242 食いしん坊調査報告書 ハニートースト
▲月□日 ハニートースト
「おはようござ……あれ、ゆかりさん風邪ですか?」
今日の出勤はゆかりさんのほうが早かった。先に来ていた彼女がマスクをつけているのを見て、僕は目を瞬かせる。
「違うんです、昨日久々に友だちとカラオケ行ったら喉やっちゃって……」
そう困ったように瞳を細める彼女の声は、たしかに少し枯れていていつものハリがない。
彼女もその友人も若い。まだまだ遊びたい盛りだろう。たまにはそうやってハメを外すことがあってもいいだろう。
「なるほど。今日はなるべく僕が注文を取るようにしますね」
「ありがとうございます!」
僕が気遣うと、ゆかりさんは彼女らしいふんわりとした笑顔を浮かべた。
ゆかりさんの笑顔を見ると、今日も喫茶いしかわに来たなという実感がわくから不思議なものだ。
連休を持て余し単なる時間潰しからスタートした喫茶いしかわでのバイト……もといお手伝いも、気付けば僕の生活の一部になってしまっている。
それだけ馴染めているというのは悪いことではないはずだけれど、少し、危機感のようなものを覚えたりもする。ここは、あたたかすぎるから。
「そういえば、そのカラオケ屋さんのハニトーがおいしかったんですよ」
「はにとー……ああ、ハニートーストですか」
「はい! 表面はカリッカリで、はちみつがじゅわ~っと染みてて、ほっかほかで、冷た~いアイスと一緒に食べると口の中がすっごく幸せでした……」
ゆかりさんは反芻するようにうっとりと目を伏せて、ほっぺをおさえるようにしながら幸せそうに語る。
本当においしかったんだなぁと苦笑をこぼしたところで、ふと気付いた。顔が半分以上隠れているのに、目元と声の調子だけで彼女の表情が完全に脳内補完できてしまう。
それだけ彼女と一緒の時間を過ごしているんだと、わかっていたはずのことのに、軽く衝撃を受けた。
喫茶いしかわでのひとときは穏やかすぎて、まるで夢のようで、普段の和樹が住む世界とは果てしなく遠い場所に存在していて。なのに、気付けばこんなにも自分の中に積み重なっていた。
背負うと言うほど重くなく、けれど簡単に捨て去れるほど軽くもない“喫茶いしかわにいる和樹”としての日常を、どうやら僕は……わりと、大事に思っているようだ。
「今日のまかないはハニートーストにしましょうか? パンが余れば、ですけど」
「和樹さんのハニトー……! ぜひ!」
キラキラと瞳を輝かせて喜ぶ彼女は、もし僕がいなくなったなら、どんな顔をするんだろう。
一瞬浮かんだ考えは、想像する前に頭から排除した。




