や遅刻もなく、三日連続でシフトに入った時のことだ。

 かき入れ時のランチタイム。目が回るような忙しさをテンポよく息のあった連携プレーで乗り切り、最後のお客様を笑顔で見送ったところでくるりとゆかりが和樹の方を振り返った。

「さすがにお腹空きましたねぇ。あの、今日の賄い、よかったら私に任せてもらえます?」

 得意げにつやつやとした笑顔を向ける。


 ははーん。この顔は何か考えがあるんだな? 和樹はそう気付いたが、あえて乗ってみる。

「それは構いませんけど……どうしてです?」

 眼前に整った顔が近づいて、ゆかりはうっと短く唸って飛び退った。

「もももももう! 和樹さん炎上、炎上!」

 手をじたばたと真っ赤な顔の前で振り払う。その様子が面白くて、和樹はわざとそうすることがよくある。今日もゆかりが頬を膨らませて怒る、その仕草が何とも和む。和樹の心がゆるりと、ほんのひと時、緩む瞬間だ。

「で、何を作ってくれるんですか? 何か考えがあるようでしたが」

 あまり意地悪をしても良くない。もうとぼけないでそういうと、片付けが終わり役目を済ませたトレイをカウンターに置き、自分もその脇に座った。

「もう、和樹さんったらまったく……まあいいです。それより、和樹さんに失礼かと思ったんですけど、私の推理を聞いてほしくて」

 ゆかりは和樹を椅子ごと店内の方に向けた。

「ほう、推理」

「ええ。だからそっち向いててくださいね」

「いいですよ。わかりました」


 この僕が人に背後を向ける、か。

 誰もいない店内、一人そう心の中でつぶやく。安心して何もこだわらず、心から寛いでこうして背中を向けられるこのひと時。ゆかりは与り知らぬことだが、それがどれほど和樹に癒しを与えていることか。

 三日連続でシフトに入って正解だった。そのために三夜徹夜しているが、それを凌駕するほどゆかりの声は優しく、この空間は心地いい。

 ぼうっとそんなことを考えていると、一つ咳払いをしてゆかりの名推理が始まる。

「一昨日、賄いはチキンライスでした」

「ああ、ゆかりさんがオーダー間違えて余っちゃった、あの」

「それはもう忘れてください! その時、和樹さんいつもより召し上がってました」

「そうでしたかね? たまたまですよ」

 内心ギクリとする。和食好きで米をこよなく愛する癖をあまり知られたくない。


「でも、決定打は昨日です」

「決定打……もらった高菜で作ったチャーハンが?」

 もらったと言うのは嘘である。徹夜が続く予定なので、しっかり栄養を取らねばとたらふく食べたのだった。

「美味しそうに、た~っくさん召し上がってました」

 ふわっとしているようで、意外にゆかりは人の芯をよく見極めている節がある。しまったな、気をつけねば。

「いやあ作った責任取らなくちゃと思ったんですよ。貰い物だし消化しないと。ゆかりさんにもたくさん食べてもらって。その節はご協力ありがとうございました」

「何でそうちょいちょい要らないこと言うかなあ? ……まあ、いいですけど!」

 背中越しにゆかりが作業している音を話しながらも聞いている。おおよそ調理するような音があまり聞こえて来ず、代わりにタッパーを開ける音などがする。作り置きで賄いにちょうどいい品などあっただろうか。和樹は喫茶いしかわの冷蔵庫の中身を思い出しながら話を続ける。


「ねえゆかりさん。それで推理と調理はどうなってるんでしょう? 僕、お腹すきました」

「もうちょっとだけ待ってくださいね……よし! さて以上のことからワタクシは推理……と言うか、推測しました! もういいですよ!」

くるりと振り向くと、カウンターに真っ白なおにぎりといろいろな種類の野菜……漬物だろうか。それと卵焼きが乗っていた。

 ゆかりは熱い緑茶を淹れながら、結果を告げる。

「ワタクシの推理は和樹さんは見かけによらず和モノが好き、と言う答えです……どうでしょう?」

 カウンターに肘をつき、和樹は口を覆った。なんてこった、やばい百点満点じゃないか!

 しかしここで装甲を崩しては元も子もない。慌てて和樹は営業用の仮面を強く引き寄せる。

「ゆかりさん中身におばあちゃんでも入ってるんですか? うわあ昭和なお昼ですねえ」

 にやにや緩む口元を隠してそう茶化す。

「まあそう言わず! はい」

 おにぎりを一つ掴み、和樹に差し出す。


 できればこのままあーんして食べたい、是非食べたい! 心の中でわめき散らしながらも、和樹は何の気もない体を装ってをそのおにぎりを受け取った。

 ぱくりと食べると、ちょうどいい塩加減が身体中に染み渡る。その味付けは米のうまさを一切邪魔することなく、シンプルイズベスト。口に入れればほろりと解けるその握り具合も絶妙だ。つい本音が溢れる。

「うまい……」

 ふふっと満足げに笑って、ゆかりは箸で和樹の取り皿に野菜の一片を乗せた。

「和樹さんでも“うまい”って言うんですね。それで? 私の推理、合ってますか?」

 その声に和樹はハッと気を取り直す。

「うーんどうでしょう? 取り立ててすごい和食好きって訳でもないな。普通ですよ」

 まるっきり嘘である。

「でも塩握り、とても美味しいです」

「うーん当りでも外れでもないかあ。やっぱり推理って難しいですね」

「そりゃあそうです」


「じゃあ、その名探偵さんに私から問題!」

 この人は塩握りより美味そうだな。三徹明けのろくに働かない頭の隅で和樹はそう思う。

「これ、私が漬けたんですけど、何かわかります? 食べてみてください」

「え? ゆかりさん自分で漬けるんですか?」

「そんな本格的なものじゃないですよ。以前、お客様に旅行の間お願いってぬか床預かって以来、何となくハマっちゃって」

 促されて取り皿に乗せられた野菜の一片を口に入れる。筋のある野菜は弓なりで、こり、と良い音がする。そして、鼻に広がるこの香り。

「……まさか、セロリ?」

「ああんもう和樹さん完璧過ぎ! 当たりです!」

 ゆかりは悔しげにがぶりとおにぎりに噛み付いた。

「いや、驚きました。すごいな。セロリが違和感なくぬか漬けになってる……うん、すごく旨いです」

「ふぉんほにー?(ホントにー?)」

 口いっぱい頬張って、まるでハムスターのようなその膨らんだ頬にとうとう和樹のたかが外れた。


「ぷっ…ゆかりさん! 笑わせないでくださいよ!」

「へ? へふにわらあへてないれすよ!(え? 別に笑わせてないですよ)」

 この数日の和樹の様子から、一生懸命考えて好む賄いを用意してくれたり、今どきの若いお嬢さんなのにぬか床なんて渋い趣味があったり。特出した何かはなくても、和樹にとってゆかりは、もうかけがえのない人だ。

 ひとしきり笑うと、和樹は残りのおにぎりを咀嚼し飲み込んでから真顔でゆかりに向き直った。

「ゆかりさん、僕こんなに心のこもったお昼ごはん、初めてです……ありがとうございます」

「え? えへへ……当てずっぽうでしたけどね」

 ふわりと笑うその顔に、和樹の心の奥がぎしぎしと軋む音する。


 こんなにも温かく、こんなにも愛しい時間。ゆかりが提供してくれるこのひと時に、このまま身を委ねてしまえたら……叶わない夢だとしても、せめて永遠に失わないために、これ以上はきっかりと蓋をしなければならない。それでも、わずかに和樹の本音をほんの少し滲ませ、奥歯で噛み砕くようにしてにっこり笑った。

「ゆかりさん本当にいいお嫁さんになれますね」

「絶対そう思ってない痛烈な賛辞、アリガトウゴザイマス」

「ええ? やだなあ。……じゃあ僕のお嫁さんになってそれ証明します?」

「だーかーら! 思ってもない事言うのやめましょうってば! 炎上しちゃうー!」

 午後の喫茶いしかわに和やかな和樹の笑い声が響いた。本当に、明日も明後日も、このまま永遠にシフトに入れたらいいのに。

「それにしても卵焼きさっき作りました? そんな音してたかなあ?」

 もぐもぐとおにぎりを次々屠りながら和樹は素朴な疑問を口にした。

「ああ、それ家で作って冷凍してたんです。着いて昼ごろ解凍で丁度いいかなあって」

「卵焼き、冷凍できるんですね」

 本当にゆかりの中におばあちゃんかその知恵袋が入ってそうだ。和樹は再び人好きのする、それでいてちょっぴり人の悪い笑顔を向けた。

「ほら! ゆかりさんやっぱりいいお嫁さんになれますって」

「アリガトウゴザイマス! でも和樹さんはまっぴらごめんですからね!」

「ええー? 傷つくなあ」

 炎上する心配がなければ、まともに候補として考えてくれるのだろうか。これでも一応高給取りだし、条件は悪くないと思うんだが。今度聞いてみよう。


 和樹はしばらく喫茶いしかわに来られない日々を思って、その質問とゆかりのぬか漬けのおすそ分けを楽しみに、大事に残すのだった。


 なんというか、その後を知っていると本当に無駄な抵抗ですよね。

 すっかりメロメロなくせに……っていう。

 ちなみにゆかりさんは、「145 セロリは薬じゃありません」で看病に行ったとき冷蔵庫にセロリしかなかったことを思い出し、それほど好きなら……と漬物にしました。



 あと、一応のご報告。

 割烹とかで予告はしてましたが、先日、自己出版をすすめるにあたり、なろう版のタイトルに「Web版」をつけました。それ以外を大幅に変更する予定は特にありません。


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