193 今年の七夕は
ちょっとだけ艶っぽいシーンがあるので、苦手な人は注意してくださいね。
「ただいま」
「おかえりなさーい!」
七夕の日。帰宅が遅くなってしまった和樹。こどもたちの熱烈なお迎えを受ける。ふたりをぎゅうっと抱きしめる。
「お母さんは?」
「お風呂!」
言われてみれば、シャワーらしき水音がする。進がぎゅっと腕にしがみつく。
「今日のごはん、お父さんの大好物ばっかりだよ。食べるよね?」
「うん。もちろん」
「じゃあわたし、よういするね!」
こどもたちはすっかり寝る支度を整えていたが、父の帰宅に目がさえてしまったという。
真弓が準備してくれた、季節感たっぷりのゆかりの心づくしの晩ごはんを食べながら、それぞれお気に入りのパジャマを着た真弓と進から喫茶いしかわの七夕イベントの様子を聞く。
「たなばたパフェ、みんなたべてた」
「キラキラでね、かわいかったの」
「そっか。二人は七夕パフェ食べた?」
今年の七夕パフェは、和樹も開発を手伝ったから、どんなものかは知っていた。フルーツがカラフルで、生クリームをたっぷり乗せてて。星に見立てたアラザンをちらし、星型のゼリーをひとつ乗せたもののはずだ。
「うん!」
「とってもあまくてねぇ、おいしかった」
「ね~っ!」
「あ、たんざくもいっぱいだったんだよ」
「おとうさんとおかあさんのたんざく、みつけちゃった。くふふふ」
「あー、お風呂気持ち良かったぁ。あら、和樹さん。お帰りなさい」
「ただいま、ゆかりさん。晩ごはん、真弓が用意してくれた。今日のごはんも美味しかったよ」
「良かった。お粗末さまでした」
「あはは。全然粗末じゃないけどなぁ。むしろあんなに美味しくて好きなものをたくさん用意してもらえて、とても贅沢だよ」
「ふふふ、ありがと」
「おとうさん、おかあさん、わたしたちそろそろねるね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみなさい。ぐっすり眠りましょうね」
こどもたちを抱きしめたりおでこにキスしたり。真弓も進もふわりと表情が弛んで眠そうな様子を見せて部屋に戻った。
「さ、和樹さんはお風呂入ってきちゃってください」
「うん、食器片付けてから」
「髪乾かしたら私がやっておきますから。それでね……」
やや照れくさそうな表情と仕草ですすっと和樹の前に来て、囁く。
「あの、今日は、私からお誘いしてもいいですか?」
惚れた女性の濡れた上目遣い。和樹にはクリティカルヒットだ。
「はい。嬉しいです。とても。風呂、すぐに終わらせますから待っててくださいね!」
「いえ、急がなくていいです」
「はい……」
大型犬がわかりやすくしゅんとする。
「スキンケアとか、髪乾かすのとか、まだ全然できてないんです。私の支度が終わらないので、のんびりしてきてください。和樹さんには、いちばんいい私を見てほしいです」
「はいっ! さっそく入ってきますね」
ぱぁっと表情が明るくなる。
和樹が風呂から上がると、ダウンライトのみが点いているいる寝室で、ゆかりがベッドの端に座ってハンドクリームを塗っていた。和樹が入ってきたことに気付き、近付いてそっと手を伸ばす。
「……うん。ちゃんと髪乾かしましたね。えらいえらい」
ゆかりがくすくす笑いながら頭を撫でたら、和樹の表情が緩み、こちらもくすくすと笑う。ゆかりが手を引いて和樹をベッドに座らせる。そっと肩に手を置いて、おでこにキスをひとつ。頬や瞼、鼻にもそっと、でも軽くリップ音を立てて口づける。おでこを合わせてじっと見つめ合ってから、ちゅっ、ちゅっと唇同士をふれ合わせる。腰を落として抱きしめあい、キスを深めていく。お互いに目を閉じて、唇の感触だけに意識を集中する。
和樹は、たまにあるゆかりからのお誘いが好きだ。ふだんは自分から攻めて愛して、彼女の快感を引き出して、性欲も征服欲も愛情も、すべてを満たすのが望ましいしそうしている。もちろん彼女の気持ちや体調もあるので、合意は取るようにしている。できるだけ。
だがゆかりからお誘いされるときは、できるだけゆかりのしたいようにさせていた。
ゆかりがするのは、すべて和樹が教えたこと。だが和樹が教えたものとはほんの少し形を変える。ゆかりの好みやしたいこと、されたいことが表に出てくる。
今日もそうだ。普段、和樹がするキスはねっとりと舌を絡め合う時間が長いが、ゆかりからのキスは唇同士の触れ合いが多い。そうか、ゆかりさんは唇同士で楽しむキスが好きなのか。覚えておこう。次のキスはゆかりさんが好きな、唇の気持ちよさを味わうキスを多めにしよう。そうやって、ひとつひとつ、今のゆかりの好みを確認していく。
彼女の指先が触れるところ。唇が触れるところ。囁く言葉。反応したところ。すべてを感じ取り、次は和樹がそれを返していく。彼女に触れられるよろこびが理性を壊しそうになるときもある。
和樹は存分に、満足いくまでゆかりを味わい尽くした。
◇ ◇ ◇
翌朝。はっきり言って彼女の機嫌は悪かった。台所で朝食の準備をしながら、かなりの不機嫌オーラがにじみ出ていた。
「ゆかりさん? どうしました」
「……心当たり、ありませんか?」
ジトリと睨まれた和樹は、一瞬ひるみつつもキッチンに入ろうとする。
「来ないでください。和樹さんはキッチンに入るの禁止!」
ぷいっとそっぽを向かれて困惑する。なぜだ。昨夜はあんなに……あ、心当たり、ひとつだけあった。
ハッとした様子の和樹を見て。眉を下げるゆかり。
「もう無理って言ったのに、どうして聞いてくれないんですか。おかげで寝坊しちゃったじゃないですか」
「あ、いや……」
たしかに、いつもは軽く髪をとかしてから朝食の支度をしているが、今のゆかりは寝癖がはねていた。
流しで作業している彼女が背を向けていることがたまらなく寂しい。流しからここまでの距離がやたらと長く感じる。そういえば昨日は七夕だった。もしかして、彦星と織姫の間に流れる天の川がここにも流れているのだろうか。ああ、僕のベガ、どうかこちらを向いてくれないか!
などと和樹が脳内劇場を繰り広げていると、こどもたちが起きてきた。進は洗面台に向かい、真弓はまぶたをこしこしとこすりながらこちらに来る。
「おとうさん、おはよ」
「お、おはよう」
真弓が囁いてきた。
「ね、おとうさん。おかあさんがたんざくになにかいたか、しってる?」
「え?」
和樹がしゃがんで目線を合わせる。
「いつも通り、『喫茶いしかわに来るお客さまがしあわせになりますように』じゃないの?」
「それもかいてたけどね、もういちまい、あったの」
和樹は、ぱちくりと大きなまばたきを二回。かなり驚いているらしい。
「あのねぇ……」
真弓が内緒話のポーズをするので、耳を傾ける。
「……って、かいてあったの。おとうさん、いみわかる?」
和樹は、眼を見開いて固まった。
「ゆかりさん!」
慌てて台所に駆け込み、ゆかりを背後から抱きしめた。
「うわっ、火を使ってるんだから、危ないでしょ!」
ゆかりは味噌汁に味噌を溶いているところだった。
「うん、ごめん。ゆかりさんの願いごとは必ず僕が叶えますから。だから昨夜のことは許してもらえませんか」
「……飾った短冊、和樹さんは見てないですよね?」
「はい、まだ見てません。でも真弓が覚えてて教えてくれました」
『和樹さんとずっと仲良し夫婦でいられますように でも無理って言ったときはやめてくれますように』
後半は小さく書いてあったらしい。漢字が読めなかった真弓は、おばあちゃんに読んでもらったと言っていたが、それはゆかりには言わないほうがいいだろう。
「ほんとに? 本当に叶えてくれますか?」
「はい。昨夜のは、その……まだ知らなかったからってことで、ノーカウントにしてもらえませんか」
「むぅ。しかたありませんねぇ。今回だけですよ?」
「はい」
「じゃ、朝ごはんにしましょう」
ゆかりがにこりと笑ってくれて、和樹もほっとした。
家族全員で手を合わせる。
「いただきます!」
ゆかりは、家族が大きな口をあけて元気にごはんを食べる様子を嬉しそうに見てから、自分もごはんを食べる。
「おかあさん、きょうのあさごはんもとってもおいしいね。きょうもげんきにがっこういけそう」
「そう。ふふ、よかった」
「ぼく、このアスパラととうもころしとベーコンのやつだいすき」
「進くん、“とうもころし”じゃなくて、“とうもろこし”だよ」
「そっか。とうもこ……とうもこ、じゃなくてえっと」
「と・う・も・ろ・こ・し」
「と・う・も・ろ・こ・し。とうもろこし!」
「うん、そう。よくできました」
「えへへ。もうまちがえないよ」
ここまで、和樹は「いただきます」以降、一言も発していない。笑顔の家族が囲む食卓を目に焼き付け、その幸せをかみしめていた。
「おとうさん?」
「ん? お父さん、どうかしましたか? 子供たちが不思議がってますよ」
「いや、なんでも……お母さんがお父さんをすごく幸せにしてくれてるなって思ってただけだよ」
和樹は満面の笑みを、愛しくて大切な家族に向けた。
和樹さんの脳内劇場をやりたいがために書きました(笑)
ゆかりさんの二枚目の短冊は、本人は見つかりにくいように奥のほうにこっそり吊り下げたのですが、実はいろんな人に見つかってます。
ゆかりさんの愛されっぷりに、苦笑しつつも納得する皆さんは、その短冊には気付かなかったことにしてくれてます。




