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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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200-3 和樹さん的牽制術(後編)

 後編だけゆかりさん視点です。

「はあ~ん、美味しかったぁ~」

「喜んでいただけたようで、良かったです」

「和樹さんの見つけてくるお店はどこも美味しいから、すっかりしっかり信頼しちゃってます!」

「アハハ」


 “ちゃんとお休みしてしっかり隈が消えたら行きましょう”

 和樹さんは私のこの言葉をきっちり覚えていて、しっかりと約束を守ってくれた。だから、今夜の食事は行くことにしたの。それだけなの。


 今日は気温が高くて本当に暑い日だった。アイスコーヒーや冷たいデザートがたくさん出たし、和樹さんと考えた新メニューのフルーツゼリーも好評だった。次はどんな新メニューを作りましょうかって色々と相談する時間もとても楽しかった。

 二ヶ月ほど前(あれ)から、和樹さんの態度というか雰囲気がなんだか変わったように思う。

 最初というか、お店に通うようになったばかりの頃は、笑顔で壁を作るような人だった。柔らかで人好きするような雰囲気を纏っていながら、本当は誰も近寄らせないような。一枚隔てた壁があって、これ以上踏み込んでくれるなよ、と。そう言われている気がして。

 だから私はそれに則って、必要以上に近づかないようにしていた。距離をはかって、これ以上はだめかな、まだ大丈夫かなって。我ながら上手く立ち回れたと思うのよ。


 だから、炎上して嫌がらせを受けてしまったのが本当に不思議だった。飛鳥ちゃんや聡美ちゃんや遥ちゃんには二人の距離が近いからだ~なんて言われたけど……私からしたらお兄ちゃんがもう一人できたみたいな雰囲気だったの。

 ……うーん、だからなのかな。今さらながらに分かったような……私がお兄ちゃんに接するような雰囲気は、傍から見たら言い寄るように見えちゃったのかしら。

 でも、お兄ちゃんだよ? 恋愛感情あるように見える?


 まあ、そんなこんなであの時は本当に毎日辛かった。従業員としてちゃんとしなきゃと思っても、ドアベルが鳴るだけで怖くて、怖くて。

 昔から仲良しの常連さんたちには、もうちょっと遅かったらトラウマになってたんじゃないかなと心配をかけてしまうくらいだった。

 和樹さんは何をしたのか結局分からなかったけど、炎上も騒ぎ立てる女子高生たちも来なくなって……正直ホッとしながらもなんだかやるせなくて、情けなくて。

 そんな時だった。和樹さんは今まで見たことのない優しい眼差しを私に向けて。


「今まで辛い思いをさせてすみませんでした、これからはきちんとあなたを守りますから」

 そう言って、落ち込む私の手を握ってくれた。

 違うのに。私が何もできなかったから。そう言っても和樹さんはただ首を横に振って……私の言葉を否定した。


「どうにかしなくちゃならなくても、自分だけの力ではどうすることもできない時はありますから。だからそんな時は、どうか僕を頼って」

 慈しむようなまなざし。その中にほんの少し、憂愁を見た気がして……私は黙って頷くことしかできなかった。

 あなたの心を、少しだけ、見せてくれた気がしたから。


「わっ」

 ぼんやりと考え込んでいた私の右手を和樹さんの大きな手が包んだ。びっくりして、思考の海から引き戻される。その手は、夏だからという理由では収まらないくらいに熱くて。

「……まだ、炎上を気にしてますか?」

「あっ、いえ違うんです! ごめんなさい、ぼぅっとしちゃった」

「じゃあ、このまま繋いでいても?」

「……えっ、と……はい……」

 本当に、和樹さんどうしちゃったの? あんなに距離を、壁を作っていたのに。まるで、和樹さんから私の方に踏み込んで来ているみたい。心臓が、馬鹿みたいに早くなる。ドキドキして繋ぐ手から和樹さんに伝わってしまいそうで……なんだか怖い。


 そのまましばらく無言で、夜の道を歩いた。

 黙ったままだけど、不思議と焦ることがなく、静かで心地がよくて。いつもはポンポンと話題が尽きなくてずっとお喋りをしているのにな。

 今日はお酒を飲んだから和樹さんも車は置いてきていて。一人で帰れますよって言ったけど、こんな可憐な女性を夜道で一人帰せませんよ、と取り合ってもらえなかった。

 見慣れた道に入って、私の住むマンションが見えてきた。もうすぐでお別れだと思うとなんだか名残惜しくなってきちゃうな、これが最後ってわけじゃないのに。


「……ゆかりさん」

「は、はい!」

 静寂の中。マンションの入口で歩みを止め唐突な呼び声に思わずビクリと反応してしまった。そんな私に和樹さんは、ふ、と微笑んだ。

「僕は、あなたと仲良しだと思っています」

「は、はい……?」

「ゆかりさんの思い違いではないので安心してください」

「……はい」

 唐突なのは話の内容まで含まれていたようで、私は何がなんだか分からないまま返事をした。困惑を隠せないでいるとまた、和樹さんは笑って。


「たくさん褒めてくださって、とても嬉しかったです……なんだか照れますね」

 くしゃりと笑ったその顔はほんのり赤くて、彼が本当に照れていることを教えてくれる。

 けど待って。私、今日は和樹さんをなにか褒めたりしたっけ? いや、さっき探してくれたお店のことは伝えたけど……たくさん……?


「……あわよくば」

 いつの間にか向かい合って、その大きな両手が私のそれを握っていたことに気づくころには、和樹さんと私の距離はほとんどなくなっていて。

 え、待って、待って近い! お互いの吐く息が触れそうなほどに近くて、思わず後ずさるけど、彼の大きな手は私を離さない。

「あわよくばゆかりさんの憧れの存在に、なれたらと思っています」

 私を見つめるまなざしは、いつかの憂愁ではなくて。

「……ああ、ちょっと違うな」

「……え?」

「“憧れ”では僕が物足りない」

 一瞬目を逸らして、考える素振りを見せたかと思うとまた私を見つめた和樹さんはだんだんと近づいてきて……って、待って……これ以上近づいたら……。


「……貴女の心を、独り占めできる存在になりたい」

 額に触れた、温かくて柔らかなもの。思わず目を閉じてしまった私が慌てて目を開けると至近距離に和樹さんの顔。優しく微笑み、いまだ私を見つめるそのまなざしに込められているのは、まるで、大切な人を見つめるような、愛情のこもったそれで。

 遅れて、額にキスされたのだと気付いて。驚き固まってしまっていると、彼は笑みを深めたままで。


「今日はこのくらいで許してあげましょう。おやすみなさい、また明日」

 そう言って、私を解放した。



 ◇ ◇ ◇



 なんとか帰宅した私は、和樹さんに言われた言葉を何度も思い浮かべては悶々としてしまってあまりよく眠れなかった。

 そして、「仲良し」や「憧れ」のくだりが何のことだったのかようやく気付いた私は、飛鳥ちゃんを問い詰めたけれど、彼女は本当になんのことか分かっていなくてさらに混乱してしまった。


「……和樹さん、地獄耳だから……」


 ゆかりお姉ちゃんも気を付けてね、なんて言われたけど知らない!


 “そろそろ本気出す:前哨戦”くらいの位置づけでしょうか。

 悪ふざけ程度にしか思ってない悪意の持ち主には、(事実がどうあれ)こういう路線のほうが否定するより効果あるんじゃないかなと。


 それより和樹さん、まさか店に盗聴器とか仕込んでないよね? なくらいの地獄耳……(汗)

 ホラーとは違う方向の恐怖がじわり。

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