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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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21-1 花屋の機転(前編)

 おこちゃまイヤイヤ期の頃のお話。だけど、おこちゃまはほぼ出てきません。

 色とりどりの花を目の端に捉え、和樹はふと帰路を急いでいた足を止めた。

 最寄りの駅と直結したショッピングビルの一角。チェーン店であろうフラワーショップの看板はどこかで見たことがあるが、この場所には別の店が入っていなかっただろうか。

 どうやらつい最近、店舗が入れ替わって新しくオープンしたらしい。

 

 もともと、花に特別な興味はなかった。

 もちろんある程度の草花の名前や特徴は知っていたが、あくまで知識として持っていたまで。

 自分の中で花への認識が上書きされたのは、ゆかりさんの影響だ。彼女は、花が好きだ。ただの常連客だった頃から、隣を歩いていると、いつも教えてくれる。

「あ、あれ矢車草っていうんですよ。私、あの花好きなんです」

 とか。

「もう梅の花がちらほら咲いてますね。もうすぐ春ですねぇ」

 なんて。嬉しそうに教えてくれる彼女の言葉に、和樹は目から鱗が落ちる思いだった。

 そんなふうに、花ひとつで嬉しそうに目を細めて笑う彼女が美しくて。花ひとつで、季節の到来を喜ぶ彼女がいとおしくて。

 そのおかげで、和樹も道端に咲く花に目が止まるようになったし、花屋の横を通り過ぎれば足を止めるようになったのだ。


 沢山の切り花やフラワーアレンジメントで埋め尽くされた店内を、遠巻きに見回す。ゆかりさんは、この店ができたことをもう知っているだろうか。

 はたと、レジの近くに掲示されたポップに目が止まる。『お花の定額制サービス』と書かれたその説明を、まじまじと見つめる。月額1,500円で、毎日花を1本持って帰れるサービスらしい。いわゆる、サブスクリプションというやつだ。こういうの、ゆかりさん好きそうだなあ。


 今日みたいに、花屋が開店している時間に家に帰れることなんて滅多にない。そんな日は手土産を持って帰るのがお決まりのようになっていた。

 だが、以前仕事帰りに彼女が欲しがっていたアクセサリーを買っていったとき「こんな高いもの、なんでもない日に買ってきて!」と怒られてしまってからは、程よい値段の物を心掛けていた。

 説明をよく読めば、さらにグレードの高い花束のコースもあるようだが、そんなものを持って帰ろうものならそれこそまた小言を言われそうだ。これなら、ゆかりさんも気軽に受け取ることができるだろうし、きっと喜ぶに違いない。


「本日のお花は、ガーベラですよ」

 突然、後ろから話しかけられる。一人で店番をしているらしい女性の店員が、黄色い花を指差していた。

「奥様へのプレゼントにも、ぴったりですよ。最近、お花を持って帰られる男性も多くて」

 この時間にくたびれたスーツを着た僕はそういう客のひとりに見えるのだろう。それもそうか、と苦笑した。しかし、悪い気はしない。

「このサービス、登録します。妻が、花好きなので」

 店員に振り向いて、そう伝える。小柄な女性店員は、それを聞くと「ありがとうございます」と綺麗に笑った。


 その顔を、和樹はつい二度見してしまった。

 綺麗に伸ばされたダークブラウンの髪。少し長めの前髪は左右に分けられている。丸みを帯びた輪郭に、垂れ目がさらに細められた人好きする笑顔。そして、極め付けは、花屋のロゴが入ったピンク色のエプロン。

 なんだかとても、喫茶いしかわで働いているときの妻を彷彿とさせるのだ。

 何も言わずにまじまじと自分の顔を見つめる不審な客に、彼女は不思議そうな顔をした。


「あの……私の顔、何かついてますか?」

「あ、いえ……貴女の雰囲気が、とても妻に似ていたもので」

 とっさのことで、正直な言葉が口から飛び出す。彼女は一瞬、驚いたような顔をした。

「……それは、是非お会いしてみたいです。奥様は、どんなお花が好きなんですか?」

「うーん、基本的にどんな花でも綺麗って言うんですが……たしか、矢車草の花が好きと言っていたのは覚えてます」

 それを聞くと、彼女は一瞬の後、またにこりと笑顔を浮かべた。

「そうなんですね。わたしも矢車草好きなんです。奇遇ですね」


 そう言いながら、ピンクのガーベラを手に取りラッピングにとりかかる。

「本当は今日のお花は黄色のガーベラなんですが、特別にこちらにしますね。花言葉は、感謝や優しさなんですよ」

 きっと、喜ぶと思いますよ。そう言って、手提げ袋に入れ渡される。良い店員だな、と素直に思った。しかしまだ、お代を払っていない。


「あ、1,500円ですよね。登録は、ここに書いてあるアプリですればいいですか? 今払わなくても?」

「あぁ、大丈夫ですよ。お家に帰ってからで。次に来たときに、登録画面を見せてくだされば結構ですから」

 そんなにゆるくて大丈夫か? と思ったが、その言葉に甘えることにした。なんせ、はやくゆかりさんの顔が見たくてしかたない。


「ありがとうございます。また、来ます」

 素面の自分にしてはめずらしく、彼女に向かって丁寧に笑顔を向け、会釈した。

「また来てくださいね、今度は奥様と」

 彼女は、にこにことした笑顔のままぺこりと頭を下げて和樹を見送った。


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