16-1 ひまわりめいろ(前編)(和樹視点)
少し遠出したところにある一面の向日葵。きっと子供たちが喜ぶと連れてきた。予想通りの反応だった。
「ここ、ひまわりのめいろだって」
「やってみたい! ねえ、いいでしょ?」
愛しい妻にそっくりの、期待にキラキラした目を向けられる。
「もちろん。楽しんでおいで」
「お父さんは行かないの? お母さんは?」
「はい、水筒持っていって。迷路の出口で待ってるわね」
つい、プッと吹き出してしまい、ゆかりさんに睨まれた。
「くくくっ。お母さんはね、迷路を楽しみすぎる達人なんだ」
「和樹さんっ!?」
どうして子供たちにそんなことをと焦りを含んだ抗議の声があがる。僕の口を塞ごうと手を伸ばしてくるゆかりさんをかわして、しゃがんで子供たちと目線を合わせる。
「ここは子供用でひまわりの背も低めだから大丈夫だと思うけど、もし迷子になったら、意地を張らずにちゃんとリタイア旗を振るんだよ。いいね?」
「はーい」
「よし、行っておいで」
麦わら帽子を揺らしながら迷路に向かう子供たちを見送った。
「もう、和樹さんのいじわる。子供たちにこれ以上バラしちゃダメですからね?」
「ダメなんですか?」
「……母の威厳があるじゃないですか」
少し唇を尖らせて恥ずかしそうに拗ねる様子に、威厳などみじんも感じられず。むしろ可愛らしいばかりだ。
にこりと笑って引き寄せ、彼女の麦わら帽子が飛ばないよう押さえながらおでこを合わせて瞳を合わせる。
「ゆかりさんは、いつもとても可愛らしいですね」
「んなっ……」
絶句してみるみる真っ赤になるゆかりさんは、さらに可愛くて。照れ隠しにポカポカと叩いてくるのを、抱き締めて封じながら、以前彼女と迷路に入ったときのことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
「うわぁ……!」
車の窓から顔を覗かせて、彼女が歓声を上げる。
僕はそんな彼女の表情を想像して、緩む口元が抑え切れない。
きっと、上気した頬を輝かせ、まろい大きな瞳をきらきらさせて、満面の笑みを浮かべているに違いない。
「見て見て、和樹さん! いっぱい!」
「ん?」
ブレーキを静かに踏んで、彼女の指さす方向に顔を向ける。
そこには雲一つない青空を背景に、背の高い黄色い花が咲き誇っていた。
視界いっぱい、一面ひまわり、ひまわり。
咲き誇る美しい太陽の色がどこまでも続いている。
「ああ、本当だ」
正面を向くついでに、ちらりと彼女の顔を盗み見る。
ほら、彼女は僕が想像した通り、とてもとても幸せそうに笑っている。
「え? 迷路? 迷路があるの?」
「らしいよ。毎年、中の道も変えているって」
今、僕らは、広大なひまわり畑を歩いている。
すっくりと背の高いひまわりが、真夏の太陽に輝いている。
「迷路……」
繋いだ手のひらから、彼女のワクワク、むずむずした気持ちが真っ直ぐに流れ込んでくる。
彼女が口を開く前に「行ってみる?」と訊くと、大きく縦に、首が何度も振られる。
彼女のかぶっている、麦わら帽子の水玉リボンも、一緒にふわふわと揺れる。
可愛い彼女と一緒に、ひまわりの迷路で迷子になってふたりきりというのもいいなぁ、なんて内心ニヤついていたが、そこは僕が甘かった。
だって、彼女はフラグクラッシャー。その名に恥じない斜め上の発言が来た。
「負けませんよ、私!」
なるほど。そうか、そうきたか。
うーん……競争かあ。
「はい、これが参加証です。途中スタンプを3つ集めてくださいね。どうしても迷子になっちゃった場合や、ご気分が悪くなった場合は、これを思い切り振ってください。リタイア旗です。係の者がお迎えに参ります」
係の女性は、小振りの旗を一本手渡してくれる。黄色の中で目立つ赤い旗だ。
「はい! あっ、あの、旗をもう一本ください」
「え?」
「それぞれ一本持ちますので」
「……え? ご一緒ですよね?」
女性は、怪訝そうに彼女と僕の顔を交互に見ている。
「ええ、一緒に競争するんです!」
彼女がきっぱりと告げると、女性は困ったように笑う。
「え?あ……ああ――なるほど」
ええ、あなたの言いたいことは分かります。『だって、デートでしょ? 2人で仲良く手を繋いでイチャイチャしながら迷路を探検するって非日常イベントでしょ? 競争するの? 何なの? そんなカップルいるの? 意味よく分かんないんですけど!』って思ってますよね? あなたは正しい! あなたに一票! 彼氏の僕もそう思います! でもね、この子、こういう子なんですよ~、それで、僕、そんな彼女が可愛いんですよ~。
そんな複雑な思いと共感を込めた笑顔を一瞬で作って、旗を受け取る。
「えーと……では、頑張って行ってらっしゃい」
女性が微妙な顔で見送ってくれた。
入り口まで来ると。
「じゃあハンデってことで、和樹さんは5分後にスタートね」
彼女は勝手にルールを作っている。
「5分?」
「長い? じゃあ3分?」
いやいやいやいや、むしろたった5分なんてハンデにもならないのに……なんて言うのもバカバカしい。
「では、3分にしましょう。ハンデが軽くなったお礼に、バッグは持ってあげます」
するりと彼女の籐かごバッグを受け取る。
「用意、スタート!」
有無を言わさずに、携帯のタイマーを開始する。
「あっ、早い! ずるい!」
文句を言いながら、彼女は、ワンピースの裾を翻して、入り口から迷路へ駈け込んで行った。
きっちり3分後、僕も迷路へ入って行く。
結婚前のデートの思い出なので一昔前です。
当時はほとんどスマホ普及してなかったので、和樹さんが使うのも携帯電話なのです。時代ですねぇ。




