223 気になる彼
こちらもお付き合い前のお話。和樹さん視点です。
懇意の喫茶店で、馴染みの看板娘に、恋愛相談をされた。
正確には、いつもと少し様子が違うことが気になって聞き出したのだ。
客足が途切れるたびに窓の向こうを少し覗き込んだり、掃き掃除に外に出た時に喫茶いしかわの前だけでなく隣の店の前まで掃いてしまったり、夕方五時をすぎた頃にはドア越しの外を何度もじっと見つめたり。
なにがあったんです、と聞けば「すごい、どうしてわかったの!? さすが和樹さんですね」と言われたが、こんな状態を不審に思わないほうがおかしいだろう。
そして言われたわけだ。
「実は最近、気になってる彼がいて……」
少し赤らんだ頬に手を染めるさまは、かわいらしい恋する乙女そのものだ。
僕はぎょっとした。度肝を抜かれ、衝撃を受けた。
彼女が自分から特定の異性を意識する素振りを見せたことなど、知り合ってから一度もなかったのだ。常連客や近所の子供に好かれる『みんなのゆかりちゃん』が板につきすぎて、こちらとしてもそういう認識で見ていなかったのもある。
いや、何もおかしくない。これまで男の影がさっぱりなかったからといって、本来何もおかしいことはないのだ。
私生活が充実するのはいいことだ。天然ではあるがしっかり者の(この二つは意外かもしれないが両立する)ゆかりさんのことだから、仕事に悪い影響を及ぼすような恋愛もしないだろう。
だが以前にさりげなく聞き出したところによれば、自宅と実家と職場、兄の家、よく買い物に行く商店街や駅前、友達との食事で使う店など、彼女の生活範囲はごくごく狭いという。男性との出逢いの場は限られているはずだ。具体的に言えば、友人の伝手か、職場である喫茶いしかわ、その程度だろう。
そして先程のゆかりさんの態度からすると、件の彼との出逢いはほぼ確実に後者だ。心待ちにしている様子から察するに、それほど頻繁に来店する客ではないのかもしれない。
客ならば僕も知っている人物だろうか。店で知り合った人が気になるって、いったい誰だよ。少し必死に考えすぎている気がして、慌てて思考にストップをかけた。
いや待て、一旦冷静になれ……だいたいなんでこんなに動揺してるんだ。
自己暗示が効いたのかはわからないが、何度か名前を呼ばれていたことに、その時になってようやく気付けた。ゆかりさんが隣で声をかけていたのだ。
「あ、和樹さん、フォーク曲がってます!」
「え」
見ると、洗って拭いて磨いていたフォークが、布巾の中でぐんにゃりと首を傾げていた。少し力が入りすぎていたようだ。
手元を見る、ゆかりさんを見る。ゆかりさんは僕を見て、フォークを見て、もう一度僕を見た。口を開く。
「き、金属疲労ですかね……?」
「そういうものですか……?」
そろそろカトラリーの入れ換えしなきゃいけないかしら、マスターに言っておきますね、とぶつぶつ言いながら、ゆかりさんはまた窓の外に目をやった。
そして「あっ!」と声を上げた。
「和樹さん、来た来た! 彼です」
嬉しそうに顔を見上げて報告してくるゆかりさんに、僕の手の中でフォークがさらに首をへし折られた。
彼女がカウンター内を移動して近くへ来たので、無残な姿になったフォークを後ろ手に隠す。
客が来るというのに何をしているのか、ゆかりさんは壁際の棚の隅から、一枚の皿を取り出した。もともとセットだったものがほとんど割れ、一枚だけ割れ残ってしまったものだ。客には出せないので、従業員が休憩中に賄いを食べるときなどに使っている。
彼女はその皿と、小箱を一緒に取り出した。中から小分けの袋を一つ選び、封を切って、皿にざらざらと空ける。箱には、行儀よく座る白い猫の写真。
「……キャットフード……?」
「低カロリーのおやつです、しかもちょっと良いやつ! 小林さんがね、うちの猫ちゃんのお口には合わなかったからってくださったんです」
ゆかりさんが僕の顔を見上げた。華やいだ、なんともうきうきとした顔をしている。
「和樹さんも会う?」
「……えぇと」
「だから、気になる彼! やっと触らせてくれるようになったの、靴下にゃんこでほんっっとかわいいんですよ」
そう言って、ゆかりさんは弾む足取りで外に出ていった。
一人カウンターに取り残された僕は、曲がったフォークを見つめ、棚のキャットフードを見つめ、ゆかりさんの後ろ姿に目をやった。
なんとなく、そんな気はしていたのだ。
だって、この子だし。
「……猫かよ……」
靴下にゃんこ、一応首輪してる飼い猫設定です。
このあと「まさか僕のライバルは猫か! 猫なのか!?」と衝撃を受ける和樹さん。なんか絵面がおもろい。




