17 ポテリングの誓い(和樹視点)
今朝の喫茶いしかわは、ゆかりさんと飛鳥ちゃんと僕の3人しかいない。
マスターは奥様とうちの子供たちと一緒に河川敷へ行ってブランを散歩させているはずだ。
飛鳥ちゃんが各テーブルの補充をしながら楽しそうにしゃべり、ゆかりさんもモーニングを作りながら楽しそうに聞いている。
「あのね、どこかに『○○しないと出られない部屋』っていうのがあるんだって。それでね」
「へぇ、またそういう噂が出回り始めたのね」
「えっ! もしかして前にもこういう噂出たことあるの?」
くすくすと笑いながら言うゆかりさんに、飛鳥ちゃんは驚いている。僕は静かに告げる。
「あるよ。10年は前だったはずだよ。僕らが結婚するよりも前だったから」
「そうなんだ。なんで10年ぶりにまた噂話が出てきたのかなぁ」
「さあ? もしかしたら、10年ぶりに部屋に入った人が現れたのかもしれないね」
「うふふ。いるかもしれませんねぇ。はい、モーニングセット、お待ちどうさま」
僕は、ゆかりさんのモーニングセットを食べながら、件の部屋に思いを馳せた。
◇ ◇ ◇
よくある都市伝説のひとつだと思っていた。自分が経験する羽目になるまでは。
何もない、目に痛いほど真っ白い部屋。出入り口どころか窓すらない。外部との連絡手段もない。
僕は早朝、いきなりそんな部屋に閉じ込められていた。
「ほえぇ……」
なぜか僕の隣にいる彼女は、ぽかーんと口を開けている。
いや正確にはまだ彼女ではないが、いずれは……って、今はそんなこと言ってる場合では!
僕は焦りながら、記憶の片隅に追いやっていたこういう部屋の噂話を慌てて引っ張り出す。
曰く『○○しないと出られない部屋』。なぜか男女ふたりで閉じ込められ、ふたりで協力してお題を達成しないと出られない部屋。どこから入ったのかもどこにあるのかもわからない部屋。
お題は、他愛もないものからいかがわしいものまで多岐に渡る。
ものは試しと一度渾身の力で壁を殴ってみた。思い切り蹴り飛ばしてもみた。が、ビクともしなかった。床下はどうかと目を凝らすが継ぎ目がない。本当にお題をこなすしか手段がなさそうだ。
そこまで思い出し、できる検証をしたところでようやく、部屋の真ん中に目を向ける。
真ん中に、似つかわしくないようなちゃぶ台。小さくて丸くて、すすぼけた丈の低いちゃぶ台。
その上に、見覚えのあるスナック菓子2種類とメッセージカード。
スナック菓子を一瞥して、どんなお題が書かれているのか恐る恐るメッセージカードを裏返す。
「ひとりはポテリング、もうひとりはトンガリハットを、すべての指にはめてください。お題をこなせば出口が現れます」
メッセージカードをあらゆる方向から検証し、これ以外のメッセージがないことを確認すると、少しだけほっとして息をつく。
いや、聞いていた噂話では、お題のカードがシーリング加工されていて、指示通りにめくると第二のお題があらわれた! なんてケースもあったから。
ついさっきまで、ぽかんとしていたかと思えば不安そうにそわそわしていたゆかりさんは、僕の後ろからメッセージカードを覗き込むと目がキラキラしはじめた。子供のようで可愛らしいけれど、ねぇゆかりさん、さっきまでの不安と警戒心はどこにいったんですか?
「それ、○○しないと出られない部屋のお題ってやつですよね。うわあ、初めて見ました! このお題をクリアするとお部屋から出られるんですよ」
「ヘェ~ソウナンデスネェ~」
初めてじゃないと困る。僕以外の男とふたりきりで閉じ込められたことになるじゃないか!
「お題は簡単なものですし、さっさと済ませてしまいましょう。私、モーニングの仕込みまだ終わってないんです」
楽しそうに告げられ、がっくりしながら小さく「ソウデスネ……」と答えた。そうだった、この娘はこういう子だった。
ああもう、本当にそういうところだ。少しでも怖がったりして僕に縋ってくれたら……なんて彼女に告げるつもりはない。が、今のこのふたりきりの時間が貴重で。少しだけ、そうほんの少しだけ……さっさと出ていこうとする彼女の態度が気にいらなかった、それだけだ。
ゆかりさんはスキップでも始めそうにうきうきとちゃぶ台の反対側に回り込むとストンと座り、スナック菓子のパッケージをペリペリと剥がし始めた。
「どっちも最近買ってない。何年ぶりかなぁ」
両方とも実に楽しそうに箱を開け袋を開け、準備をすすめる。ゆかりさんはトンガリハットをひとつつまむと僕を見てにっこりと笑う。
「さ。和樹さん、手を出してください。私がはめてあげます」
言いながら僕の右手を握るゆかりさん。僕が手を握り返すと、不思議そうに首を傾げた。くうっ、可愛い。やはりゆかりさんは可愛すぎる。
「僕が先にトンガリハットを指にはめてしまうと、ゆかりさんの指にポテリングがつけられないじゃありませんか」
言いながらゆかりさんの指を僕の親指でそっとこする。
「あ。たしかにそうですね」
なんの反応もされないことに内心ガッカリしながら手を離し、ポテリングをひとつ取り出す。
「はい。まずは右手からにしましょう」
ひとつ、またひとつとポテリングを指にはめていく。やっていることは子供のイタズラじみているが、こっちは真剣だ。リング状に作られたスナック菓子は、いくら細い指とはい小さいリングは最後まで嵌まらないものもある。まあ、細かい指定や制約のあるお題でもないし構わないだろう。
「ちょっとくすぐったいですねぇ」
朗らかに笑うゆかりさん。くすくすと笑うたびに、触れる手が優しく揺れる。
思いがけず、想い人とふたりきりで額を突き合わせる距離にいて。少しでもこの時間が長く続いてほしい。あわよくば、僕を男として意識してほしい、なんて。
「はい、右手は終わりましたよ。次は左手ですね」
右手すべてにポテリングを嵌め終えて、次は左手に。右手の時よりも気持ちゆっくりと進めていく。
さっきまで緊張感もなく饒舌だった彼女が不意に黙り込んだ。
そう。そうやって、少しでも意識して。
親指。人差し指。中指を終えて……薬指。
恭しくなぞり、ゆっくり、ゆっくりとリングを嵌めていく。これまでよりも触れる手が暖かい。
これ以上はいかない、という場所で止めるとそのまま顔を上げて彼女の視線を捕らえ、ありったけの気持ちを込めて笑ってみせる。
「……っ」
潤んだように揺れる瞳がとても綺麗で。柔らかな頬を染めた赤はなによりも素晴らしくて。
「……あ……か……か、ずき、さん……?」
ああ! かわいい、なんてかわいいんだ!
たまらずその指にそっと唇を落とすとぴくりと震えた。ひとまず、今は、ここまで。
すかさず次のひとつを袋から取り出し、小指に嵌めて終了だ。
「……はい、終わりました。次は僕ですね、ゆかりさんお願いします」
「え、あ、はい……」
何が起こったのか脳内処理が追いついていないのか、目に見えるならばクエスチョンマークをたくさん飛ばしているんだろうな。そんな彼女はアワアワしながらも僕の指にトンガリハットを付けていく。はたから見たらなんともまあ滑稽な状況だろう。それでもなんだかとても満足してしまった僕は、真っ赤になりながらせっせと手を動かす彼女をじっと見つめ続けた。
「どうせなら僕もゆかりさんにポテリング嵌めて欲しかったなあ」
「なっ、なに言っ、てる、ですか! 和樹さんの指じゃポテリング割れちゃいますよ!」
「……気にするところ、そこでいいんですか?」
◇ ◇ ◇
例の部屋から抜け出して数日。ゆかりは動揺し続けていた。
ただお菓子を指に嵌めるだけなのに、あの……あの暴力的な色気は何!? まるで、指輪を……。
そこまで考えて頭をブンブンと振る、ということを何度してきただろう。あんなに優しい目で、笑顔で、彼はお嫁さんになる人を見つめるのかな。そう考えてしまって、なぜか私の胸はぎゅっと痛くなった。
『ゆかりさんはきっと良いお嫁さんになりますね』
以前言われたそんなセリフまでついでに思い出し、なかなか顔のほてりがおさまらず、マスターや常連客には熱中症や風邪の心配をされてしまった
定番ネタで何か書いてみたいなと思いまして。
いしかわさん的「○○しないと出られない部屋」を作ってみたら、こんな形になりました。
和樹さん視点と言いつつ、最後だけちょろっとゆかりさん視点。
ゆかりさん、和樹さんを男性として意識してるはずなのにやっぱり無自覚なまま動揺するの巻、でした。
まったく、なぜそこまできて自覚しないのか。
答:ゆかりさんだから ←謎の説得力
ポテリングもトンガリハットも架空のお菓子ですが、イメージしているのは皆さんと同じお菓子だと思います。
検索したところ、どちらもお菓子の名前にありそうで存在しないようなので使ってみました。