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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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217-1 縁(前編)

 営業先から直帰した和樹は、家から漂うだししょうゆの香りに妻の在宅を確信し、勢いよく玄関を開けリビングに飛び込んだ。

「ただいまゆかりさん! 今日はお土産買ってき……どちら様ですか?」

 リビングのソファには、見知らぬ金髪の男が浅葱(あさぎ)色の着流しでくつろいでいた。警戒心MAXの殺意すら隠さない表情で和樹は問いかける。


 ひょこりと妻がキッチンから顔を出した。

「あら、おかえりなさい和樹さん。どうしました?」

「そちらの男性はどなたでしょう。僕、お会いしたことありませんよね?」

「え? あ、もしかして和樹さんにも見えるの?」

 きょとりとしてからびっくりした表情をするゆかり。

「え? “にも”って?」

 和樹の眉間に不可解さを示すしわがよる。

「ふふん、我は神だからな。つまり、こういうことだ」

 自信家であることがうかがえるドヤ顔の金髪男をちらりと見ると、頭に三角の耳が生えてピコピコと動いており、身体の周りにはふさふさとした金髪。いや尻尾か、これは。しかもこの数。

「まさか、九尾の狐……?」

「隣町の神社のお稲荷様ですよ。和樹さん、今まで見えなかったのにねぇ」

「我が姿を隠していないだけだ。この家の中なら姿を見せても問題あるまい。なによりそうせねば、えんがいなり寿司を作れん」

「えん?」

「はぁい、呼びましたか?」

 ひょこりとゆかりがもうひとり姿を現し、和樹は文字通り、目を丸くした。


「え? ゆかりさんがふたり? ドッペルゲンガー?」

 珍しく混乱している和樹を面白そうに見ているゆかりは笑いを止められない。

「くすくす。違いますよぅ。この人は、おえんさんです。お稲荷様の妻になった私のひいひい……えーっと、とにかくご先祖様のきょうだいです」

「はい、狐に嫁入りしたえんと申します」

 にこにこと、ゆかりにそっくりな笑顔を見せるえん。よく見れば、裏葉柳と呼ぶのだったか、薄い緑色の着物を着ていた。

「はあ、それはそれは、ご丁寧にありがとうございます。ゆかりさんの夫で石川和樹と申します」

 折り目正しく頭を下げる和樹。ゆかりは、和樹の手元に注目する。

「和樹さん、それはあのケーキ屋さんの箱とご近所のパン屋さんの袋ですね」

「あ、はい。ゆかりさんが食べたいかなと思って買ってきたんです」

「わあ、ありがとうございます。いなり寿司を作り終わったらいただきますね。冷蔵庫にしまっておきましょうか?」

「そのくらい僕がやりますよ。あ、でもパンだから常温のほうがいいかな。リビングに置いておきます。そこまで時間かからないでしょう?」

 ピーッ。ここで炊飯器が炊き上がりを告げた。


「あ、ごはん炊き上がった。すし飯作らなきゃ」

「それ、こちらで僕がやりますよ。ゆかりさんはおえんさんと薄揚げの仕上げを。中身も、何種類か作るんでしょう」

「いいんですか? お疲れなのに」

「いいんですよ。僕もゆかりさんとの共同作業は嬉しいので」

「ありがとうございます!」

 にこりと和樹に礼を告げると、キッチンからすし桶を持ったえんがやってきた。

「お手伝いありがとう存じます」

 えんがふわりと笑って和樹に礼を告げると、金髪男こと稲荷がむっとした表情をする。

「たまには我も手伝ってやろう」

「まあ、ふふっ。ありがとう存じます。ではこちらを」

「うむ」

 えんは稲荷に団扇を渡す。その間に、ゆかりは寿司酢ともう一本の団扇を和樹に渡すと、えんと共にキッチンに戻っていった。


 和樹はざざっと白飯をすし桶に広げていき、しゃもじを伝わせた寿司酢を全体に回しかける。切るように混ぜながら稲荷に話しかける。

「早く冷ますために、これを団扇で扇いでください。こんな感じで」

 和樹は右手でしゃもじをせわしなく動かしながら、パタパタと左手の団扇ですし飯に風を送る。

「ふむ。こうか」

 稲荷もバタバタと団扇を動かし始めた。


「ただいまぁ」

「ただいまーっ!」

「おかえり」

「おかえりなさい。あら、わらしくん。いらっしゃい。久しぶりねぇ」

 元気いっぱいの子供たちが帰ってきた。そこでわらしに会ったから連れてきたという。

「あっ、おきつねさまだ」

「いなり寿司食べに来たの?」

「うむ。今は作っておる」

「あ、ホントだ」

「いっしょにつくると、もっとおいしくなるよねぇ」

「ほう、そうか」

「うん。だからいつもよりさらにおいしくなるとおもうよ」

 ワクワクを隠さず話しかける子供たちの言葉に、さらに興味深そうにすし飯に目をむけ、勢いよくバタバタと扇ぎだす稲荷。子供たちが慌てて止める。

「あ、もうけっこうさめてるから、あんまりバタバタするとさめすぎちゃうよ」

「む。そうか。なかなか難しいのだな」

「うん。お父さん、うちわこっちにちょうだい。おきつねさま、わたしといっしょにやろう?」

「よかろう」

「ぼく、これおさえてる」

 進は寿司桶をぎゅっと抱きしめる。バタバタ、パタパタ、バサバサ。すし飯がつやつやしてきた。


「そろそろいいんじゃないかな」

「うちわおかたづけしてくるね」

「うん、ありがとう。よろしく」

「はーい。おかあさん、おすしのごはんできたよ」

 団扇をささっと片付けて戻ってきた子供たち。ゆかりはキッチンからコップに入った麦茶を持ってくる。

「はい、水分補給しましょうね。たくさん汗かいてきたでしょ。これ、お塩少し入れてあるからね。わらしくんもどうぞ」

 トントンと子供たちの前に麦茶を置いていく。ゆかりはすぐにそそくさと戻ってお揚げや具材をいろいろと持ってくる。誰もいない場所にも麦茶がひとつ。和樹はそれをじっと見つめる。

「そうか。わらしくんはそこにいるんだね」

「む? お主はわらしが見えぬのか」

「ええ。残念ながら」

「ほう、では見せてやろう。ほれ」

 稲荷の耳がピコピコと動き、尻尾の一房がふぁさりと動く。それを見てもう一度麦茶のほうを見ると、絣の着物を着た子供がひとり。

「あ……もしかして、君がわらしくん、なのか」

 初めて和樹と視線があったわらしは、驚きながらぶんぶんと首を縦に振る。和樹はふわりと笑う。わらしはちょっと嬉しそうだ。

「はじめまして、でいいかな。石川和樹です。いつもゆかりさんや真弓や進がお世話になってます」

「えっと、ぼく、わらしって呼ばれてる」

「うん、これからもよろしくね」

「ん、よろしく」


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