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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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209-1 けっこう本気ですけどね(前編)

 今回も過去話。和樹さんが店のお手伝いを始めて、距離が縮まりつつある頃のできごと。

「たらこスパゲティ、売り切れです」

 喫茶いしかわの人気メニューのひとつ、たらこスパゲティ。もともとはマスターが考案した品だが、ゆかりが厨房に立つことでなぜか人気が跳ね上がる一品だ。当然、和樹や他の面々が作っても味はほぼ同じなのだが、「やっぱりゆかりちゃんが作らないとね」という常連の声に応える形で、ゆかりが昼間のシフトに入っている時だけの限定メニューということで落ち着いている。とはいえ、ほぼ毎日のようにゆかりはシフトにはいっているから、たらこスパゲティを目当てにくる客は、当然、彼女のシフトも把握した上で来店する。


「お疲れさまです、今日も大人気でしたね」

「はい。あ、しまった。どうしましょう。賄いに残しておこうと思ってたのに、使い切ってしまいました」

「パスタはまだあるでしょう、他ので」

「うわぁ、どうしよう。何も考えてなかったんですけど」

 毎日では飽きるから、たらこスパゲティは滅多に賄いに乗ることはない。たらこだけでなく、モロヘイヤを使った季節のペペロンチーノも今日は良くでたし、定番のミートソーススパゲティは、子供たちにも大人気だ。サンドウィッチのセットもいつも以上に出ていた。買い出しのタイミングもあって、今日は食材の残りがあまりない。


「そうですねぇ」

「和樹さん、何が食べたいですか?」

「なんでもいいんですけど」

「それ一番困るやつですよ!」

 ぷうっと膨れた表情はとても可愛らしい。

 万一があってはと髪をひとつにまとめて厨房に立つゆかりは、和樹のぼうっとした返事に唇を尖らせる。時々ゆかりはどきりとする仕草でどきりとすることを言う。天然の怖さを和樹は嫌というほど知っている。

「はは。じゃあ、ナポリタンでどうでしょう、玉ねぎもウインナーもピーマンもありますし」

「定番すぎませんか?」

「定番が美味しいっていうじゃないですか。ゆかりさんにお任せしても?」

「わかりました、じゃ、張り切ってつくりますね! 和樹さんは、ホールのお掃除お願いしてもいいでしょうか」

「はい、もちろんです」


 ゆかりはいそいそと支度にとりかかる。彼女のそういう姿は単純に可愛いと和樹は思う。喫茶いしかわの手伝いをするようになってから、ゆかりは良き同僚だ。ちょっとドジだったり早とちりだったりする部分もあるが、その年代の女性にしては気が利いて、何しろ底抜けに明るい。前向きに物事を考え、裏がない。その姿に何度癒されたことだろう。

 好きだ、と和樹は自覚している。彼女の微笑みを、大切にしたいと思っている。片恋と呼べるもの。報われることのない恋だと、気づいている。


「あれ、忘れ物があるな……」

「どうかしましたか?」

 簡単に掃除をし、テーブルを拭く。残っていたコーヒーカップを持ち上げた時にふと、視界にバレンシアオレンジの明るい色の袋が目に入った。

「ソファーに忘れ物が。買い物袋ですね」

「あらいやだ、気づかなかった! そこに座っていたのは……あれ、誰だったかしら。和樹さん、覚えていますか?」

 ゆかりはフライパンを持ったまま目を丸くする。

 置いてあるのはオレンジ色の長方形のエコバッグ。持ち手の部分に小判形の穴が空いた不織布で、本屋の店名が白抜きされている。

 持ち上げると、中でビニールががさりと鳴った。


 ここに座っていたのは……と、和樹は眉根を寄せて、記憶を辿る。窓際に近い席に座っていたのは……ああ、と和樹は手を叩いた。

「ええと、朝はいつもいらっしゃるサラリーマンの二人連れでしたよね。モーニングでトーストとブレンドを頼まれる。けど、あの人たちは買い物袋を持っていなかった。となると、お昼前にお越しになった、ショートヘアの女性ですね。ミックスサンドとアイスコーヒーを注文した。あの方はたしか、三丁目のドラッグストアの薬剤師さんだったと思います」

「本当ですか!」

 午後からの勤務だから食べてから行かないと、と気さくに話をする姿に覚えがある。彼女は本屋のエコバッグを持っていることが多い。おそらく、と和樹は頷いた。

「だいたい月火金でお見えになりますし、今日は月曜日だから、明日もたぶん、来てくださると思います」

「え、でも荷物……それ、中身はなんですか?」

 見ても構わないですかね、とつぶやいて、和樹は袋を開けた。ビニール袋はコンビニのもので、触ってみる限り、ナマモノは入っていなさそうだった。


「えーっと。ストッキングと雑誌にお茶ですね。これなら腐るものではないですから明日までこちらで保管しておいても大丈夫かな。お茶も未開封だし」

「パンストだったら必要なんじゃ……」

 女性の必需品です、とゆかりが眉根を寄せる。伝線しちゃったのかもしれないし、そしたらとっても大変、と自分のことのように呻く。それはそうだ、女性にとってストッキングは武器のひとつだ。

「それなら取りに来てくださるかもしれません。ただ、それがその方のものだって確定したわけじゃありませんから……」

「あっそうですね。じゃあ、とりあえず置いとくってことで」

「ええ、そうしましょう」

「取りに来てくださるといいんだけど」

「はは。まぁ、忘れ物ってことで……」

 ゆかりは心配だなぁと外を眺めつつ、手元のフライパンも気にしている。中途半端にちょっとずつ残っていた玉ねぎ、ピーマン、ベーコン、それにウインナーを炒めて、味付けをしていく。賄いは手際が大事だ。よそ見をしていては焦げてしまう。

 和樹は袋をひとまずカウンターの片隅に置いた。昼過ぎに気がついて戻って来てくれたら、それでいいのだけれど。



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