253 わんタンといっしょ
真弓ちゃんが二歳か三歳くらいの頃のお話。
「はいこれ」
靴を履いた和樹に、足元に置いてあったボストンバッグをゆかりが持ち上げて渡す。
「ごめんね、ゆかりさん。ただでさえ子供たちの洗濯物が多いのに僕のまで増やしてしまって」
「いいんですよぉ、このくらい。最近、夕立が続いてましたからね。濡れた服を着続けて風邪ひかれるより洗濯物が増えるほうがいいです」
泊まり込みだなんだと突発で発生することが多く、着替えのストックを会社に置いている和樹だが、最近毎日のように続いている横殴りの大雨だの夕立だののせいで、営業先から戻ると会社で着替える機会が多く、あっという間に着替えが尽きてしまったのだ。
「ありがとうゆかりさん。いってきますね」
「はい、いってらっしゃい和樹さん」
和樹はゆかりを抱き寄せ、いつもより数センチ近い彼女の唇にチュッと触れて、おでこをこつりと合わせてから抱きしめる。力を込めすぎないよう細心の注意を払いながら。
どちらからともなくふふふと笑いあうと、ぽてぽてと小さな足音が聞こえる。
ちょっと眠そうに、両手でお気に入りのうさぎデザインの枕を抱えながらやってきた真弓だ。
「おとーしゃ、おかーしゃ、おあよ」
「あら真弓ちゃん、おはよう。お父さんのお出かけに間に合ったねぇ」
ゆかりは早々に和樹との抱擁を解き、真弓をぎゅっと抱きしめた。真弓がふへへと表情を弛める。ちなみに和樹は娘の前なので、ゆかりのぬくもりが離れていったガッカリを必死で隠している。
「真弓、おはよう」
ゆかりが腕を解くと、真弓は和樹の前に行く。和樹が真弓を抱き上げると、真弓はぴったりとくっつくように顔を和樹の肩に寄せた。
「おとーしゃ、いってらっしゃいのおじかんなの?」
「うん、いってくるね」
「ん。おちごとがんばって。いってらっしゃいのちゅー」
和樹のほっぺにぶちゅっと唇をつける真弓。
「ははは。ありがとう。真弓にはいってきますのちゅーだね」
和樹は真弓のおでこにちゅっと小さくリップ音を立てると、真弓をゆかりに渡す。改めてバッグを持ち直し、ドアを開けた。
「それじゃ、いってきます」
「はーい。真弓ちゃん、お父さんにいってらっしゃーい!」
ゆかりは真弓の手をとって一緒に和樹に向かってふりふりした。ふたりの笑顔を目に焼き付けて、和樹は出社した。
会社に着き、今日は会議とデスクワークだったなと準備を進める。あらかた済んだところで足元に置きっぱなしの着替えを詰めたボストンバッグの存在を思い出した。鞄の中でしわだらけになる前にロッカーのハンガーにかけておこうとファスナーを開け、片付け始めた。
「……ん?」
背広にもワイシャツにも見慣れない色が入っている。なんだろう? と首を傾げて取り出してみた。
「……わんタン?」
それは、どう見ても娘のお気に入りの人形だった。さすがの和樹も一瞬理解が追いつかずに固まる。ああ、そうか。母の目を盗んで入れるという悪戯をしたのか。そうか、そんなことができるほど成長したんだなぁ。なんだかしみじみしてしまう。
「おはようございます。……石川さん、どうしました?」
出社してきた長田がいぶかしげに聞いてきた。それはそうだろう。出社して目に飛び込んできたのは人形と見つめ合う和樹だ。
「ああ、うん。娘が妻の目を盗んで入れたみたいでね」
「ああ……以前お会いしたときはまだ離乳食を食べていた赤ちゃんだったのに、成長が早いですね。あっという間に大人になってしまいそうです」
「ほんとにな」
いい歳したおっさんふたりで朝からしんみりしてしまった。
「さてと、せっかくだし、コイツと写真撮って送ってやるか。ゆかりさん、さぞびっくりするだろうな。長田、写真頼んでいいか?」
くすりと笑って言うと、長田は一度横に首を振る。眉を片方上げて続きを促すとニヤリと笑って答えた。
「いいえ。どうせなら、思い切り格好良くおふたりが仕事をしている姿を撮影して送りましょう」
「なるほど。それは面白い」
写ってはいけないものが写らないように、でも格好よく仕事をしているように、積み上げる書類の高さもパソコンの向きも、したり顔っぽく見えるわんタンの角度も、長田と共に考えに考えて、これ以上はないというくらいデキる男二人の姿を作り上げた渾身の一枚を撮影し、ゆかり宛に送信した。
ピロン。
ゆかりが大量の洗濯物を室内干しし終わったところでメッセージが届いた。
「和樹さんから? こんな時間から珍しいなぁ。……ぷっ。真弓ちゃーん!」
それは「僕の鞄に潜入していた彼と仕事中」という一言と共に送られてきた、これでもかというほどバッチリキメキメな和樹とわんタンのお仕事写真だった。
真弓はゆかりに差し出されたスマホに表示された写真を見ると、ぱぁっと表情を明るくする。
「あーっ、わんタン! しゅてき! かっこいい!」
ご機嫌になった真弓に、この日だけでも何度も父とわんタンの写真を見せてほしいとせがまれたゆかりは、帰宅した和樹にその様子を話した。
そうかそうかとご満悦だった和樹は、その後も何度か「仕事中のわんタンと僕」シリーズの写真を撮り、ゆかり宛で送信した。たまに、違いのわかる男っぷりをアピールするかのような「休憩中のわんタンと僕」も送っていた。
その後、和樹の部署では子供に見せる「お仕事中のお父さん」写真として、子供がお気に入りの人形やキャラクターと一緒に仕事をするこの構図がよく使われるようになったらしい。
こんな写真撮影できる職場がどのくらいあるのかわかりませんが、和樹さんのところではできることにしました。部下持ちで窓を背中にできる席にいるってことでひとつ。
いや、普通はそれなり以上の規模の会社だと、職場の撮影には許可が必要なケースが多いはずなので。
いやー、どんなお仕事写真送ったのか気になりますねぇ。
1枚目はデスクワークだけど、営業に出かけるところだったり、休憩室で喫茶いしかわからテイクアウトしたコーヒー飲んでたり、もしかしたらプレゼンで熱弁ふるってそうなシーンもあるのかな。
ネタ的に、ブラインドの隙間から外を観察してる写真とかもありそうだな。
(あれは「西○警察」でしたっけ?)




