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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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22 コロッケWARS

 花屋の店員さんの機転のおかげで妻と笑顔で夕飯を食べ、短く感じる夜には妻ととても良好な関係を保ち、翌日はまだ赤子とさほど変わらないのに成長を実感できる子供たちと過ごすことができた。

 どう子供たちの相手をすればいいのかわからず右往左往し妻に助けを求め、子供たちが昼寝をする頃にはどっと疲れが押し寄せ、子供たちが寝ている隙にとふたりで協力して家事を片付けた。

 子供たちの世話の大変さを改めて実感する。

 とても、とても有意義な休日を過ごすことができた。


 和樹は半月ほど前の失態を思い出す。

 あんな失態はもう二度としてはならない。拳を握りしめ、改めて誓った。



 ◇ ◇ ◇



 その日、朝から和樹の機嫌は最悪で、部下の面々は戦々恐々としていた。

 そこへ和樹の同期で直属の部下の長田が会議から帰って来た。デスクに着き、パソコンの業務メールをチェックすると、なんと今現在同じ部屋にいる仲間達から続々とメールが届く。


>緊急避難警報発令中

>長田さん、石川さんの機嫌どうにかして!

>俺はもう、帰りたい……ってかもう、こんな仕事辞めてやる!

>助けて下さい(泣)

>ブラックか? ブラックなのか? ブラックなんだな?


 長田はやれやれと肩を竦めると、和樹の前へ移動する。

「石川さん、本日の議事録です」

 和樹はジロリと長田を睨むと、行儀悪く未決箱を顎で指す。

「来週の大型会議の件ですので、お早めに印鑑が欲しいのですが」

「後で見る」

「変更点は軽微です。付箋がありますので、今すぐお願いします」

 和樹は、はーっとわざとらしく大きな溜息を吐くと、「いいか」と、すぐ隣の会議室を指さす。

「何か?」と、わざとらしく問えば「内密の話だ」と返ってくる。

 内密ねえ……と長田はこっそり息を吐く。


 会議室に入るなり、和樹は上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩め「あーあ」と椅子にどっかりと座る。長田はその前に直立不動で立った。

「本日はお加減が悪いのでしょうか?」

「加減? ……そうだな。強いて言えば、昨日の夕飯が原因だ」

「え? 食あたりですか? 病院へ行かれましたか?」

「まさか。腹具合は絶好調だ」


 あーもー面倒くさいな。

 長田だって暇じゃない。出張で溜まった事務仕事が積み上がっているのだ。

 書類を作り、修正し、印鑑もらって、部数をそろえ、会議にかけてプレゼンし、また修正、お偉いさんの一言で新たに書類を作って、印鑑もらって、関係部署あちこち駆け回って話を煮詰め、また会議して……つまり、こんな上司とこんな所で無駄話している場合じゃないのだ。


「それでは言い方を変えましょう。御機嫌が悪いのでは?」

 和樹は、じろりと長田をねめつける。

「そうだな。機嫌がいいか悪いかで言えば、良くはない」

「理由をお尋ねしても?」

「だから夕飯だって」

 長田の唇の端がひくひくと動く。

「そのこころは?」

「だってさ、昨日の夕飯コロッケだぞ」

「コロッケ、いいじゃないですか。私は好きです」

「俺だって好きだよ。ゆかりさんのコロッケはポテトとひき肉だけのシンプルな中身だけど、サクサクですごく美味しいんだ。ソースだって手作りだぞ。トマトかデミグラス。俺はトマトソースの方がさっぱりしていて好きなんだが、子供は甘いデミグラスの方が好きらしくて、この頃はデミグラスが主流だ」

 一体何の話だよ! と突っ込みたいのを長田は我慢して、冷静に話を続ける。


「では、何の問題が」

「だから! ゆかりさんのコロッケ『は』だよ。昨日のコロッケは近所のスーパーの水曜市、5個250円だったんだ。ソースだって弁当用の小分けされたとんかつソースだぞ」

「それは、奥様もお忙しいでしょうし」

「しかも、俺の顔見て『あ、もう帰って来た』って言った」

「それは、石川さんが珍しく早く帰宅されたからでは」

「自分の家に帰って、もう帰って来たって言われて、出てきた夕飯が出来合いのコロッケ」

「はあ」


「で、今日は大変だった。子供を保育園に連れて行けば大泣きして中々離れないし、喫茶店は忙しいし、バイトが急に休んでラストまでになっちゃったし、保育園に迎えに行ったら待ちくたびれて寝ちゃってるし、無理やり起こしたらぐずるし、だからご飯作る暇がなかったとか言い訳するし。俺、言ってやった。そんなに大変なら働くの辞めればいいだろって」

「うわ、最低……」

「あ゛? 今、なんつった?」

「いえ、何も」

「俺の稼ぎで十分暮らせるんだからさ、専業主婦になればいいんだよ。働いてるからそうやって忙しい、忙しいって文句言って、手抜きするんだから」


「お言葉ですが、旦那は仕事の鬼で帰宅するのは毎晩深夜、しかも出張だなんだと帰らない日も珍しくないほぼ母子家庭状態なのに、仕事をして、買い物して、ご飯を作って、洗濯して干して畳んで片付けて、お風呂掃除して、ゴミ出して、お子さんを育て、時折ご実家のペットの世話までして、毎日くたくたに疲れているのに、たまたま勝手に早く帰って来たご主人から『チッ、出来合いの料理かよ、だったら仕事辞めろ』と言われた奥様の気持ちを思うと、私は涙を禁じえません」

「え……」


 和樹はたじろぐが、何とか態勢を立て直す。

「……お前、泣いてないじゃないか」

「内心では大号泣です」

「それに、俺はそんな言い方してない」

「意訳です」

「俺が悪いのか?」

「いえ。各家庭でそれぞれご事情はおありでしょう。私の今の発言は個人的見解です」

 さすがに和樹もむくれる。

「もう、いいよ」

「おや、もし、お気を悪くさせたら申し訳ありません」

「全然思ってないくせに!」


「では、石川さんは奥様がおとなしく家で家事や育児だけをしていればいいと」

「そうすりゃ楽だろ」

「しかし……以前あなたが惹かれたのは、喫茶店で、明るく生き生きと働いていた看板娘さんだったのでは?」

「………」

「あなたが恋に落ちたのは、いらしてくれたお客さんに、ほんのひと時でもほっとしてもらうために、丁寧に美味しいコーヒーを淹れる彼女だったのでは?」

「……う」

「あなたが焦がれたのは、笑顔を絶やさずくるくるぱたぱた働いている姿だったのでは?」

「……ぐっ」


「おっと、無駄話が長くなりました。それで、内密のお話とは?」

「……長田、午後、有給取っていいか?」

 長田はにっこりと笑う。

「もちろんです。こちらにハンコさえいただければ、全然OK。ノープロブレム! むしろ人事部から石川さんの勤務状態について指導がガンガン入っていますので、願ったり叶ったり。ついでに明日も休んでください」


 和樹は、長田が差し出した先程の書類をチラ見して印鑑を押し、立ち上がりざまに上着を掴むと、後ろも見ずにばたばたと出て行く。

「やれやれ」

 長田がネクタイを緩めていると、会議室の外から「石川さん帰宅!」「午後有給!」「万歳!」「ハラショー!」「やったー!」と同僚の歓声が響いてきた。



 和樹が帰宅すると、ゆかりがキッチンでくるくると働いている。

 鍋の中では、肉と野菜がジュウジュウと炒められている最中で、キッチンに暖かい良いにおいが広がっている。

 今夜はカレーか。シチューか。


「……ただいま」

「え? 和樹さん? お仕事は?」

 ゆかりが菜箸片手に振り返る。

「うん……部下が有給取れ取れってってうるさいから」

「そうなの? 良かったですね。お帰りなさい」

「うん……ただいま……それで、昨日は」

「はい?」

「昨日は、言い過ぎたかなあって」

 ゆかりはふふっと笑う。

「ですねえ」

「その……怒った……よね?」

「怒ってませんよ。ぜーんぜん」

 ゆかりは鍋の中を菜箸で、かき混ぜる。


「ゆかりさん」

 和樹は手っ取り早く妻の機嫌を直そうと、両手を広げる。

 そうすれば、彼女は仕方ないなあと笑って、彼の胸に飛び込んで来ると知っているからだ。

 それなのに、妻はそんな夫の様子をじいっと見ている。


 うわ。

 どうしよう。

 和樹の背を冷たい汗が流れる。

「あのね、何か言うことあるでしょ?」

「えーっと……ごめんなさい?」

「はい、良く言えました」

 ゆかりはクスッと笑うと、和樹の胸の中にようやく飛び込んで来てくれる。



「でもね、簡単に許さないから」

「はい」

「せっかく早く帰って来たんだから、保育園のお迎えお願いします」

「はい」

「あと、帰ってきたらお風呂掃除も」

「はい」

「できたら、お皿も洗って」

「はい」

「それで、夜は……」

「夜は!?」

「録りためた映画観ましょうね!」

「……はーい」

 今ではひたすら妻を甘やかす夫になった和樹さんにもこんな時期があったのです。

 あるあると言えばあるあるですけど……和樹さん、子供たちに知られないうちに改善できて良かったね。


 ところで、苦労性の長田さんが再登場する日は来るのでしょうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん、こんな上司、嫌だ(真顔) この人の奥さんやってるゆかりさんが真のボスですね。
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