192-2 さみしんぼの七夕祭(後編)
八月。咄嗟に考えた“便乗七夕祭り”に私はことのほか興が乗ってしまい、あっという間に飾りが完成してしまった。笹は、大島のおばあちゃまのお家のお庭にあるものを少し分けていただけたのだ。
小ぶりな笹の枝に色とりどりの折り紙で作った短冊には、私の密やかな願いごと。
“無事に帰ってきますように”
“美味しいご飯を食べさせてあげたい”
“ちゃんと眠れていますように”
“お仕事が上手くいきますように”
“一緒にお出かけできますように”
“心を休める時間がありますように”
“怪我をしませんように”
“少しでも笑えていますように”
詳しくは書かない。書かなくても私の願いの先にはいつも和樹さんがいた。たぶん、神様に願うことはせず、すべて自らの手で勝ち取って叶えていこうとする人だと思うから。
だから、せめて私ができることは……あなたの進む道が穏やかでありますように、と祈ることだけ。
◇ ◇ ◇
八月七日。
「……大雨」
「今日は一日こんな感じみたいだね」
「ああ~……これじゃあお客さん来られないですよね」
私の呟きに、マスターもやれやれといった様子で応えた。
せっかくずっと良いお天気だったのになぁ。ちなみに東北の方へは雨雲は行っていないのか晴れているらしく、朝のニュースを見てホッとした。
「……仙台の七夕には、二人はいるのかしら」
「織姫と彦星かい?」
わ、また私は独り言が大きかったのかしら! マスターがニコニコしながらこちらを見ている。
「え、ええまあ」
「でも、お盆と豊作の祈りのお祭りって聞いたし、あまり関係なさそうだけどね」
私が何を考えていたのかお見通しなんだろうなぁ。でも、マスターとはちょっと彼のお話ができるかもしれない。
「まあ、いいんじゃないかな? 同じ七夕だしそうそう大きな違いがある訳でもないでしょ」
「そうですかねぇ」
「そうですよぉ」
マスターとするお話は、いつも私の心を落ち着かせてくれる。さすがお父さん。温かくて、安心する。
こういうマスターだからこそ、愛される喫茶いしかわがあるんだなぁ。私の口調を真似るマスターに笑っていると、うんうんと何やら納得したように頷いていた。
「織姫と彦星は、恋仲になってから働かずに怠けてしまったが故に神様を怒らせて離れ離れになった訳だけど……和樹くんとゆかりは変わらず働き者だよねえ」
「!?」
「あれ、違ったかい?」
「ち、ちが、違わないですけど!」
唐突に核心を突かれて思い切り動揺してしまった。いや隠してるつもりはないし私たちのこともいろいろ話せたらって思ってたけど、思ってたけど!
あわあわと落ち着かない私にマスターが吹き出してケラケラと笑っている。
「僕が気付かないわけがないだろう」
「でっ、ですよね!? あの、その……」
「大丈夫だよ、他の人には話したくないことを話すタイミングを狙っていたんだろう?」
「そ、です」
私の反応にまた、うんうんと頷きながら私の頭をぽんと撫でた。
「君たちが幸せなら、何も言うことはないよ」
「……ありがとう、ございます」
ああ、やっぱり安心する。ちょっとだけ泣きそう。
「和樹くんはさぁ」
「はい?」
「たとえ大雨で増水した天の川だろうと、自力で泳いでゆかりに会いに来そうだよね」
「あはっ! やだマスターったら!」
「……本当に、そうですね。やりかねない」
「……ね」
マスター……涙、返してください。
◇ ◇ ◇
あまりにも雨が止まず客足も完全に止まってしまったので、今日はもう早めに閉めようということになった。マスターからはタクシー代まで出していただいてしまった。一度はお断りしたけど、娘が無事に帰ってくれる方が大事だからと取り下げてもらえなかった。あんまり拒否するのもと思い、ありがたく受け取らせてもらった。ホワイトだなぁ。
そのマスターは、お買い物に行ってる最愛の女性をお迎えに行くのだと言っていたので先に上がってもらった。今度はマスターが断ってきたから、お母さんがマスターと一緒に無事にお家に帰ってくれる方が大事です、とお返しをしたら照れ臭そうに笑ってくれた。わぁ、マスターの照れ顔レア! 和樹さんにも教えてあげなくっちゃ!
さて、レジ締めも終わったしタクシーを呼んで待ちましょうとスマホを手にしたところだった。
ガランガランとドアベルが大きく鳴って、照明を落としていた薄暗い店内に人が入って来た。
黒いパーカーのフードを被っていたから顔が見えない。突然のことに固まって動けなくなってしまう。胸元の指輪を握りしめるので精一杯。
どうしよう……怖い、和樹さんっ……!
「ゆかりさん!」
バタン! と大きく閉まる扉の音。
カタカタと止まらない震えた体にムチを打ちながらお店の隅に逃げようとしたとき、聞き慣れた久しぶりの、ずっと聞きたかった声が響いた。
「ゆかりさん、僕です」
「……か、ずきさん……?」
「はい、驚かせてしまった……すみません」
ぱさりとフードを下ろすと雨に濡れてしっとりとした髪と、私を心配げに見つめる眼差し。
ああ、ずっと見たかった景色だ。そう思ったらもう止められず彼に飛びついた。
「かずきさん……っ!」
「……濡れてしまうよ?」
「良いんです!」
「……うん、僕もこうしていたい」
力強い腕にきつく抱き締められる。約一ヶ月ぶりの大好きな恋人の腕の中は、濡れてひんやりとしていたけれど、とても温かかった。
「いてもたってもいられなくて、早く会いたくて迎えに来たんだ」
「お疲れなのに……」
いつもより砕けた口調なのが珍しい。だけどそれがこんなにも嬉しい。彼がここにいてくれる。そのすべてが嬉しかった。
涙と、その髪から滴る水滴はどちらがどちらかもう分からないけれど、そんなことはどうでもよかった。そんな私の顔を和樹さんはハンカチで丁寧に拭ってくれながら口を開いた。
「疲れなんてぶっ飛んだよ。ゆかりさんの願いごとが嬉しすぎて」
「……っ!? 見たんですか!?」
「見ました」
ニカッと心底嬉しそうに笑うから、怒るに怒れない。別に悪いことでも隠すことでもないからいいんだけど。どうやらここに来る前に、先に家に寄ったみたいだった。別に問題はない。ないけれど、だけど恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。
あの願いの書かれた短冊を和樹さんはすべて読んだのだと言った。うあぁ、見られてしまう前にお焚き上げしていただこうと思ってたのに!
「……願いごと、見られたら叶わないとか……」
「七夕はそんなルールでしたっけ?」
「まあ、でも構わないよ。すべて僕と君とで叶えられるものばかりだったからね」
「叶えて、くれるんです?」
「それはもう全力で」
「うーん……それなら、いいかな……」
本当に、自力でどうにかしちゃう人なんだもんなあ。それでも、そこに私も含めてくれるなら……どの願いごともきっと楽しくて優しくて忘れられないものばかりになるんだろうな。
これからも、そういうものを増やしていきたい。和樹さんと、二人で。
「ゆかりさん、ただいま」
「おかえりなさい、和樹さん」
外は相変わらずの雨模様だけど、私たちの心は快晴だ。
◇ ◇ ◇
「本当に……泳いできたみたい」
「うん?」
喫茶いしかわまでは車で来たと言っていたけど、さすがにパーキングからは歩きで。どうやら傘をさすことは頭になかったみたい。
髪や顔はタオルで拭いてもらってどうにかなったものの、着ているパーカーやジーンズはずぶ濡れだ。私の言葉に首を傾げる彼に「和樹くんはさあ……たとえ大雨で増水した天の川だろうと、自力で泳いでゆかりに会いに来そうだよね」という、昼間のマスターの言葉を伝える。
「はは! 確かに間違いないな! 何があろうと必ず僕は君の元に帰ると決めているし。ゆかりさんが待っていてくれる限り、ね」
「……待ってるに、決まってます」
「分かってる。短冊たちも教えてくれたよ」
一ヶ月前は言うことができていなかった、“待っている”という言葉。密かにずっと後悔していたの。だから七夕の話を聞いた時はこれだ! って思って。少しでも貴方を待ってるという気持ちを強めたくて。……結果的に、短冊を見られて良かったのかもしれない。
その後、二人で帰宅して。吊るされた短冊の中に和樹さんの綺麗で、でも男らしいしっかりした文字が書かれた短冊を発見して私は彼に食ってかかるのだった。
“一緒にお風呂に入れますように”
「ばか! えっち!」
「えっ、ゆかりさんが書いたんじゃないんです?」
「違います! すっとぼけないの! 明らかに筆跡違うでしょう!」
七夕自体は習い事とかの上達を願うものらしいですが、それはそれということで。
投稿時期もちょっと迷ったんですけどね、大きなくくりで七夕の話だし、別に八月七日に合わせなくてもいいかな、と割り切りました。
というかね、その頃には私がこれ書いたこと忘れて別の話を上げてしまいそうだったので、もったいない精神がうずうずと。
この当時のゆかりさんには、お風呂はまだまだハードル高くて恥ずかしいですよね。新婚さんですし、そもそも、お付き合い始めてからも半年くらいですし。




