182 あおぞらソーダ
真弓ちゃんが三歳か四歳くらいの頃かな?
ベランダに広がる青空を見上げる小さな背中に声をかける。
「真弓ちゃーん、お買い物行くよー」
「うんっ。あれ? きょうはベビーカーじゃないの?」
ゆかりの背中に背負い紐で抱かれてる進を見て、真弓は不思議そうに首を傾ける。ふわりと自分に似た髪が揺れる。
「そうよ。今日はベビーカーはしないよ。せっかく一緒にお買い物できるから、お母さん久しぶりに真弓ちゃんと手を繋ぎたいなーって」
恥ずかしいのか真弓は口を噤んでしまったが、照れくさそうにゆかりの手を握ってくれる。ぎゅっとゆかりが手を握り返せば、満面の笑みを浮かべる。
こういうときの表情はきょうだいで少し違うなと思う。もしこれが進だった場合、瞬時に心の底から嬉しくて仕方ないといった笑顔でゆかりの手を握ってくるのだ。
「きょうはわたしがすすむくんとおかあさんをまもるからね」
「ふふ、真弓ちゃん頼もしいな~」
その後も真弓は横断歩道の歩行者優先ボタンを押したり、豆腐や牛乳パックを取ってきたり、積極的にお手伝いをしてくれた。
「今日は真弓ちゃんのおかげでお母さんとっても助かったよ、ありがとう」
「ううん。まゆみ、きょうはおとうさんのぶんもがんばりたかったのに、ぜんぜんたりなかった……」
「そんなことないよ。お洗濯物畳むの手伝ってくれて、夕ごはん作ってる間は進くん見ててくれて、お母さんが進くんのごはんのお手伝いしてるときにわたしたちが食べ終わったごはんのお皿を台所まで運んでくれたじゃない。おかあさんはすごく助かりました。嬉しかったよ」
我が家の天使ちゃんは和樹との約束を忠実に守ってくれている。ゆかりの手伝いをがんばったり、弟の進の面倒をみたり。親の贔屓目なしに優しい子である。
「まゆみ、あしたもがんばるね」
「ありがとう、真弓ちゃん。じゃあ、そんな頑張り屋さんな真弓ちゃんにはお母さんからご褒美です!」
「えっ、ごほうび!?」
「うん、そう! ちょっと待っててね」
コトリと真弓の前にグラスが置かれる。
「はい、真弓ちゃんの大好きな、お空の色のソーダです」
グラスの中身は、ブルーハワイの青い色。ご褒美だからとバニラアイスをのせて。
「わぁ、お空だ! くもさんもいる~」
大喜びの真弓は、しばらくいろんな角度から青空色のグラスを眺め、溶けたバニラアイスがグラスの表面を覆ったころ、ようやく飲み始めた。
グラスを片付けたゆかりは、寝る支度を済ませ、おやすみの挨拶を言うために戻ってきた真弓を見て思いつく。
「あ、そうだ! 真弓ちゃん、今日はお母さんと進くんと一緒に寝よう?」
「いいの!?」
「いいよ」
「やったーっ!」
普段は子供たちを入れない夫婦の寝室の大きなベッド。奥に真弓、真ん中に進、手前にゆかり。
遠方に泊まりがけの出張をしている和樹は、今日は帰ってこない。
すでにくうくうと寝息を立てている進、わくわくを隠さない真弓を見て目を細めるゆかり。
「真弓ちゃーん、ちょっとこっち向いて」
「ん?」
ゆかりは手を伸ばし、スマホのインカメラでしっかり三人が入るように撮影する。
「おしゃしん?」
「そう、お父さんにおやすみなさいするときにね、『いいでしょー?』って三人の写真送って自慢するのよ。うふふ」
手早くメッセージと写真を送信するゆかり。すぐに既読がつき和樹からの着信が入る。
「もしもし」
「もしもしゆかりさん、この写真……」
「うふふ。いいでしょ~っ。今日は子供たちと三人で同じベッドで寝るの。真弓ちゃんがすごくお手伝いがんばってくれたから、特別。ご褒美なの」
「そうか。真弓、まだ起きてる?」
「ええ、代わりましょうか?」
「お願いします」
「真弓ちゃん、お父さんが真弓ちゃんにもおやすみなさいしたいって」
ぱあっと真弓の笑顔が溢れる。
「もちもち!」
「もしもし、真弓?」
「うん」
「今日、たくさんお手伝いがんばったんだって?」
「うん。でもなかなかじょうずにできなくって……」
「お母さん、喜んでたでしょう? よくやった! たくさん褒めたいから、明日帰ったら、ぎゅーとなでなでしていいかな?」
「うん、いいよ。あしたもいいこにしてるから、たくさんなでなでしてね」
「わかった。じゃあ、明日ね。おやすみなさい。お母さんに代わってくれる?」
「はぁい、おやすみなさい。おかあさん、おとうさんがかわってって」
はい、とスマホを差し出す真弓はさっきよりもずっとにこにこしている。
「はい、ありがとう真弓ちゃん。もしもし和樹さん、お電話代わりました」
「ゆかりさん……真弓が天使だ。明日は絶対早く帰るから、一緒にごはん食べましょうね」
「くすくす。はい、待ってますね。お夕飯のリクエストがあれば、明日のお昼までに連絡ください」
「わかった。あ、明日の午前中に、冷蔵便で海鮮が届くはずだから、それ使って何か作ってもらえたら嬉しいな」
「あらまぁ。じゃあお買い物は午後に行くことにします。腕によりをかけますから、期待しててね、ダーリン」
「君の料理はなんでも美味しいから、期待したことしかないよ。ねえ、食後のデザートも期待していいかな、ハニー」
やたらと色をのせた彼の言う食後のデザートが何のことなのか気付いたゆかりの頬が熱を持つ。
「またそういうことを……んもう、それは明日の和樹さん次第ですぅ。そろそろ切りますね。おやすみなさい、和樹さん」
「ふふ、明日の僕次第か。楽しみだな。今日はしっかり休んでおいてね。おやすみなさい、ゆかりさん」
「真弓ちゃん、お父さんとおやすみなさいできて良かったね」
「うん。あしたはもっとがんばって、もっとなでなでいっぱいでほめてもらうの」
「そっか、良かったねぇ。じゃあ、電気消すね。おやすみなさい」
「はぁい。おやすみなさい」
こうして、初めて三人で川の字で寝た。いつも「おねえちゃんだから」「おとうさんとおかあさんみたいになる」と何でもやろうとする真弓の頭をゆかりは優しく撫でた。
この日から、青空ソーダは真弓へのご褒美の定番になった。
真弓ちゃん、いつもは入らせてもらえない両親の寝室で眠る特別感……はあるんだけど、おおきなベッドのあまりの寝心地のよさにすぐにおやすみマンです。
ところで、この時期に和樹さんが送ってくる海鮮ってなんでしょうね。




