216 勘違いレター
いつも通り喫茶いしかわで受験勉強をしていた飛鳥と佳苗が眉間にしわを寄せている。
「う~~、やっぱりわかんないぃぃ」
飛鳥がぱたりとテーブルに突っ伏す。該当の問題を指さしながら向かいの席に座る佳苗に聞く。
「佳苗ちゃんはこれわかる?」
困り眉で静かに首を振る佳苗。
「そっかぁ」
ちらりと店内を見回す。
「たまに勉強教えてくれるお兄さんやお姉さんは今日は来てない……か。あーあ」
その様子を喫茶いしかわのエプロンをつけてお手伝いをしている真弓がじっと見ていた。うーんと首を傾げながら店内を見渡すと、一つのテーブルに目を留めた。若い男性がふたり、アイスコーヒーを飲みながら楽しげに会話をしている。トテテ……と近づいていく。
フロアを見られる位置にいるほうの男性が真弓に気が付いた。
「何か用かな? ウェイトレスさん」
ウェイトレスと聞いて背を向けるように椅子に座る男性が少しいぶかしげな顔をしてチラリと視線を横にすべらせてから目線を下げて、なんだ子供かという顔をすると、そのまま視線を前に戻してしまった。
「お兄さんたちは、高校生?」
「そうだよ」
「おべんきょう、とくい?」
「うーん、まあ、それなりには。なんで?」
真弓は、テーブルひとつ挟んだ場所で難しい顔をしている二人を指す。
「あのね……あすかおねえちゃんとかなえおねえちゃん、中学生でね。おべんきょうわからないところあるみたいだから、教えてあげてほしいなって思ったの」
誰も気付いていないが、真弓が上目使いで質問する様子は、ゆかりが和樹におねだりする仕草にそっくりだった。
「いつもはわたしのお父さんとか、よく来てくれる高校生や大学生のお客さんが教えてあげてるの。でも今、よく見かけるお客さんはお兄さんたちしかいないから……どうかなって。ダメ?」
こてりと首を傾げる真弓に、奥の席の高校生がくすりと小さな笑顔を見せる。
「いいよ。わかる範囲なら一問くらい教えてあげる。ほら健斗、いくぞ」
「なんで俺まで」
「いいから来い、ほら」
手前の席で渋る健斗をムリヤリ引っ張って、女の子たちの席に向かう。
「お姉ちゃん! このお兄さんたちがお勉強教えてくれるって」
「えっ!?」
突っ伏していた腕の間からがばりと頭を上げる飛鳥。びっくりして丸くなった目。起き上がった拍子に髪の結び目から短い髪がぴょんと飛び出して、はらりと顔の前に垂れた。
「こんにちは」
にこりと笑うのは、爽やかスポーツマンタイプの見た目で奥の席にいた高校生。
「ウェイトレスさんたってのお願いで、お勉強を教えに来ました。僕は陽樹、でこっちが健斗。よろしくね。で、二人とも同じ問題がわからないの?」
「あ、はい。えっと……飛鳥です。よろしくお願いします。私はこの問題とこっちの問題の二つです。こっちが佳苗ちゃん……佳苗ちゃんは、わからないのはこの問題だけ?」
こくりと頷く佳苗。軽い手話まじりの会話で、高校生たちも佳苗の耳が不自由なことに気付いたようだ。
「ふうん、そっか。じゃあ、健斗は飛鳥ちゃんに教えてあげて。俺はこっちの彼女に教えるから」
「お、おい、勝手に……」
「ん? なら担当を交代するかい?」
「い、いや……このままでいい」
慌てる健斗に、にやりとしながら問う陽樹。少々どもりながら了承の言葉を口にする健斗。
「よし、じゃあ始めよう。このテーブル、こっちにくっつけてもいいかな?」
隣のテーブルを指さしながら真弓に確認する陽樹。
「うん! ありがとうお兄ちゃんたち」
満面の笑みで頷いてお礼を言う真弓。
「ただいま買い出しから戻りましたぁ。あら」
裏からエプロンを付け直しながら入ってくるゆかりは、テーブルを動かす男子高校生ふたりを見てきょとりとした。
「お母さん! お帰りなさい! あのね、このお兄ちゃんたちがお姉ちゃんたちにお勉強教えてくれるって」
「あらそう。お手数をおかけしてすみません。もしかして、この子が無理にお願いしたんじゃないですか?」
少々眉を下げながらテーブル席にやってきたゆかりがぺこりと頭を下げる。
「お願いはされましたけど、無理矢理ではありませんよ。僕ら二人とも、ここのコーヒー好きなので」
人当たりのいい陽樹が答える。
「そうですか。それなら、お二人にアイスコーヒー一杯ずつ、私からサービスしちゃいます」
唇の前に人差し指を立てて内緒のポーズをしながらふわりと笑うゆかりを見ていた高校生と中学生は、真弓にとても似ていると思った。いや真弓がゆかりに似ているのか。
「ありがとうございます。嬉しいです」
陽樹が礼を言う。健斗はぺこりと頭を下げる。唇の端が上がっているから嬉しいらしい。
「お母さん、わたしがサービスする! わたしがおねがいしたんだもん」
「あらそう? じゃあ真弓ちゃんにお願いしようかな。アイスコーヒー入れたら、席まで運んでくれる」
「はいっ!」
右手をピンと上げる真弓の頭をくしゃりとひと撫でしたゆかりはカウンターに戻っていった。
◇ ◇ ◇
あれから次の春が来て、飛鳥と佳苗は無事目標とする高校に合格した。ドキドキしながらパリッとした制服に袖を通し、緊張しながら出席した入学式でまさかの再会を果たした。
「でもまさか、あの二人が学校一の有名人でモテ男な生徒会長様と副会長様だったとはねぇ」
壇上にいた二人が飛鳥を見つけてニヤリとしていたのを、飛鳥も佳苗も見逃していなかった。初々しさのある女子高生二人はお互いを見つめて苦笑する。
二人ともなんだかんだで和樹を筆頭に“モテるイケメン枠”な男性が多く現れる喫茶いしかわに入り浸っていただけあって、イケメンへの耐性が付きすぎていたらしい。以前、勉強の隙間の雑談で
「そこまでご近所ってほど自宅が近いわけじゃないのに、どうしてこの喫茶店の常連さんになったんですか?」
と聞いてみたら
「コーヒーが絶品なのはもちろんだけど、ここの喫茶店なら変な騒がれ方しないから」
と言っていた。その理由がここに通うようになって納得できた。飛鳥は幼い頃に「炎上コワイJKコワイ」と言って青くなっていたゆかりの姿を思い出し、納得した。この高校で喫茶いしかわの情報は話さないほうがいいだろう。彼女たちは一瞬のアイコンタクトで意思疎通を図った。
幾度となくファンに囲まれたアイドル状態な二人を見かける機会があり、自然と距離を取っていた。そして浮ついた新入生が落ち着きを見せる頃、佳苗ちゃんからお願いされた。
『先輩たちにお礼のお手紙を書いたから渡してほしい』
「んー、渡すのはいいけど……これってもしかしてファンレターとか、まさかのラブレターだったりしないよね?」
ちょっと唇の端がによっとしている自覚をしながら飛鳥は佳苗に確認する。
『本当にお礼の手紙。いいからお願い!』
「わかった」
ちょっと歩けば目当ての姿はすぐに見つかった。あれは健斗だ。ああまで無防備にしているということは、すぐに陽樹も来るだろう。飛鳥も佳苗もそう判断する。佳苗は、渡してきてお願い! の意思をこめて飛鳥の背中をぐいっと押す。
「あ……ちょっ……」
佳苗の力が入りすぎたらしく、飛鳥はおっとっと……とたたらを踏んだかと思うと、ドン! と健斗の背中に鼻から激突した。健斗がパッと首を後ろに向け衝突した物体を確認しようとする。
「いたた……あ、ご、ごめんなさいっ!」
やや赤くなった鼻をさすっていた飛鳥は、ハッとして慌てて一歩後ずさると、直角に折れ曲がって謝罪した。視線を下に向けると、自分の手に収まっている桜色の封筒が目に入る。チラリと斜め後ろに視線をやると、佳苗がごめん! のポーズをしていた。
飛鳥は仕方ないなぁと小さく息を吐くと、パッと桜色の封筒を両手で前に出す。
「あのっ、これ、読んでください!」
「え? あの……」
押し付けるように封筒を健斗に渡した飛鳥は、一目散に佳苗のところに戻り、佳苗の手を取って慌てて逃げていく。すると入れ替わるように陽樹がやってきた。
「健斗ーっ! ……ん? あれって、お前が口説きたくて通ってる喫茶店のコ、だよな?」
健斗の反応がないことをいぶかしく思った陽樹が振り返ると、呆然としている健斗の姿。
「おい、おーい、健斗っ!?」
健斗は、これ以上ないほど真っ赤な耳をしていた。
一方、逃げ出した飛鳥と佳苗は、校舎裏ではあはあと荒くなった息を整えていた。
「はあ……はあ……はあ……あれ? 私、あの手紙、佳苗ちゃんからですって伝えたっけ?」
うーん思い出せないと首をひねる飛鳥。
そう、手紙を渡した現場で佳苗からだとは伝えていないし、佳苗もうっかり自分の名前を手紙に書き忘れていた。
意中の女性である飛鳥からのラブレターだと盛大な(だが無理からぬ)勘違いをした健斗は、これを機会に大きく想いの針を動かし、飛鳥と恋人同士になるべく奔走するのであった。
そして夏。
「せ、先輩っ? なんで喫茶いしかわのエプロンつけてるんですか!?」
「ははは。夏休みだからバイトしようと思ってね。ここでは君のほうが先輩だよね。よろしくね、先輩」
続……かない! 出オチネタです。
これ実は、ラブレターと勘違いされるところはポンと思いついたものの、その後の紆余曲折とかまったく思いつかなかったので、一年以上熟成発酵してたネタです。
だから最初は、そこだけを今年七月の頭にやった「書きたいところだけ書く企画」に出そうかなと思ってました。
一応それっぽい冒頭シーンらしくはなったかなと思ってます。
が、この後は続きません。ノープランなので。誰か考えて(笑)




