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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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201-3 幸せはその手の中に(中編2)

「石川さん! 例の件についてなのですが……」

「ああ、構わんよ」

 とある会社のエース営業マン・石川和樹。部下からの信頼も厚く、様々な案件に引っ張りだこな日々を送っていた。

「石川さん! こちらの件についてもよろしくお願いします」

「わかった。今取り扱ってる件に目星がついたらすぐ向かう」

 仕事に追われながら奔走する毎日。それは大変なことながらも和樹にとっては充実した日々だった。


 ピリリリリ!

 バタバタと騒がしいデスクに一つのアラーム音が響く。長田はすくっと立ち上がると、アラーム音を消去し、部下に囲まれている石川の元に向かった。

「石川さん、お時間です」

 時は土曜日の十七時。長田に声をかけられ時刻を確認した石川は、部下たちの相手をしながらいそいそと帰る支度を始めた。

「長田さん、石川さん……今日お早いんですね」

「ああ、今日は例の教室の日だからな」

「例の教室?」

 部下の一人が頭にはてなマークを浮かべ始めた頃、帰り支度が済んだ和樹は長田に声をかけた。

「長田! あとは頼んだ」

「はい、わかりました」

 バタバタと部屋を出ていく和樹を見送った長田は、託された残りの仕事に手をつけ始める。

「あの……長田さん」

「なんだ?」

「例の教室とは何でしょう? またハードな重要案件でも始まるのでしょうか?」

「いやいや」

「……?」

「人の親になるんだ、あの人」

 仕事帰りに和樹が向かっている場所……それは両親教室だった。



 ◇ ◇ ◇



 両親教室とは新米パパ・ママ向けのマタニティスクールのことである。妊娠中の過ごし方や出産の仕組み、パパの育児における役割などを、ベテランの助産師がわかりやすくレクチャーしてくれるその教室に和樹は向かっていた。

「あ、和樹さん! 間に合いましたね」

 とあるビルの会議室の入り口横の椅子に座っていたゆかりは、仕事帰りの和樹を見つけて立ち上がり手を振った。ちなみにゆかりの経過は順調で今は妊娠二十一周目に入ったところである。

「ゆかりさん! お待たせしました。間に合ってよかった……」

「お仕事お疲れさまです! 夜間でもやってくれる両親教室があってよかったですよね」

 二人はすでに参加者がちらほら座っている会議室内に入った。日中に開かれている両親教室に参加できない面々がこの回に参加している。今回はゆかりたちの組を含めて八組だ。


「皆さんこんにちは。本日講義を担当させて頂きます助産師の藤井です。よろしくお願いします。早速ですが『パパの育児への関わり方について』講義させていただきます」

 最初は十五分ほどのモニターを使った講義だった。子育ては母親だけの仕事ではないこと、父親も積極的に参加してほしい旨が藤井から参加者に伝えられた。

 ゆかりはやや身体を傾けて、こそりと和樹に囁く。

「和樹さんはもう子育て参加する気満々ですよね! お仕事忙しくなるから無理かもといいつつ今日の教室にも参加していますし」

「男だから、仕事だからって言い訳したくないからね。学べることは学んでやれることはやらないと」

 次に藤井から妊娠中を快適に過ごすためにどうすればいいかのアドバイスがなされた。和樹は熱心にその話に耳を傾け、メモを取っていた。


 そして講義の時間は終わり、メインの実技の時間になった。

「和樹さん、赤ちゃんの抱き方は大丈夫ですか?」

「うん、説明は聞くけどオムツの替え方も大丈夫かな」

 簡単な説明がなされた後、赤ちゃん大の人形を使って実践をすることになった。和樹とゆかりは藤井の指名を受け、八組を代表して一連の流れを見せることになった。

「わ! 石川さんのママさんとパパさんはご夫婦揃って赤ちゃんの扱い方がお上手なんですねぇ」

「接客業でお客さまの赤ちゃんをお預かりすることもあったので自然に、ですかね?」

「お二人は職場で出会われて結婚したんですか?」

「まぁそんなところですね。素敵な妻に出会えたことに感謝です」

「もう、和樹さんたら……人前で惚気ないでください……恥ずかしい」

 オムツを替えるところまで済ませたら、次は沐浴の練習だ。産後、首の座らない赤ちゃんをお湯につけることは事前に練習していても難しい。和樹は再び熱心にメモを取り、講師の説明を食い入るように聞いた。

「力も必要なお世話なので、産後のママの体調も考えて、パパがマスターしてくれるととても助かるんですよ~沐浴は」

「細かい注意点が多くてびっくりしました。自分が家にいる時はできるだけ妻の代わりに沐浴をさせてあげようと思います」

 その後も子育てに必要な知識や実技を二人は会得していった。


 両親教室が終わった帰り道、ベビー用品などのお土産を手に持った和樹は、ゆかりと肩を並べ歩きながら言った。

「ねぇゆかりさん」

「何ですか? 和樹さん」

「ふふ、呼んでみただけです」

「えっ! 何ですかそれ~」

「いや、子供が生まれたら名前で呼ぶ頻度も下がるのかなと思ったらついね」

「和樹さんは子供の前でお父さんお母さん呼びを徹底する派ですか? もしかしなくとも」

「うん。もちろん二人きりの時は名前で呼ぶけど、子供の前ではできれば、きっちりお父さんしたいかな?」

「へへへ和樹さんらしいです。でももうすぐ生まれてくるんですねぇ……なかなか実感が沸かないです」

 ゆかりは立ち止まりそっとまだ目立たないお腹を撫でた。その様子を和樹はいとおしそうに見つめる。


「男の子かな? それとも女の子かしら? 早く会いたいなぁ」

「どちらだとしても存分に愛して育ててあげましょう。僕たちの子供だ。きっと素敵な子が生まれてきますよ」

 和樹は空いているほうの手をゆかりにそっと伸ばした。月明かりの下、手を繋いだ二人は近い未来に思いを馳せながら家路についたのだった。


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