228-1 if~誘惑は喫茶いしかわのエプロンで(前編)
本編のふたりは初冬にお付き合い始めて春先に結婚してるので、季節外れということでifストーリーです。でも新婚さんになってから同じようなことをやらかしてるに違いない。
本日もお部屋デート。恋人である和樹との関係をさらに深めてみせると朝からゆかりは張り切っていた。
昨日、喫茶いしかわ帰りのコンビニで普段あまり買わない女性誌の見出しに目を止めて購入し、今はだらしなくベッドの上に寝そべりながらその雑誌を読んでいるところだ。
見出しの煽り文句を瞳を輝かせなから食い入るように見つめている。ふむふむと頷きながら、頭の中で自分の持っている洋服を並べていく。
『キラッ☆ 彼氏を誘惑♪ 夏コーデでその気にさせちゃう魅惑の生足・魅惑の谷間』
少しどころではなくかなりイタい煽りであるが恋する乙女には刺さる文章だったのだろう。要はミニスカと露出高めな胸チラで男を悩殺しろという内容を、ふわふわした甘い言葉で包んでいるのだ。雑誌のあちらこちらにキラキラとカラフルな文字が踊っている。
「……でも和樹さんって、生足見せたら女性に冷えは厳禁ですよとか言いそうだなぁ」
お母さんか! とツッコミをいれたくなるが、そういう真面目なところも好きだしいいなと思ってしまうのだ。
「胸チラか。それよりもわざと転んで、おっぱい押し付けたりとかどうかな」
ラッキースケベとか天才か! と一瞬思ったものの、嫁入り前の女性云々で朝まで説教コースは勘弁願いたい。
やや浅黒い肌に端正な顔立ちの和樹は外見に似合わぬ立派な日本男子というか、なにぶん古風なところがある。もし軽蔑されたらと思うと怖い。
和樹と恋人になる前にはまったく想像もしていなかった気持ちを、新たな関係を築いて初めて知った。
和樹が常連客となってから、ほんのりどころか淡すぎる好意は抱いていたものの、自分の彼氏とか恋人にしたいとか、そういった生々しい感情を抱くことはなかったのだ。彼が突然海外勤務でもう来られなくなりますと喫茶いしかわの面々に告げたときは驚いたが、「そうなんですね。どうぞ元気で頑張ってください!」とあっさり祝福したものだ。
そう笑って門出を祝福したのに、最後の握手のときに痛いくらい力を込められて、思わず涙目になったゆかりに「泣いてしまうほど僕を惜しんでくれるなんて光栄だなゆかりさん」と目尻に滲む涙を指先で拭いながら言われ、やだこの人頭おかしいと思ったのも良い思い出……なのだろうか。
◇ ◇ ◇
和樹が街から消えておよそ二年後、再会は喫茶いしかわにて閉店間際の駆け込み乗車。上質な、よれよれのくたびれたスーツを着た彼に圧が強めの挨拶をされた。ひと月に二、三回くらいのペースで他の客がいない閉店間際に滑り込む迷惑な客は、その都度しれっと閉店作業を手伝ったり車で送り届けてくれたりとゆかりを安易に甘やかす。
しばらくそんな関係が続いて、いろいろあって結婚前提のお付き合いが始まった……はずなのだが。
「ゆかりさんのことを大事にしたい」
「ありがとう。和樹さん。でも私はもうこれでもかっていうくらい大事にされてますよ」
触れ合う距離にいても手を繋ぐだけの健全すぎるデート。学生かとツッコミの避けられない時刻の門限まで設定されている。
ユキエさんにデート内容を聞かれて話した時にそんなまさかって顔をされたけれど事実なんです。
まるで付き合いたての少年少女のような清いお付き合いだった。イマドキの中学生カップルの方がまだ踏み込んだ仲なのかも?
「ゆかりさんに対しては、とことん誠実でいたい」
いやいやでも年齢考えようよ、とゆかりですら思う。ドライブデートの途中、車を駐車場に置き、休憩を兼ねて砂浜を歩く。
「あの、今日久しぶりにブランくんの顔が見たいから、和樹さんのお家に行ってもいい?」
「それは嬉しいけれど、ごめん。都合が悪いからまた今度ね」
なけなしの勇気を出して袖を握りクイクイと引っ張ると、甘い笑顔で頭と髪をくしゃくしゃにされた。
「もう! 和樹さんのばかぁ……」
抗議すると、くしゃっとした顔で笑われる。ああ、もう好き。今日だけは私の負けでいいや。拗ねた顔のゆかりに差し出された和樹の大きな手のひら。しばらく手を繋いで歩いた。
「あまり会えないけれど僕の帰る場所になってほしい」
ある日、いきなり話題が重くなって笑って頷くしかなかった。それからは頑張って外デートをセッティングするのではなく、少しでも部屋の中で睦みあおうと時間を合わせることが多くなる。部屋でふたりきりになったら彼も狼になってくれるかなと期待する。
和樹の目の下の隈が顕で、お茶の用意をするのに席を外した際に彼がソファーで舟を漕いでいたお部屋デート。半分眠りの世界に入っている眠たげな声で謝る恋人に、いいよ一緒にお昼寝しよと提案して、それはそれで幸福なデートだった。
その次のお部屋デートは少しだけ良い雰囲気になり目を瞑り近づいてくる気配にときめいていた時、無情にも和樹に着信が入りピリリリ……という音に隠れるように舌打ちした彼が失礼と席を立つのを見ていたゆかりは、いまだだ日の目を見ない勝負下着に思いを馳せた。仕事だと謝る彼にお仕事頑張ってと労って頬に触れるだけの可愛い口づけをした。
それからしばらく経って、改めてお部屋デートが実現することになり、気合いを入れて雑誌をパラパラ捲っては、誘惑といっても女から誘うのは、やっぱりはしたないだろうか、とうんうん唸っている。
ワーカホリックな彼と、そういった知識に明るくない自分。このままのペースでいくとずるずると、気付いたら数年過ぎてしまいそうな気がする。
雑誌の内容は巻末に近づくにつれ“コスプレ特集☆たまには気分を変えて盛り上がろう制服エッチ”などの過激ワード満載にちょっとこれは上級者すぎるかもと唸る。
あっ、でもこれなら簡単に出来て非日常的かもと天啓の様に閃いた、ベランダに干していたそれを手にとり「たしか和樹さん、この姿の私を何度か夢に見て楽しんだとか言ってたよね?」
でも、楽しんだ割には陰のある表情でゆかりさんはそのままでいてと言われ、ずっと気になっていたのだ。
◇ ◇ ◇
和樹は戸惑っていた。恋人である石川ゆかりに連絡をいれた際に弾んだ声で「和樹さんが好きな格好でお出迎えするね」と言われたからだ。
まさか――裸エプロンとかじゃないだろうな、ゆかりさんだし。
突飛なことをしでかすゆかりだったが、それはないだろう。喫茶いしかわで無理矢理お手伝いをさせてもらってる時についセクハラで済まされない台詞を溢したことがあったが、清純ぶるわけでもなく意味が判らない顔で何ですかそれと首を捻っていた。可愛かったし正直とても――興奮した。
反省はしたから大事にすると誓ったし無理強いはしたくない。
ゆかりは雑誌のアドバイス通り露出度が高めの洋服の上から喫茶いしかわのエプロンを着けて浮き立った気持ちで恋人を待っていた。
据え膳食わぬは男の恥と言われるなどとは思いもよらず。
図らずも雑誌通りの未来になることを、ご機嫌な彼女はまだ知らない。




