228-2 if~誘惑は喫茶いしかわのエプロンで(後編)
ちょっと艶っぽい表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
和樹さんの好きな喫茶いしかわのエプロンを着けて、玄関先でそわそわと待つ。
さっきまでは名案だと思っていたけれど、だんだん恥ずかしくなってきて、「やっぱり脱ごうかな。でも喜ぶ顔も見たいし……」とエプロンの紐に手をかけて脱ごうとしては止めてを繰り返すこと約十分。
タイミングが良いのか悪いのか『今、駐車場に着きました』と連絡が入り、エプロンを着けたままお出迎えをすることに決めた。
足音がしてコンコンと扉をノックする音が聞こえる。
ドアスコープを覗くとそこには恋人の姿があり、嬉しさに口元が綻び扉を開けて今すぐにでも抱きつきたい気持ちをグッと我慢する。
な、生和樹さんカッコよすぎなんだけど! グレーのスーツを着こなす日本人離れしたスタイル。万人が認定するイケメンさんで、スポーツも料理も得意で自分の仕事に誇りを持っている人で。和樹さんの頬がいつもより紅潮しているような気がする。期待されてるのかと思うと少しだけ怖気づいてしまう。
「い、今開けますから……」
友人と冷やかしで買って着ることもなくタンスの奥にしまわれていた淡いピンクのプリーツミニスカートは丈が膝上までしかなく、足元が涼しすぎてそわそわする。Vネックの大きく胸元が開いたオフホワイトのカットソーはエプロンを着けていても防御力が低く、あまりにも心許なくて。
これで誘惑してキスとかそれ以上のことしたりとか……ええい、女は度胸と勢いよく扉を開けると驚いた顔の恋人に出会い「いらっしゃいませ。和樹さん」と喫茶いしかわのお客さんを迎えるように、にこにこ笑顔で出迎えた。
誘惑の結果は、良好らしい。
「期待していいの?」
和樹に玄関先で聞かれて何度も頷くと、まずはおでこにキス。頬にキス。唇ギリギリにキスをされて見つめあう。指で唇の輪郭をなぞられて、いい? と聞かれる声も、はいと答えた声も甘くて目を瞑ると柔らかくて温かい熱に溺れた。
ただ唇と唇が触れあうだけの優しい口づけに頭の芯が痺れたようにクラクラして。
黙ってお互いの顔を見つめると、どちらも熱に受かれた顔をしていて気恥ずかしくなって、照れ隠しに名前を呼んでみる。
「……和樹さん」
◇ ◇ ◇
語尾にハートマークが付いているような甘い声で自分の名前を呼ばれ、とどめに潤んだ瞳で見上げる姿は扇情的で、このまま玄関で押し倒しそうになるのをグッと腹に力を入れて留める。
なかなか開かない扉に痺れを切らし、このままこじ開けようかいう思いがよぎったところで可愛い恋人の声が聞こえて開いた先には喫茶いしかわのエプロンを着けて「いらっしゃいませ」と恥ずかしそうに頬を染めた笑顔で出迎えられて。
どちらというと清楚なイメージのあるゆかりさんが胸の谷間を強調したカットソーと柔らかそうな白い太ももを露にしていて――「食べてください」と幻聴が聞こえてくるほどの破壊力に、思わず舐めるように凝視する。
「あの……あんまり見ないで……」
彼女は足を隠そうとミニスカートに必死に手をかけているが、それではまったくの逆効果。羞恥心に潤んだ瞳と紅く色付いた頬はやっぱり「食べてください」と甘く甘く狼を誘っていた。
「期待していいの?」
こくこくと頷く姿はあまりにもあどけない。いわゆる童顔に分類される彼女はいまだに二十歳そこそこにしか見えず、このままコトを進めることに少しだけ罪悪感を覚える。
「和樹さん、このエプロンを着けた私が夢に見るくらい好きなんだよね?」
彼女は夢の内容を絶対に勘違いしている。もし知ってたら、こんな格好をして待っていないだろう。その話をした当時、密かに抱いていた劣情は今言うべきではないと判断して「好きですよ」と、すべすべした餅のような頬に手を伸ばした。
自分の本心を明かすのはゆかりさんが全部、受け入れた後でいい。その時の顔が早く見たい。ああ、楽しみだな。
真赤になったり青ざめたり彼女の表情はくるくると変わり、とても忙しい。それがまた可愛くて仕方がない。ゆかりさんがいつも眠る部屋で軽く唇を重ねると熟した苺みたいな頬になって身体はガチガチに固まっていた。
「私、キスだけでもうキャパオーバーです」
「大丈夫。ゆかりさんなら大丈夫だから」
洗脳するように笑顔でそう言うと隠していた顔が現れる。そこにはひくひくと口の端が引きつっているゆかりさんが乾いた笑みを浮かべていた。
「その根拠は?」
「何となく?」
もう、と拗ねた顔で頬をつねられる。痛い振りをすると「ああ、もうムカつくその余裕の態度」と更にむぅっと膨れた顔で怒られた。
「私だって和樹さんの初めてが欲しかった!」
爆弾発言に「なんてこと言うんだ!」と頭を抱えたくなった。ゆかりさんは天然で人を煽るのが本当に上手くて仕方がない人だ。頭で深く考えずに何でも思ったことを口にしてしまうところがある。
「まだしてないことあるけど……」
「本当ですか!」
ぱあっと花を咲かせたように笑い、こちらに迫ってくる。
「まあ、それは追々と……」
言葉を濁してごまかすと眉を寄せられて悲しい顔を作られた。
「ゆかりさんが慣れてきたら、ね」
「約束ですよ」
言質を取ったと思うのは彼女の方だけではなく、また彼も同じ思いで。遠くない未来、こんなはずじゃなかったと真っ赤に染まる彼女の痴態を思い浮かべると笑いが止まらない。
「ゆかりさん、早く続きしようか」
真っ黒な笑みを浮かべた自分にゆかりさんは「ひっ」と唇をひきつらせていた。
◇ ◇ ◇
逃げたくないけど、でも逃げたい。これからそういうことをすると期待していたのにいざとなるとやっぱり怖気づいてしまう。私がじぃーっと見つめると和樹さんの顔がほんのりと赤くなっている。歳上のオトナの男のひとだけど、こういうところ、可愛くて好きだな。
閉めたカーテンの隙間から僅かに入ってくる外の光。遠くから聞こえる通行人の声。現実なのに、どこか非現実的で、ふわふわ夢のようで。目を瞑って、それから先は恋人に身を任せることにした。
和樹さんはとてもとても優しかった。それから色々、そうとても色々なことがあって、私もう頑張れないかも……そう思ったのを最後にプッツリと途切れた記憶。
ううん、途切れる前に手を伸ばしたらしっかりと掴まれて強く抱きしめられたのが最後の記憶だった。
「おはよう。ゆかりさん」
「おは……よ」
カラガラ嗄れていて乙女としてあるまじき声のまま恋人に挨拶をする。私と和樹さんがそういうことをして結ばれても世界は変わらない。
この世界でこれから先、和樹さんとずっと一緒にいたい。死が二人を別つまで。
そう願うゆかりの目に映る恋人の満ち足りた顔は、そして世界は輝いていた。
あのふたりならたぶんこういうやりとり、あったと思うんですよね。
ゆかりさんはゆかりさんなりに関係を進めたいといろいろ考えて歩み寄ってるんだけど、歩み寄り方が……ねぇ?(苦笑)
この後しばらくして、閉店後の喫茶いしかわでそういう発言した和樹さんがゆかりさんに叱られる展開まで見える気がするよ。




