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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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212 ケーキの名前

 久々にケーキ屋のお姉さん登場です。


 ドアベルが客の来店を告げた。

「いらっしゃいませ。あら、お久しぶりですね」

 常連ご家族のご来店に私は目を細める。

「ご無沙汰してました。相変わらず美味しそうなケーキがたくさん! 目移りしちゃいます」

「こんにちは、ケーキのお姉さん!」

 にこやかな奥様と、はきはきご挨拶するお子様ふたり。それを愛情たっぷりの目で見つめる旦那様。温かい家族の姿に自然と口角が上がる。旦那様は家族からこちらにすっと目線を移すと軽く会釈したので、こちらも会釈を返した。


「今日はお持ち帰りですか? それとも店内で?」

「店内で。ケーキセット四人前お願いします」

「はい。では先にお席にご案内しますね」

 カフェスペースにご案内してるとき、お子様たちの抱える冊子に気が付いた。あれは……。

「今日はご家族で映画デートだったんですか?」

「えぇっ! どうしてわかったんですか!?」

「子供たちが持ってるパンフレット。ですよね?」

「あ、そっか」

「ええ、そうです」

 本気でびっくりしている奥様に対し、さらりと答えを口にする旦那様。

「えいが、すっごくおもしろかったよ。ぼく、ドキドキした」

「わたしもドキドキした。パパかっこよかったね」

「パパ? まさかご主人が映画にご出演なさってるんですか!?」

 お冷やを提供しながら話を聞いていると、聞き慣れない単語が出てきた。このお子様たちはいつも旦那様をお父さんと呼んでいたはずだ。幼い頃から、ずっと。つい驚いて聞いてしまうと、奥様が苦笑しながら否定する。

「いえ、違います。パパって主人のことではないんです」

 さらに驚く。それってつまり、お父さんとパパがいて……まさかこのお二人、再婚同士だったの!? こ、これは、これ以上聞かないほうがいいかしら。


 こちらが脳内で忙しく予想を繰り広げていると、旦那様から訂正が入る。

「俳優の連城さん、いらっしゃるでしょ。彼が妻の古い知り合いで、子供たちも赤ん坊の頃からなついてるんですよ。それで、プライベートで会うときはパパって呼ぶようになってしまって。あまり外で名前を出すわけにもいかないし、向こうもまんざらでもないみたいだから、なあなあになってしまって」

「まあ、連城さんとお知り合いなんですか」

 連城さんといえば、私でも名前を知っている、二十年以上第一線を走り続けているイケメン俳優さんだ。そういえばこのへんが地元だったなと思い出すが、驚きすぎてぱかりと口が開いたままになってしまう。でも妙に納得した。奥様がご幼少のみぎりからあのイケメン俳優を見慣れているなら、おそらくこの美丈夫が隣に立ってもふわふわ浮きたつことはなかっただろう。珍しくごく普通の対応をされてあっさり惚れてしまったのではなかろうか。男性は追いかけられたら逃げたくなるけど、基本的には追いかけたくなるものというし、きっとそうだわ。ああ脳内が忙しい。

「ええ。ご近所さんで兄のクラスメイトだったので。ついでで私も何度か遊んでもらったことがあるんですよ。もちろん、小さい頃の話ですけれど」

「はあ……」


「お父さん、ぼく、このチョコレートのケーキがいい」

「あ、私これ! フルーツたっぷりのやつ」

「いいよ。じゃあ、その二つお願いします。僕は、そうだな。紅茶シフォンで。ゆかりさんは?」

「あ、えっと……あら、このブリュレケーキ美味しそう」

 くちどけブリュレケーキに目を輝かせる奥様をとろりとした視線で見つめる旦那様。声は出さずに「可愛い」と言っているのが視界の端に見えた。

「じゃあ、このくちづけブリュレケーキをください!」

 にこやかに宣言するように注文する奥様に、皆の視線が向く。旦那様がくすりと笑うと奥様は何か変だと気付いたようだ。きょとりと首を傾げる。

「ん? どうしました?」

「新しいバリエーションでキスをおねだりされてしまいましたね」

「え? なんでそんな……あ!」

 メニューを改めて確認し、自分の言い間違いに気付いたらしい奥様は、目を丸くしてから恥ずかしそうに両手で口を押えて、それから顔を覆って俯いてしまった。

 本当に可愛らしい仕草が似合う人だと思う。

「うう……ただの言い間違えですぅ。おねだりなんてしてません」

「そうですかー? ゆかりさんならキスのおねだりも大歓迎なんだけどな。大サービスで対応しますよ」

「だからただ言い間違っただけです! 和樹さんがしょっちゅう口づけとか言うからぁ……」

 泣きそうな声で恥ずかしがる奥様に対し、面白がっている旦那様は奥様の肩を抱き寄せてわざと耳元で囁いている。お子様たちは見慣れているのか私や周囲の客よりも平然としている。


 お子様たちはお子様たちで肩を寄せ合ってひそひそと話し始めた。

「なーんだ。いいまちがいなんだ。つまんない」

「どっちにしてもお父さんはお母さんにたくさんキスするよね。……もしかしてお父さん、これからシュークリームのこと“ちゅうクリーム”とか言って、シュークリーム買うたびにお母さんにキスするんじゃない?」

 耳ざとく聞きつけた旦那様がパッとお子様たちのほうを向く。とてもいい笑顔だ。

「それ採用!」

 奥様とお子様たちがぴしりと固まる。こちらにすいっと顔を向ける旦那様。

「追加でシュークリーム四個、テイクアウトします。食後、お会計のときあちらで受け取りますね」

「は、はい。かしこまりました」


 さらりと溶けるような食感から名付けられたはずのくちどけブリュレ。

 このご家族に提供することになったくちどけ改めくちづけブリュレ。

 名前のマイナーチェンジできっと、さらに甘いスイーツになったに違いない。


 お姉さん、天然さんのせいでとんでもない被弾しました。

 和樹さんすぎる和樹さんがまた恐ろしい追撃を。


 ブリュレのカラメルの苦味はどこかに吹っ飛びそうです。

 砂糖控えめで作っても甘ったるくなりそうです。

 このケーキ屋さんでは特定の時期だけブリュレの名前が「くちどけ」から「くちづけ」に変わることになるかもしれません。


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