18 きもだめし
数年ぶりにこの街にやってきた期間限定のお化け屋敷。
駅前デパートでポスターを見かけて、家族でやってきた。
「懐かしいですね、この外観」
「そうですね」
「え? お父さんとお母さん、ここに来たことあるの?」
「ええ、結婚する前にね」
「というか、お付き合いするよりも前でしたよね」
「そうそう。マスターにチケット無駄にするの嫌だからって追い出されて、いきなりデートすることになって。和樹さんてば今以上にキレイなお姉さんたちにモテモテだったから、成行きとはいえ実質デートなんかしたのバレたら後ろから刺されるんじゃないかと」
「あはは、いやですねぇ。ゆかりさんこそ、看板娘の魅力を振りまきまくってて、たくさん男性客にアプローチされてたじゃないですか。僕、気が気じゃなかったんですよ」
「え? アプローチなんかされたことないです、誤解です!」
「されてましたよ。ゆかりさんが気付いてなかっただけです。まあ、そのおかげで僕がゆかりさんと結婚できたので、それでいいんですけど」
苦笑まじりの溜息とともに告げられた事実(?)に驚く。本当にアプローチなんかされた覚えはないんだけど……ちょっと納得がいかない。
「……ねえ、僕ら先にお化け屋敷に入ってもいい?」
「私もお化け屋敷入りたいよ。お父さんもお母さんも、ふたりで好きなだけのろけてていいから」
下から聞こえてきた声に、「あ……」となり、慌ててチケットを渡した。
◇ ◇ ◇
「和樹くん、この後ヒマ?」
そんなセリフとともに、常連客にもらったというチケットをマスターに譲られた。
「せっかくもらったんだけど、この券使えるのがどうやら今日までみたいでね。時間あるなら、ゆかりとふたりで行っておいでよ。これペア入場券だから」
券面を見てみると、近くの空き地に1ヶ月の期間限定で建てられたお化け屋敷の入場券だった。
「ちょっとマスター、今日の私のシフト、ラストまでですよ? それに、お客さんとふたりで出かけるとか……」
「いいよいいよ、今日はもうそんなにお客さん来そうもないから上がって。和樹くん、今から行くと遅くなるし、この時間から若い娘をひとりで行かせるのは不安だから、ゆかりのボディーガード頼んでもいいかな?」
「え、ええ。もちろんです」
「ほら、和樹くんも快諾してくれたから、さっさと用意して行っておいで」
チケットを和樹さんに渡しながらひらひらと手を振って、マスターは私を追い出しにかかる。
和樹さんを待たせるのは悪いし、バックヤードに戻ると急いでエプロンを外し軽く化粧を直す。少し迷って、シトラスの香りの制汗スプレーを多めにプッシュした。
「うわぁ、予想外に本格的じゃありませんか?」
「あはは……ですねぇ」
江戸時代の建物のような外観に、べったりとした流血の跡がついた入口。
チケットを提示して入った中は、キンキンとまでは言わないが、けっこう涼しくて、ふるりと震えた。しまった、カーディガン持ってくればよかった。
「これをどうぞ。僕が着ていたものが嫌でなければ、ですが」
和樹さんが、Tシャツの上に羽織っていたシャツを貸してくれた。
「あ、ありがとうございます」
袖を通すと、肩幅も腕の長さも全然違うのが実感できた。肩がずり落ちるのは仕方ない。もそもそと3つ目のボタンだけを留めると、ふわりと和樹さんのまとうコロンが香る。自分が幽霊のマネをしているみたいになってしまった長い袖は、和樹さんが手首が見えるところまで折ってくれた。
中に入ってしまえば、誰にも見られない。デートよろしく楽しんでも目撃者はあらわれないはず。心配事が消えたら途端に心が沸き立った。
「うふふ、どんなお化けが出てくるんでしょう。楽しみですね」
わくわくしながら和樹さんを見上げると、少し困ったような笑顔で、頬をかいている。
「その……僕、オカルトとかそういうのは、実はあまり得意じゃなくてですね」
「えぇっ! 和樹さんにも苦手なものがあるなんて……意外です」
「だから僕のそばから離れないでくださいね。頼りにしてます、ゆかりさん」
そう言いながらにっこり微笑んで、右手をぎゅっと握ってくる和樹さん。
「そういうことなら! 大船に乗ったつもりで任せてください!」
普段はいろいろお世話になっている和樹さんに、珍しく頼ってもらえるチャンスが来るなんて。明るく答えて、繋いでいない左手で胸をドンと叩き、見上げてニカッと笑う。
和樹さんは、なんとも言えない微妙な表情だ。あ、あれ……? あ、そうか、オカルトが怖いから表情がおかしいのね。それなら。
「もしどうしても怖かったら、なんなら抱きついてもいいですよ!」
「そうですか。では遠慮なく」
あ、あれ? なんだか和樹さんの笑みが深まったような。ライオンの前に放り出された小動物の気分になるのはなぜかしら。
本格的なものもそれはそれで怖いが、このお化け屋敷はそのチープさが、逆に怖さを際立てていた。
にこにこしながら「どうしても怖いんです。怖ければ抱き寄せ……じゃなくて抱きついてもいいんですよね?」と肩を抱き寄せられ、手をぎゅうっと繋がれて、ぴたりと密着されながら、じりじりと時間をかけて進んだ。
和樹さん、あんまり怖がってる反応じゃないけど……私はもう怖いって聞いてるんだから、そんなに強がらなくてもいいのにね。
ようやく出口に辿り着き、ふう、と一息つく。
「さ、和樹さん。ここまで来ればもう大丈夫ですよ」
くるりと振り返り、勇気づけるつもりでにこりと微笑み和樹さんを見上げる。思わぬ顔の近さに驚いて、わずかにのけ反る。
「……もう、終わってしまうんですね。残念です」
「へ? お化け屋敷、怖いんですよね? 出られて嬉しくないんですか?」
こてりと首を傾げる。
「あ、ああ、そうですね。嬉しいです」
何かをごまかすように笑顔を浮かべる和樹さんに、ますますわけがわからなくなる。
問い詰めようかと思ったところで、さっと話題を変えられた。
「ところで、ゆかりさんはお腹すいてませんか? さっきからカレーの匂いがふわんと」
くんっ、と息を吸い込む。たしかにカレーの、というかスパイスの香りが鼻をくすぐる。
「これは、本格的なスパイスの香り! そういえば、すぐ近くに評判のいいインドカレーのお店がありましたね!」
「では、そこでお食事しませんか? お化け屋敷で守ってくださったお礼におごりますよ」
「マスターが無理を言って付き合わせたのは私のほうですし、帰りも送っていただくのですから、私がお礼におごる側だと思います」
「年下の女性におごってもらうほど甲斐性のない稼ぎではないつもりなのですが」
「せめて割り勘に」
「まあまあ。いいじゃありませんか」
お化け屋敷の出口で揉めるのも変だし迷惑だということで、カレーを食べたい欲求を優先して、お店に入る。
豆のカレーと羊のカレーと夏野菜のカレー、大きなナンとタンドリーチキンのセットを注文する。それぞれ特徴的なカレーのピリリも、小麦の甘さを感じるナンも、ジューシーなタンドリーチキンも、それぞれとても美味しかった。食後のデザートがわりのラッシーにも舌鼓を打つ。これ、喫茶いしかわのメニューにしたらどうかしら。
つい、むむむと考え込んでしまう。
クスッと笑う和樹さんに、眉間のシワを伸ばされた。
「お仕事熱心なゆかりさんはとても素敵ですが、今は美味しい料理を笑顔で楽しみましょう」
「……そうですね」
ふっと力が抜け、照れ笑いを返す。
気がついた時には支払いは終わっていた。せめて自分の分だけでも払わせてほしいと訴えたが、もうレシート捨てちゃいましたから金額がわかりませんとかわされてしまった。
ううっ、またおごられてしまった。
それにしても……和樹さんってば、苦手なお化け屋敷に付き合わされたうえ私の食事代まで支払わされているのに、どうしてあんなに上機嫌なのかしら。
◇ ◇ ◇
当時を懐かしく思い出す。
あのときはこんな未来は予想していなかった。今は愛しの旦那様になった彼をチラリと見上げる。
「子供たちが入ってからそれなりに時間経ちましたけど、私たちはどうします? あ、そういえば、和樹さんはお化け屋敷苦手でしたね。やめておきましょうか」
「あ……あー……」
「どうしました?」
「本当は、苦手じゃないんです。お化け屋敷」
「ええっ!?」
「最初は冗談のつもりで言ったんですけど、ゆかりさんが怖いなら抱きついてもいいっていうから、つい訂正したくなくなっちゃって。ゆかりさんは甘い匂いがして、温かくて柔らかくて、手放せなかった」
耳元で囁かれた10年ごしの告白に衝撃が走る。
「今は、お化け屋敷の力を借りなくても、いくらでもゆかりさんを抱きしめられて幸せです」
柔らかく浮かべた笑みと熱い視線を向けられて、頬に熱が集まる。
「わ、私も、和樹さんとぎゅっとすると嬉しいです」
視線から逃れるように、頭を彼の心音が聞こえるところに寄せると、腰を抱き寄せられた。
「子供たちが戻ってきたら、あのカレー屋さんに行きましょうか」
「そうですね。それまでは……」
瞳を閉じて、カレーの匂いよりも好きな彼の匂いを味わった。
8月13日は怪談の日。
ということで、それっぽいものを考えた……はずなのですが、なぜこうなった?
マスターは、和樹とゆかりの間に赤い糸が繋がっているのを知っているので、なかなか交際に発展しないふたりをさりげなく(?)サポートしてくれてたのです。
ところで、ゆかりさんはいつ彼シャツを和樹さんに返したんでしょうねえ。




