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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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211 被写体の魅力

 和樹さんが「イケメン店員現る!」と話題になって少し経った頃のお話。

 最近マスターと相談してはじめたという、喫茶いしかわの宣伝SNS。

 画像を載せてコメントをつけるという使い方は、料理や見た目の綺麗なスイーツを扱う飲食店には向いているようで、閲覧者からのリアクションも順調に増えている。一見の客が「あの映え写真を見て来ました」と言ってくれることもある。

 宣伝効果は上々だ。

 ゆかりの写真がなかなか上手いことも好評の理由のひとつだろう。

 ただし、時々マスターの後ろ姿や、店とは関係のない近所の野良猫の集会が写っていたりもする。


「和樹さんは写真イヤなんですもんね。もったいない、せっかくイケメン店員なのに」

「本業は別ですし。それに写真は昔から苦手で……すいません」

「いいの。私も昔は苦手だったもの」

 兄にカメラを向けられてそっちを向くと、すかさず変な顔するから微妙な笑顔でしか写れなくて、と微笑ましい愚痴をこぼすゆかりに、スマホのレンズを向けた。

「かわりに、たまには写真撮るほうやりますよ。マスターもこっち向いてください」

「僕はいいよ、ゆかりだけで十分華やかでしょ」

「えっ、なんでですか、一人は恥ずかしいんですけど」

 新作の期間限定パイを持って照れ笑いを浮かべるゆかりと、肩口だけ見切れたマスター。

 それが和樹が喫茶いしかわのアカウントに投稿した、最初の一枚だった。


 その後もゆかりと交替しながら、不定期に更新係を務めていた。

 じきに、ゆかりは料理と外の風景写真、和樹は店内風景と店員の写真、というように、作風のようなものができあがっていく。

 朝の仕込み中のゆかりと、カウンターで新聞を読むマスター。テラス席の周りの植木に水撒きをするゆかりを窓越しに。喫茶いしかわの特製コースターに書いた落書きのメッセージ。賄いのナポリタン。

 ゆかりの写真を載せ始めた時も反応はよかったし、彼女が以前言っていた『和樹ファンの女子高生がネットでプチ炎上』だとかいう話も、しばらくは鳴りを潜めていた。

 このまま和樹の存在を匂わせなければ問題は起きないのでは、と思っていたのだが。


 閉店後、ゆかりがスマホを見つめて困り顔をしていた。カウンター越しに向かいに立つと、顔を上げて和樹を見上げてくる。もともとたれ目のたれ眉がちなのに、そんな表情で上目遣いだと、迷子のタヌキやアライグマみたいだ。機嫌を損ねそうなので言ったことはないが。

「和樹さぁん」

「また炎上ですか?」

「私の写真を載せた投稿にひどいコメントが」

 ゆかりの差し出したスマホ画面を見ると、たしかに和樹の投稿したゆかりの写真にばかり多数のコメントがついており、その大半がゆかりへの誹謗中傷だった。

「でしゃばらないで、ですか……」

「ブスとかウザいとか……もうやだぁ」

「ゆかりさんは文句なしにかわいいですけど」

「そういうことじゃない!」

 ただの本心だったが、迷子のアライグマが今にも泣きそうなアライグマになってきたので、口を閉じてスマホ画面に集中する。


 中傷コメントの数は多いが、いくつかの同じアカウントが繰り返し投稿しているだけのようだ。

 主旨はあってないようなものだが、ゆかりの写真にというより、和樹が写真に写っていないことへの文句が多い。そのゆかりの写真の撮影者が和樹であることに、気付いてはいないらしい。

 試しにプロフィールを覗いてみるが、典型的なネットリテラシーの低い女子高生、という印象だった。多勢でマナーが悪いので厄介に見えるが、対策は難しくないだろう。

 喫茶いしかわの投稿にはもちろん中傷だけでなく好意的な反応も多数あるのだが、それらを埋もれさせることが目的らしく、ずいぶんスクロールしなければ見つけられなくなっていた。

 その中の一つが目に留まって、ゆかりを呼ぶ。


「ゆかりさん、これ見てください」

「はい」

 頭を寄せてくる彼女にスマホ画面を傾ける。中傷コメントの主たちと同じような少女の顔写真アイコンのアカウントだったが、他とは明らかに方向性が違っていた。

「『イケメン店員わたしのユカリさんに馴れ馴れしくない?』」

「言われちゃいましたねぇ」

「わ、わたしのユカリさん?」

「他にもありますよ、ゆかりさんファンという子からのコメント」

「ファン……?」

 目に見えて困惑している。常連客の誰もが認めるこの店の看板娘だというのに、この自覚の低さはなんなのだろう。

「そんなに驚くことですか? ゆかりさんかわいいし、いてもおかしくないと思ってましたけど」

「お、おかしいですよお」

 目を白黒させながら画面と和樹を見比べるゆかりに、笑いを堪えきれなかった。口元を拳で隠す。和樹が肩を揺らしているのに気づいたゆかりが、眉を寄せて人差し指を突きつけてきた。


「あのね! 知らない人からファンだとか言われることなんて普通ないの! 和樹さんは知らないでしょうけど!」

「僕だって滅多にないですよ」

「だから、普通は全っ然ないの! ゼロなのっ」

「あはは」

「すぐあははって言う」

 唇を尖らせて、なんか他人事っぽいんだよなぁ和樹さん、と呟いたゆかりは、ふうとため息を吐いた。

「ああもう、テンパっちゃった。結局炎上してるし……」

「それならコメント制限と、アカウントいくつかブロックすればだいぶ良くなると思いますよ」

「ブロックしていいのかな、お客さんなのに」

「お客さん、ねぇ……ゆかりさんとマスターを写した写真の撮影者が僕だと気づいていないってことは、ここの店員が何人いるかすら知らないってことですよね。まともに来店したことがあるのかも怪しいですよ。それに、ほら」

 和樹は再びスマホ画面を示した。今度はわかりやすい数字の話だ。コメント数は四十件弱、有名店でもない一喫茶店のSNSに寄せられる数としては、決して少なくはないかもしれない。だがハートのついた『いいね!』マークの隣にある数字は、軽く倍を超えている。三桁目前だ。

「喫茶いしかわのお客さまはこっちですよ。だから大丈夫です」

 ぱ、ぱ、と瞬きをして数字を見つめたゆかりが、そのフラッシュのような視線を和樹に向けた。

 彼女の微笑みは、細めた目と、上がった口角と、かわいらしいおでこと、目映いばかりの光でできていた。

「そっか、うん、それもそうですね! 私たちは喫茶いしかわを大事にしてくれるお客さまを、大事にしなきゃ」


 喫茶いしかわの若手常連客の筆頭といえば、聡美とその友人数名。

 その中でも、最も女子高生然とした女子高生であるのが彼女、遥嬢。いまだに折り畳み式携帯電話を使っている親友に対し、それなり以上に裕福な家のお嬢様である彼女はスマートフォンの最新機種を使いこなす。友達といてもずっと触れているなんてことはしないが、喫茶いしかわでスイーツを頼むと必ず写真を撮っている。いつも一口食べてから思い出したようにカメラを起動するのが、彼女らしい愛嬌だが。

 うっかり写りこんでいては困るなと思った和樹が、一度その写真をどうするのか聞いたことがある。

 SNSに投稿するのかと聞いたら、「んーん、彼氏とかパパに送るの。それから、あとで眺めて、おいしかったわ~って思い出す」と言っていた。

 そうは言いつつもそれなりにネットユーザーではあるらしく、カフェ特集のまとめ記事に喫茶いしかわ載ってたよ、と教えてくれたのは彼女だった。

 自宅から持ってきたというタブレット端末の大きな画面に表示してゆかりに渡す。一緒にいた聡美たちも覗き込み、店内は賑やかになった。


「ほらぁ、かわいい店員のいるカフェって!」

「ホントだ、ゆかりさん載ってる!」

「へえ、良く撮れてるじゃん」

「えーやぁだぁ、かわいいなんて」

 でへへ、とかわいくない照れ笑いの声を上げるゆかりに見えない位置で、くい、と眉を上げた。和樹がいくらかわいいと言ってもなんのひっかかりもなく流すくせに、見ず知らずの他人に言われるかわいいにはこの反応なのだ。聡美が顔をあげてこっちを向いたので、素早く表情を作り直した。

「喫茶いしかわのSNS写真、和樹さんが撮ってるってホントですか?」

「いや、ほとんどゆかりさん。でもゆかりさんが映ってるのは僕が撮ってますよ」

「はっはぁーん、なるほどぉ」

 目を細め意味ありげににやりと笑う遥に、今度は一体何を言い出すんだ、とやや警戒する。聡美によると昔からずっとそうらしいが、彼女はなかなか突拍子もない。


「和樹さんが更新係になると、いいねの数多いと思わない?」

「え? ……うん、そうかも」

「常連の人たちが、ゆかりさんの写真を楽しみにしてるからじゃないの?」

「そうよ、ゆかりさんかわいいのよ。でも和樹さんが撮ったゆかりさんが、特にかわいいのよね」

 ふふん、と自信たっぷりに言うさまが推理を披露する探偵のようで、やけに堂に入っている。だがゆかりは探偵の追求をのらりくらりとかわすように、小首を傾げた。

「そう? じゃあ和樹さんの腕がいいんだねぇ」

「じゃない! 女の子を一番かわいく撮れるのはその子の恋人である、って説があるの!」

「ちょっと遥ちゃん! そういうこと軽率に言わないの、変な噂が立ったらどうするの」

 彼女ら以外に客はいないというのに(だからこそ二人してフロアに出てお喋りに混じれている)慌ててシーッと人差し指を立てる。

 数日前に炎上対策を講じて以来、少なくとも喫茶いしかわのアカウント上では平和が保たれている。

 だがよそで起きる炎上沙汰は相変わらず気掛かりらしい。喫茶いしかわのアカウントに直接リプライという形でなくとも『ウザ』とか書かれちゃうんですから、と言っていた。


「まぁ眉唾説はおいといて、今度はその写真のおかげで僕がゆかりさんファンの女子高生から叩かれそうなんです」

「あらら」

「大変ですね」

「イケメン新人だの美味しすぎるケーキだの炎上だの、事欠かないわねぇ喫茶いしかわは」

「あはは。仕方ないので宣伝しようと思って、新作パフェ作りました」

「ずぶとい」

 新作パフェ最初の注文客は、お馴染みの女子高生たちとなった。


 その夜、和樹は自身のプライベート用のスマホを眺めた。電話帳に登録されているのは、ほぼ喫茶いしかわの関係者。使うのは電話とメッセージアプリ程度。メディアファイルには使用の痕跡があまりなかった。

 それが、近頃になって画像フォルダの中身がにわかに増えだした。喫茶いしかわのシフト表やレシピの走り書きを撮るくらいしか使わなかったカメラ機能を、人に見せる写真を撮るために活用しはじめたからだ。被写体は、料理と店内風景と、ゆかり。常連客のお嬢様の声が脳裏に蘇る。

『和樹さんが撮ったゆかりさんが、特にかわいいのよね』

『女の子を一番かわいく撮れるのはその子の恋人、って説』


 その説が、より魅力的に見える角度や表情をよく知っているから、という意味なら、当然だ。なにしろ一緒にいる時間が長いのだから、観察する機会はいくらでもある。まったく贔屓目がないかといわれると、和樹は頷けないが。

 本当はやろうと思えば、もっとかわいらしい瞬間をカメラに収めることだってできるのだ。アップルソースとカスタードクリームをふんだんに使ったパンケーキを賄いで出した時のゆかりの表情なんて、きっと和樹しか知らないだろう。

 画像フォルダには、SNSに投稿したよりもずっと多くの写真が入ったままになっている。

 彼女たちはああ言うが、和樹は「かわいすぎる写真を載せて変な男に付きまとわれたら困るではないか」と考えて、複数撮ったうち、あえて一番かわいくないものを選んで載せていたつもりだったのだ。


 すでに投稿済みの写真も投稿用に撮ってボツにした写真も、消してしまえばいいものをそうできない理由を、まだ持て余していたかった。

 SNS写真のためという大手を振れる理由で和樹さんの手元にどんどこ増えていくゆかりさんの写真。和樹さんにとっては加工なんかするまでもなくエフェクトかかりまくりな写真に見えていることでしょう。選ぶの大変。


 ちなみに和樹さんにとっての可愛い写真は、賄いのナポリタン食べて唇真っ赤でうっとりしてる表情とか、厚みのあるサンドイッチにかぶりついてるところとか、そのせいでマヨネーズが唇の端についてるところとか、ふわふわエスプーマを乗せたカフェオレを飲んで口髭ができちゃってるところとか。

 きっとゆかりさんが真っ赤になって載せちゃダメです! ってぷりぷり怒るチョイスになるので、実はお互いに利害は一致していたという(苦笑)


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