214-1 おそろいに浮つく心(前編)
和樹さんとお付き合いを始めて、もうすぐ二週間になる。彼はとても忙しい人だから、なかなかデートらしいデートは難しいけれど、仕事の合間に少しでも時間があると喫茶いしかわに来てくれる。
わたしが淹れたコーヒーを飲みながら他愛のない話をして笑い合う。
さらに来店が閉店間際で時間があるときはマンションまで送り届けてくれる。
どれも長い時間ではないけど、少しでも彼と同じ時間を一緒に過ごせることが幸せ。
『明日には仕事が落ち着くので、明日の夜ゆっくり会えませんか?』
早番で仕事を終え、バックルームでメッセージを確認すると彼からそうメッセージがきていた。
“ゆっくり”その文字を見て頬が緩む。
『もちろんです! 夜ってことはご飯は一緒に食べられますか?』
メッセージを送り返すと直ぐに既読がつく。珍しい、普段は中々既読がつくのに時間がかかるのに。
すると、いきなりバイブが鳴った。画面を見ると彼の名前が表示されている。急いで通話状態にして耳に当てる。
「も、もしもし」
思わず声が上擦った。恥ずかしい。クスクスと和樹さんの笑う声が聞こえる。
「ちょっと笑わないでくださいよぉ」
『ふふ。すみません。可愛くてつい』
「……」
『もしかして照れてます? ふふ。本当に可愛いなぁ』
彼の言葉に顔に熱が集まる。チラッとロッカーに備え付けられている鏡を見ると、真っ赤な顔をした自分が映っている。電話でよかった。こんな赤い顔を見られるのは恥ずかしい。
『ゆかりさん』
甘い声が優しくわたしの名前を呼ぶ。彼に名前を呼ばれる度にわたしは自分の名前が好きになる。
『明日の夜ご飯ですが』
「はい! どうしますか?」
『ゆかりさんの手料理が食べたいです』
「へ? 私の?」
『駄目、ですか?』
甘えるように聞こえる和樹さんの声に胸がキュンとなる。
「駄目じゃないです!」
『よかった。じゃあゆかりさんの家に行っていいですか?』
「もちろんです!」
『明日楽しみにしてますね』
「私も楽しみにしてます!」
『うん。じゃあ仕事戻りますね』
「はい! 頑張ってください」
通話を終え、彼に明日会える嬉しさに鼻唄をうたいながらエプロンを外した。ハンガーに掛けてあるパーカーを羽織り、外したエプロンをハンガーに掛ける。ハンガーを再びロッカーに仕舞い、鞄を手に持ちバタンとロッカーを閉めてわたしはハッとした。
「和樹さんが家に来る……!」
付き合って初めてゆっくり過ごすのが自分の家になるとは。
“ゆっくり会える”“家に来る”。ということは、もしかしてもしかしなくても付き合っているのだからそういうことがあるかもしれない。いい歳にもなって未だに経験がなくて正直怖い。だけど、大好きな彼と繋がりたい気持ちはある。
「よしッ!」
念のため。念のために明日に備えて可愛い下着を買いにいこう。そう思い立ったわたしは足早に喫茶いしかわを後にする。早番であがり時間はまだたっぷりあったので、近くのショッピングセンターへと向かった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
ランジェリーショップの綺麗なお姉さんの挨拶を背にショップから出る。歩きながら手に持つ可愛いショッパーを見て頬が熱くなる。ミントグリーンにたっぷりのフリルのベビードール。それとセットでサイドにフリルがあるショーツ。買ってしまった。生まれて初めて大好きな人に見てもらいたくて選んだランジェリー。これを着たわたしを見て彼はどう思うかな。
『ゆかりさん』
……いけない、いけない。ついベッドで彼に見下ろされているところを想像してしまった。わたしはふるふると首を横に振り、頭の中の想像をかき消した。
しばらく歩きながら色々なショップの前を通りすぎるわたしの足が止まる。可愛い雑貨屋さん。そこにあるスリッパに目が止まった。わたしはスリッパの方へと歩き、じっくりとそれを眺める。
“さりげないペアスリッパ。足下から彼とお揃いを”と可愛らしい字でポップが貼られている。
スリッパはネイビーベースに星柄。一組の方にはMs、もう一組の方にはMrと小さくさりげない刺繍がされている。
家にはお客さん用のスリッパはある。でも彼は恋人だからお客さんじゃないし、これから彼がわたしの家に来る日が多くなるはずだから……これくらい買ってもいいよね。刺繍もよく見なきゃわからないから、ペアだと気づかれないし。ペアなんです、なんて言うのは何だか恥ずかしいから、彼には内緒でこっそりと特別感を味わおう。
わたしはスリッパを手にとりレジへと向かい、ペアスリッパを購入した。
雑貨屋さんを出たところで彼からメッセージが入った。近くにある休憩用の椅子にメッセージを開く。
『明日はゆかりさん特製ナポリタンが食べたいです』
そんなものでいいのかしら? あ、でもこの前喫茶いしかわに来てくれたとき「久しぶりにゆかりさん特製ナポリタンが食べたいなぁ」って言ってたっけ。その時はお仕事の電話が掛かってきてすぐに帰っちゃったんだった。
わたしは『了解です!』と送った。改めてしげしげとランジェリーショップのショッパーと雑貨屋さんの紙袋を見る。明日が楽しみすぎて浮かれてるなぁ。一緒にご飯食べて、ゆっくりお話して。それから……。
あれ? 夜にゆっくり会えるってことは何時に帰るんだろう? もしそういうコトになったら終わったら帰るの? 深夜に? でも、そういうコトにならなくても帰らないでほしいなぁ。一緒にいたいなぁ。そう思うのはわがままなのかな。
まぁ彼はいつも忙しいし次の日も仕事かもしれないから、もしかしたらご飯食べてすぐに帰るかもしれないな。いや、でももしかしたら一緒に一晩過ごせるかもしれない。だったら浮かれついでに、彼のスウェットでも買っちゃおう。兄が泊まりに来たときに置いていったって嘘ついちゃえば、泊まることを期待して買ったことなんてバレないしね。あと歯ブラシも買っちゃおう。これもストックだと言っちゃえばバレない。よし! と意気込んだわたしは立ち上がり歩き出した。
買い物を全て終えて私は家に帰った。晩ごはんは昨日の残りのカレー。あとはサラダを作って済ませた。
お風呂からあがり、買ってきたものを袋から取り出し値札をとる。彼用のスリッパを玄関のスリッパ立てにおき、わたしは自分用のスリッパ履いてみる。
「えへへ。和樹さんとお揃い」
口許は緩むし、スキップでもしてしまいそうなくらい浮き足たっている。スウェットとランジェリーは明日洗濯しないとね。
軽い足取りで、パタパタとスリッパの音をたてながら洗面所へ向かい、スウェットは洗濯カゴヘ。ランジェリーは洗濯ネットに入れておく。
洗面所にいるついでに歯磨きをするために、今日買ってきた歯ブラシを開封する。最初は彼の分だけ買おうとしたけど、この際自分の分も新しくしてしまおうとピンクとイエローの歯ブラシを買った。
本当はブルーを買いたかったけど、それだと確実にバレてしまいそうなので、やめておいた。
歯磨きを終えて歯ブラシを置く。明日は彼の歯ブラシがここに並ぶのかな。並ぶといいなぁ、なんて思いながら洗面所の電気を消した。
お手洗いを済ませて、ベッドに入る。明日は朝から夜までシフトが入ってるから早く寝ないと。
「おやすみなさい」
アプリの目覚ましをセットして目を閉じる。明日は楽しみだなぁ。
そういえばわたしって小さい時から、遠足とか楽しみがある日の前の夜は中々寝れないんだよね。でも、明日は朝早いんだから早く寝ないと。
……明日はこのベッドで彼と。
「駄目だ。寝れない」
パッと目を開ける。
考えてしまう。明日のことを。想像してしまう。明日のことを。
大丈夫かな、ちゃんと最後までできるかな。やっぱり痛いのかな。
「ってこんなこと考えてないで寝ないと!」
わたしはぎゅっと目を閉じた。
朝になり、目覚ましがわりにセットしたバイブを止める。
今日のことを考えすぎてほとんど、いやまったく眠れなかった。
「うぅ眠い」
目を擦りながらカーテンを開けると、陽の光が部屋へと射し込み眩しさに目を細める。
洗濯してご飯を食べて支度して、喫茶いしかわに行かないと。
ふわぁと大きなあくびをしてベッドから降りたわたしは、眠気を堪えながら洗面所へと向かった。
「うわぁ、隈が出来てる」
鏡に映る自分の目の下を見てため息がでた。仕方ない。コンシーラーで誤魔化すしかない。
隈をコンシーラーで隠した私は、眠気と闘いながら喫茶いしかわの業務を果たした。
帰る頃はもうすぐ彼に会える喜びで眠気なんて忘れていた。もうすぐ和樹さんに会える。楽しみだなぁ。私は足取り軽く喫茶いしかわから出て、買い物を済ませマンションへと帰った。




