229 一点物の特別価格
和樹さんが自覚した頃のお話。
「和樹さん、私、できるだけ頑張ります」
「できるだけ」
「せっかく喫茶いしかわチームで参加してるんですから、喫茶いしかわの名を広めたいです。顧客の新規開拓です」
「そうと決まれば頑張りましょう」
晴れ渡る青空に、響き渡る歓声。今日は市民運動会だ。なんでも商店街を中心に、色々な店が紅白に別れて、得点を競うらしい。マスターの誘いでゆかりさんと共に参加することになったが、彼女は喫茶いしかわの新規顧客開拓に燃えている。丸いおでこに沿った白いハチマキが、太陽に照らされて輝いている。自分の頭にも、彼女と揃いの色のハチマキを結ぶ。
「次にゆかりさんが出る競技は、なんでしたっけ」
「借り物パン食い競争です」
「借り物パン食い競争?」
彼女は目を輝かせながら、聞いたことないような競技の名前を口にした。なんなんだそれは。
「パン食い競争をして、そのパンに入ってたお題の借り物をするんです」
「パンの中に?」
「パンの中に、お題の紙が入ってるみたいですよ」
「まるでフォーチューンクッキーですね」
「フォーチューンクッキー?」
「アメリカ文化の一つで、クッキーの中におみくじのような紙が入ってるんです。ラッキーナンバーやことわざなんかが、書かれていたりするんですよ」
「へえー」
「今度そういうメニューを出すのも、アリかもしれませんね」
『借り物パン食い競争へ出場される方は、入場口に集まってください。繰り返します……』
「あっ、そろそろ行かないと」
「頑張ってくださいね、怪我にはくれぐれも気をつけて」
「その言葉、いつもの和樹さんに、そっくりそのままお返ししますよ」
「……あはは」
裏も表の区別もないような彼女は、たまに鋭いことを言ってくる。……まさかこの歳になって運動会に出ることになるなんてな。額からじわじわと零れてくる汗をぬぐいながら、彼女の勇姿を見ようと、観客席の場所取りへと向かった。
◇ ◇ ◇
運動自体はそこまで得意とは言えないけれど、パン食い競争はかなり得意なほうだ。なんたって、小学生の頃からしょっちゅう出ているのだから。競技のノルマもこなせて、パンも食べれるなんてお得じゃないか。そう思ってからは、欠かさずパン食い競争に出場していた。兄には、食い意地が張っていると言われたが、食べることは大好きだったから、特に否定はしなかった。
今回のパン食い競争は一味違うらしく、借り物競走の要素まであるらしい。喫茶いしかわチームとして参加している以上、なんとかして知名度を上げなければ。和樹さんパワーに頼っていたら、もし和樹さんがいなくなってしまった時に、困るじゃない。和樹さんは、ずっと喫茶いしかわにいるなんてことはない、そう思うようになっていた。いつの間にか。
『位置について』
こんなことを考えている場合じゃない。まずは、右から三番目のパンを狙おう。借り物競走のことは、パンを食べてから考えればいい。パン食い競争のパン、美味しいといいな。
『よーいドン!』
◇ ◇ ◇
そういえばゆかりさん、パン食い競争のときは足が速いんだよな。一番の感想はやはりそれだった。元々、スポーツができそうな体格だな、とは思っていたが、見た目や性格のイメージからなんとなく、足の速いイメージが普段は結びつかないのだ。一番にパンにかぶりついたゆかりさん、ハムスターみたいにパンを頬張っている。可愛いな。
「あの一位の子、誰だ? 可愛い」
「喫茶いしかわの看板娘ちゃんじゃない? 新聞に載っていた」
「俺好みの顔してるな」
そうだろうそうだろう、心の中で自慢しつつ、三人目の言葉は聞き捨てならない。お前の好みだからなんだっていうんだ。あの子は僕の、僕の……? もやもやした気持ちを抱えていたら、ゆかりさんはパンを食べ終わったらしい。あの顔は、美味しかったという顔だな。おそらくあの、ご近所商店街のパン屋のパンだろう。
「か……さ……ん!」
ゆかりさんが何かを大声で叫びながら、こっちへ全速力で走ってきている。
「和樹さーん!」
和樹……? 僕のことか? 僕としたことが、ポカンとしている間に、目の前にゆかりさんが走りついていた。
◇ ◇ ◇
右から三番目のパンにかぶりついた私は、すぐに幸せな気持ちになった。このパンは商店街のパン屋さんのパンに違いない。ほくほくとした気持ちになりながら、パンを味わっていると、中から四つ折にされた紙が出てきた。これが借り物競走の。少し焦りながら、パンで少ししっとりした紙を開いて、中の文字を読む。その文字を見た時、私の頭に浮かんだのは喫茶店の常連客兼同僚だった。
「和樹さん、一緒に来てください!」
「……僕ですか?」
「はい!」
一目散に和樹さんの元へ行き、声をかけたが、和樹さんはポカンとしていた。珍しい。
「ゆかりさんの頼みとあれば、行きますけど」
そうと聞いたら、急がないと、喫茶いしかわの新規顧客開拓のために。和樹さんの腕を掴んで走り出したが、彼はチラチラ、こちらを見てくる。
「ゆかりさん」
「どうしました?」
「あの、紙には、借り物競走の」
「はい」
「なんて書いてあったんですか?」
正直に答えようかと思ったけど、ここにきて、この回答は、彼に対して失礼になるのではないか、と不安がよぎった。
「ひ、秘密です」
「秘密」
「はい」
「ふーん」
彼らしくない素っ気ない返答にヒヤッとしつつ、ゴールへ辿り着く。ゴールへいる係員へ紙を渡すと、係員は紙と和樹さんを見比べて、ニヤッとした。
『喫茶いしかわチーム、一位です!』
会場アナウンスで、そう宣言される。
「やったー! やりましたよ! 和樹さん!」
思わず両手を万歳したポーズのまま片足を上げ、くるりと一回転する。
「やりましたね」
「これで喫茶いしかわの知名度ももっと上がります!」
『ちなみに、喫茶いしかわチームへのお題は、一家に一台、でした!』
『物ではなく、人を連れてくるところが、さすが喫茶いしかわの看板娘さんですね』
まさかのアナウンスを聞いて、背筋が冷えた。後ろを見ると、和樹さんが、満面の笑みで私を見ていた。
◇ ◇ ◇
「一家に一台」
「す、すみません。和樹さんがいたら、世の中の奥様も、苦労しないだろうなあ、と思って。色んな意味で」
彼女は走ったせいか、頬を蒸気させながら、口を動かしている。こんなことを言われたら、ついつい、追求してしまう。これはもう性のようなものだ。
「色んな意味?」
「あ、あはは……」
「そこには深く追及しませんが……。ゆかりさんは僕のことを、一家に一台欲しいと、そう思ってくれてるってことですか? 」
「はい」
「……はあ」
「どうしました?」
彼女はこういうところがある。悪い癖だ。このあとどんな切り返しをされるか、まったく予想をしていないんだろう。
「僕を、ゆかりさんの家に、置いてくれるんですか?」
「そ、そういう意味では!」
「ゆかりさんさえよければ永久就職しますよ、ゆかりさんのところに」
「もう! 炎上するから、そういう発言は控えてって言ってるじゃないですか!」
「あはは」
君のところへなら、本気で永久就職してもいいと、思っているんだけどな。
◇ ◇ ◇
和樹さんが喫茶いしかわを去って、なんだかんだと紆余曲折を経て、結婚を前提としたお付き合いをすることになって。商店街のパン屋さんの前を通った時の香ばしい匂いに、そういえばこんな話をしたこともあったなぁと和樹さんと出た運動会に想いを馳せていたら、ぜひご挨拶をと言われ実家で会わせた両親に、気が付けば和樹さん自身をガンガンとプレゼンテーションされていた。なんでこんな展開になったんだっけ?
「ゆかりさんが一家に一台、僕が欲しいって言ってたのを、思い出して」
「はあ」
「取扱説明書も作ってきましたから」
「取扱説明書!?」
「まあ、取扱説明書というより、プレゼン資料ですが。ぜひご両親と一緒に聞いていただきたくて」
和樹さんは、お高そうなビジネスバッグから、分厚い紙の束を取り出している。
◇ ◇ ◇
僕は鞄からエクセルでまとめた資料を取り出した。なんとしても勝ち取らねばならない、普段以上に気合の入るプレゼンだ。
長田を相手にプレゼンの練習もして、準備は万端だ。長田には「和樹さんなら、そんなことしなくても大丈夫かと」と言われたが、念には念を入れるに越したことはないだろう。なにせ相手はあのゆかりさんとそのご両親なのだから。
「僕を家に置く上での利点をまとめました。まず初めに料理ができます」
「料理」
「夜は遅くなることが多いので、作れないことも多いかと思いますが。朝は早いので、基本的に朝食は用意できます」
「はあ」
「あと、見た目にも、まあまあ自信があります」
「それ自分で言いますか?」
「プレゼンできるところは、欠かさず売り込もうと思いまして」
こんこんとプレゼンテーションをしていたが、彼女は気もそぞろみたいだ。さっきから体が揺れている。彼女は考え事があると、体が揺れる癖がある。これは僕しか知らないんじゃないか?
「……ゆかりさん、ちゃんと聞いていますか?」
「ええ。けど」
「けど?」
「……お高いんでしょう?」
眉を八の字にしながら、そんなことを聞いてくる。こんな頓珍漢な提案でもまともに取り合ってくれるらしい。いつか、謎の壺や掛け軸なんかを買わされそうで心配だ。後で注意しないと。それに、彼女が気にするのはそんなことなのか。
「それなら大丈夫です」
「本当ですか?」
「今なら大特価ですから」
「大特価」
「婚姻届にサインしてくれるだけで、いいですよ。サインは先日こちらにいただきましたから、お支払いは完了しています」
ひらりと記入済みの婚姻届を見せる。目を丸くしている彼女と「いつの間に」と驚いているご両親に、にこりと笑顔を向ける。
ここでさらに、今回は特別にこちらもお付けしますと胸ポケットの指輪を渡したら、どんな顔をするのだろう。
後日。
「いや~実はね、娘を嫁に出す父親の定番のやりとりってやつ、やってみたかったんだよねぇ。例えばほら、『娘はやらん!』ってやつとか」
なんてことを未来の義父に言われ、喫茶いしかわでその数パターンの寸劇にお付き合いすることとなったのも、それが両手の指では足りなくなりそうな回数繰り返されたところで「いい加減にしてください!」と恥ずかしそうにぷりぷりと怒るゆかりさんに止められたのも、そのうちゆかりさんにとっても良い思い出話に変わることだろう。
季節はもうちょっと先のお話ではあるのですが。
和樹さん渾身のプレゼン、ご両親には「いやもう君、店に入り浸ってるから知ってるし」とか思われてそうな気がします(笑)
ご両親へのいちばんの売りは「ゆかりさんと一緒になれればお店のことは実家の家事手伝いとして遠慮なくお手伝いできるので、今まで以上に売り上げに貢献できます。自慢の義息子になれると思いますよ(にっこり)」じゃないかな。
自分でちらっと書いておいてなんですが、「娘さんをください!」の王道返答パターンっていくつくらいあるんでしょうね。




