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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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180-1 オンナノコの事情(前編)

 これもお付き合いの片鱗すら見られなかった頃のお話です。

 オンナノコは大変なのよ。

 生理痛。それは、わたしこと石川ゆかりにも毎月訪れる憂鬱である。けれどズキズキと痛むのは初日くらいで、市販薬の痛み止めを飲むなんて年に数回程度の軽さ。腰痛や頭痛なども特になく、まあ、あるとすれば何だか身体が重だるくなるくらい。立てないほど辛いと言う周りの女友達よりかなり楽な方だから、喫茶店で立ちっぱなしのウェイトレスをする身にはかなり助かっていた。しかも周期もだいたい三十日ほどだから次の生理日の予測もしやすかった。

 …そう、予測できた、はずだったのに。




「和樹さん! 来月二十日は夏祭りだから近くの商店街で出店が並ぶんです。喫茶いしかわでもお店の前でカキ氷の出店をしますから、もしシフト入れそうなら是非ご協力お願いします! あ、当日はわたしもマスターも浴衣ですから、和樹さんもお持ちでしたら着て来てくださいね」

「へぇ、夏祭りですか。二十日のシフトはたぶん大丈夫と思います。でも生憎、僕は自前の浴衣なんて持ち合わせていないですよ。普段着じゃダメですか?」

「よかったぁ! シフト入れるんなら全然オッケーです! 普段の格好でもいいですけど、和樹さんが浴衣着て表に立てばお客さんが殺到しそうですよね。あ、なんならマスターのを借りましょうか」

「いやいや、あまり目立つのは好きじゃないので、僕は裏方に徹しますよ」

「え~。和樹さんが売り子になってくれたら売り上げ倍増すること間違いないのに」


 もくもくと入道雲が青空の先に現れた初夏の午後、喫茶いしかわで夏の新メニューをあれこれ考えていた同僚の和樹さんに苦笑いをされる。毎年恒例の夏祭りにわたしの心は浮足立っていた。けれど、残念。和樹さんの浴衣姿、見てみたかったのにな。わたしが口を尖らせていると、ふと神妙な顔つきで。


「けれど、その日はゆかりさんの方こそ大丈夫ですか?」

 と、心配そうな顔を向けられた。

「わたしですか? あ、これでも一応浴衣の着付けはできますから、大丈夫ですよ。着物より簡単だし」

「あ、いえ、そうではなくて」

「はい?」

 うーむ、とほんの少し難しそうな顔つきの和樹さんが、何か言いたげにわたしの方に向き直る。けれど、コホンと咳払いをした後ニコリといつもの微笑みに戻って。


「浴衣のゆかりさんこそ、十分客引きができるでしょうね。楽しみだなあ」

「ふふふ、お世辞でも嬉しいです。浴衣の女性はスーツを着た男性並みに割り増しされますからね! 常連のおじさんたちを狙って張り切って売り子やりますよ! なんたって、売り上げが去年より上がればマスターからご褒美が出るそうですから」

 ふんっ! とやる気満々の両手でグーを握る。

「ははは。それが目当てなんですね」

 そんなたわいのない談笑をしていると、「おや」という声に突然の夕立。しばらくすると雨宿りに逃げ込んできたお客さんたち。おかげで喫茶いしかわは大忙しだった。



 ◇ ◇ ◇



「バカ。わたしのバカバカバカ。大馬鹿もの」

 夏祭り当日の朝、今日も暑くなりそうな快晴とは裏腹。目覚めた途端嫌な予感がしてトイレに直行したわたしは盛大にため息をついて膝に頭をぶつけた。お祭りの日は外で売り子するとはりきって買って出た先月のわたしを引っ叩いてやりたい。なぜ予測できなかったのか。


 来てしまった。アレが。しかも、かなり痛いやつ。

 なんということだ。今日は外でカキ氷を売る浴衣女に徹する予定なのに。まさかの生理痛。しかも、これは年に一、二度来る超重いやつじゃないの。いっ、痛い!無意識にお腹をよじらせる。ため息を吐きながらずんずんと次第に増すばかりの痛みに堪える。


「いったあぁぁぁい…ううぅ~…い~たぁ~い~! く、薬~! だ、誰か~! お薬持ってきてぇ~。お、お願いだからあ~!」

 押しては引く痛みの波が下腹部を襲う。繰り返し、何度も。一人暮らしにはこんなとき頼るひとがいない。仕方なくヨロヨロとトイレから這い出て薬箱に向かう。必死の思いで錠剤を口に含みコップの水で胃に流す。

 はやく! 一秒でもはやく効いて!


 「痛みにすぐ効く」と謳い文句の箱をギリギリと握りしめながら、ズキズキが落ち着くまでダンゴムシのようになる。目の前に昨晩ハンガーに掛けておいた藍色に大柄の白椿が目に入る。所々からし色の斑点がアクセントの浴衣。くすんだ水色のくしゅくしゅの兵児帯は母からのプレゼントだった。いまさら「売り子できません」だなんて、言えるわけない……。気合いで乗り切るしかない。はあはあと漏らしながら青い顔を上げる。

「ゆ、浴衣、着なきゃ……!」




「いらっしゃいませ~! カキ氷いかがですかあ?」

「おっ、ゆかりちゃんかい? 今日は色っぽいねぇ! 見違えたよ。どれ、一つもらおうか」

「えっ本当ですか~? うれしい! ありがとうございま~す!」


 空が夕焼け色に赤く染まり始めた頃、縁日の太鼓と笛の音が遠くから聞こえてきた。行き交うカップルや家族連れの人たちもチラホラ浴衣姿だ。喫茶いしかわの出入り口にテーブルを置き、ヘラヘラと道行く人に声をかけてはフルーツ味の鮮やかな氷を売る。

 朝から飲んでおいた強力な痛み止めと、「慣れない浴衣で無理してはいけないから」と力仕事から些細な雑務まですべてを買って出てくれた和樹さんのおかげで、わたしは意外と元気だった。というか、和樹さんが何度も半強制的に休憩の指示を出してくれたおかげで、体力は有り余っているくらい。


「あれ、まずい。苺シロップが切れそうです。わたし、急いで買ってきますね!」

 エプロンを外しながらお財布を持ち、カラコロと下駄を鳴らす。駆け出そうとしたわたしの袖を、氷を補充していた和樹さんが掴んだ。

「ゆかりさん、買い出しは僕が行きますから。そろそろ疲れたでしょうし、休憩してください」

「え? わたしさっきも休憩取ったから、大丈夫ですよ。和樹さんこそ無理しちゃダメですよ。すぐ戻りますから、店番お願いします!」

「お兄ちゃ~ん、お勘定」

「あっ、はい。……って、ゆかりさん!?」

「いってきま~す!」

 そう振り向きながらカラコロ走り出した。和樹さんの制止も聞かずに。


 実を言うと、そろそろ痛み止めが切れそうだから、スーパーの買い出しのついでに、こっそり薬局コーナーで薬を買いたかったのだ。心配そうな顔だった和樹さん。申し訳ない気持ちにはなるけれど、生理痛で辛いなんて言うのも恥ずかしいし、言ったところで余計な心配をかけるだけだ。働き詰めの彼を困らせたくない。


 ごめんなさい。和樹さん。すぐに帰るから。


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