217-3 縁(後編)
たらふく食べてご満悦の顔とたくさん空の皿が並ぶ食卓には、まったりとした空気が流れていた。
「楽しい食卓って幸せですよねぇ。お腹いっぱい」
「おや? 食後のデザートは食べませんか?」
「あ、食べます食べます! せっかく和樹さんが買ってきてくれたんだし、なにより絶対美味しいもの! 大丈夫、別腹は空けてあります!」
とろろんと下がりかけていたゆかりのまぶたがぱっちりと開き、ポケットのビスケットを叩くかのようにお腹をぺしぺしと叩いた。それから両手を胸の前でポンと合わせる。
「じゃあ、今日は紅茶を入れましょうか。昨日ね、環さんにダージリンの良いのをいただいたんです」
「じゃあお茶の準備の間にここの食器を片付けてしまいますね」
「ぼく、おてつだいする!」
「わたしも!」
「ぼ、ぼくも……おてつだい、いい?」
「もちろんだよ。ありがとうわらしくん。進と真弓もありがとう。お皿運んでくれる?」
「はーい!」
ゆかりはやかんをコンロにかけてお湯を沸かしながら人数分のカップを電気ポットに半分ほど残っていたお湯で温め、簡単に冷蔵庫の整理と中身のチェックをして、茶葉の準備をしている。
和樹は子供たちが運んでくれた皿を洗い、順番にすすいでいく。子供たちはそれを一つずつ布巾で拭いて食器棚にしまっていく。高いところにしまう皿は伸び盛りの子供たちではまだ届かないので、ダイニングテーブルに並べていく。途中で進が抜けてテーブルを拭きにいく頃には和樹がすすぎを終え、高いところの食器をしまっていった。彼らの周りにはダージリンの爽やかで特徴的な香りが漂っていた。
「そろそろできあがりますよ」
「そのようですね。最後だけでも食器の準備、手伝わせて」
「ありがとうございます和樹さん」
ふわりとした笑顔を和樹に向けてから子供たちと目線を合わせたゆかり。
「三人ともありがとう。とっても助かったわ。もう仕上がるから、あちらでお稲荷様たちと待っててね」
「うん、楽しみ!」
紅茶が仕上がり、それぞれのカップに注いだものを二人で手分けして運び、子供たちが各々の前にサーブしていく。その間に、夕食の間ダイニングに退避させていたケーキ屋の箱とパン屋の袋を和樹が持ってきた。
和樹はまずケーキ屋の箱を手に取った。てっぺんの消費期限シールを剥がし、ぱかりと蓋を開ける。
「さ、ゆかりさんが食べたがっていたものですよ」
「はうっ。これは……世間で話題のマリトッツォじゃありませんか!」
ゆかりは思わずといったふうに両頬に手を当て、ぱかりと口を開ける。それから朝日が昇るようにぱーっと笑顔が明るくなり、その全開の笑顔を和樹に向ける。和樹は改めて、やはりゆかりさんの笑顔は僕の心を溶かす太陽だ! と思う。
「正解です」
和樹はこんこんと溢れてくる愛情をゆかりに向ける笑顔にふんだんに乗せる。
「ケーキ屋さんのほうは、チョコレートのものとフルーツたっぷりのものを。パン屋さんのほうはブリオッシュが抹茶入りで、クリームにあさひ堂さんのつぶあんを挟んでいるものにしました。どれも美味しそうで選びきれなくて。今日食べきれなくても、明日も食べればいいかなと思ったので三種類買ってきてしまいました」
ほうっと小さく息を吐くえんがほんのり頬を染め、しげしげとマリトッツォを眺めていた。
「綺麗ですね。どれもとても美味しそう」
「ええ本当に。全部が素敵で目移りしちゃいますよねぇ」
「よかったら、おひとつどうぞ。たくさん買ってきましたから」
「ああ嬉しい。ではこちらの果物のものをいただきたいわ」
「どうぞどうぞ。お稲荷様はどうなさいます?」
「えんに分けてもらうからいらぬ」
「はい。一緒にいただきましょうね」
「和樹さんはどうしますか? やっぱりパン屋さんのですか? あさひ堂さんのあんこ好きですもんね」
「そうですね。そうしようかな」
「わかりました!」
和樹は正直どれでも良かったのだが、わくわくと正解を聞きたがるゆかりを見ていたら、それが一番食べたいような気になった。いそいそとパン屋の袋から和樹の分を取り出すゆかりを見ていたらその思いはいっそう強くなる。
「ぼく、チョコレートの食べたい。でも、おっきいから食べきれないかも……」
「すすむ、わたしとわらしくんと、三人で半分こしよ!」
「うん! わらしくん、お揃い食べようね」
「ん!」
ちょっぴりしゅんとしていた進に真弓が提案する。三人で分け合って食べられることが嬉しいようで、にこにこしている。
「さあ、ゆかりさんはどうしますか? いま全部食べてもいいですよ」
「もうっ。いくら私が食いしん坊でもそんなに食べませんよ~だ。うーん。とっても迷いますけど……今日はフルーツのにします!」
「では、こちらをどうぞ」
和樹がことさら丁寧な手つきでゆかりの更にフルーツがたっぷり並んだマリトッツォをサーブする。
そのやりとりの間に真弓が今日食べない分を冷蔵庫にしまいに行き、進はがんばって三人で食べられるようにチョコレートのマリトッツォを分けていた。
「じゃ、食べましょう」
「いただきます!」
子供たちとえんとゆかりは早速マリトッツォにかぶりつく。稲荷と和樹は最愛の存在のその姿をひとつも見逃すまいと、ダージリンを口にしながらじっと見つめている。
「おいしい!」
「クリームたっぷり!」
「ああん、しあわせの味ですぅ。これが、マリトッツォ……」
子供たちはちびちびと食べ進めている。えんは、ちぎったブリオッシュにクリームといちごを乗せて稲荷の口に運んでいる。ゆかりはといえばじーんと感動したらしく、目を閉じて余韻に浸っている。少し上がった口角にははみ出したクリームがたっぷりとついている。和樹はくすりと笑うと、そのクリームをペロリと舐め取った。
びっくりしたゆかりが目を開けると、舌先にクリームを乗せた和樹の顔が目の前にある。クリームが赤い舌とともに和樹の唇に吸い込まれていくのも、その後唇を軽く舐める仕草も目が勝手に追ってしまう。
「うん、たしかに美味しいですね」
「か、和樹さん!? 人前ですよ!?」
遅れて状況を理解したゆかりの頬や耳が一気に赤くなる。せめてとばかりに文句を言う。
「いいじゃありませんか。全員身内なんだから」
「身内だからいいってものでは……」
「では、お詫びに一口どうぞ。はい、あーん」
和樹が抹茶味のマリトッツォを差し出した。
「和樹さんがまだ食べてないのに」
「いいんですよ、ほら、あーん」
「あ、あーん」
自分のぶんではないという遠慮から、控えめに小さく食べるゆかりを見て、くすっと笑う和樹。
「遠慮しなくていいのに」
「そこまで図太くないもん。……ぁ、抹茶の香りが鼻に抜けて、あぁ、これも美味しい」
「ふふ、ゆかりさんがそこまでふにゃふにゃになる美味しさなんですね。では僕も」
大きくばくりとかぶりつき、大きく咀嚼してごくりと飲み込む和樹。
「たしかに、抹茶とクリームとつぶあんの、味と香りと食感がとてもマッチしていますね」
「はい。あの、和樹さん、クリームついてますよ、ここに」
ちょいちょいと自分の口髭の位置を指し示すゆかり。
「ゆかりさんも、さっきの僕みたいに唇で取ってくださいよ」
「しーまーせーん!」
「残念だなぁ」
「ぼく、してあげようか?」
「え」
ゆかりも和樹も、あまりにも驚きすぎて、わらしくんをまじまじと見つめてしまった。
「あ、だ、大丈夫だよ、ありがとう」
「まったくもう、和樹さんたら。だから言ったのに」
そんなやりとりをはさみながら、食後のデザートを皆で楽しんだ。
ということで、隣町のお稲荷様のお話でした。
たまに話に出てきてたり、一瞬だけ登場したりはしていましたが、初めてちゃんと姿を現してくれました。
タイトルでお気付きかもしれませんが、「えん=縁」です。
いなり寿司について軽く調べていたときに、江戸時代の書物にこんな記述が~と書いてあって。その時代からいなり寿司があるなら、こういう話もいけるかなぁと。
稲荷と縁のなれ初め話も掘り下げたら面白くなるかなと思いつつ、稲荷や妖狐とヒロインがくっつく話はけっこう定番なので、どこかで聞いたことある話でだれるくらいなら……と書くのはやめました。
それはそれとして、これ書いて改めて思ったことがひとつ。
石川家の女たちは、とびきり面倒臭い男ホイホイかもしれない(笑)




