表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

245/758

175 甘やかす人

 ゆかりさんが、和樹さんからの告白を受け入れたのにまだ和樹さんから逃げられるんじゃないかとちょっとだけ思ってる頃。

 何と言うか、彼はとても甘えさせたがりだ、と石川ゆかりは風に靡いていた髪の毛を抑えながら一つため息を吐いた。

 普段なかなか会えないからと言ってはゆかりを甘えさせたがる。これは自分で、と言っても気づいたら代わってくれていたりとさり気ない気遣いでゆかりを甘えさせる。

 これじゃいけないわ、と思ったのは何度目だろうか。付き合う前からも含めたら結構な数だろう。それだけ、彼――和樹はゆかりを甘えさせたがるのだった。


 喫茶いしかわのお手伝いをさせてくださいと言われたときも、最初は大丈夫だろうかと心配になったものだが、危惧していたことは取りこし苦労だったらしい。むしろ即戦力で、思っている以上の収穫があったことだけは間違いない。

 仕事はデキそうなので頭のキレが良いのは予想はしていたが、想定外だったのは料理の腕だ。今じゃ喫茶いしかわの看板メニューのひとつである和風たまごサンドを考案したのも和樹だった。

 色々と器用で気遣いができる人。でもその一方で自分のことはあまりしゃべらない――壁を作ってその領域を踏みこませない人でもある。棲み分けをきっちりしているというイメージがあったせいもあり、ゆかりは和樹の行動を見ていると、あっさりと喫茶いしかわを訪れなくなってしまう、風のような人なのだろうなと思っていた。


 その、はずだった。

 普段はそうやって壁を作るのに、ゆかりに対しては例外だと言わんばかりで、ゆかりは混乱した。気づけば甘えさせようとする和樹が何を考えているのかわからない。

 いいです、自分でやります。そう言ってもひょいとやろうとすることを持って行ってしまったり、気付けば片付けを終えていたり、終いには美味しいものを作ってくれて、買い出しを手伝ってくれたときはときどき道草しては食べ歩きを一緒にしてくれた。

 だからだろう。ゆかりが和樹のファンと称する女性客から目の敵にされてしまったのは。おかげでSNSは炎上しっぱなしだ。気を付けてください、と和樹に言っても笑って誤魔化された。


 これは遊ばれてるんだろう、そう思った。しかし、遊ばれてるにしては酷すぎると一度半泣きで言うと和樹は「すみませんでした」と深々と頭を下げて、以来少しだけ落ちついた……はずだったのに。

 和樹が喫茶いしかわを去り、約1年後に再び姿を現して再び常連客に連なり、かと思えばゆかりのことが好きだと言って告白してきて……とゆかりのキャパを越えることが次々に起こった。

 もう何が何だかわからない。頭の中はぐるぐる回るし、理解できるようでよくわからなくなる。そんなゆかりを見かねてなのか和樹はそれまで通り接してくれた。好きとかまずは置いておいて、喫茶いしかわのコーヒーが好きな常連の一人だと思ってほしい、そう言われたのだ。わかりました、と答えたゆかりの声は明らかに安堵の色を見せた。

 そう、それで安心したはずだった。ひとまず置いておいていいと言われたは良いが、和樹からの好意はこれまで以上に明らかに見えるようになった。正確に言えば見せられるようになった、と言った方がいい。


 そんな経緯もあってなのだが、和樹はやはりあの頃と同様に甘やかす。いや、あの頃以上に甘やかすようになった。

 それが嫌なわけじゃないのが困りものだ。この分だとゆかりは和樹なしには生きられなくなってしまう。


 オープンテラスのカフェの椅子に座りながら目の前のケーキを口に運びつつじっと双眸を見ると、ゆかりの視線に気づいたのかふわりと微笑んだ。

「……っ」

 声にならない声が咄嗟に出ようとするのを辛うじて堪えた。やだ、この人、確信犯だ。

「……ゆかりさん?」

 こてん、とアラサーなのに詐欺だと思うような可愛らしい目をしてこっちを見ないでください。心の中の声はすかさずその声に反応したが、声には出なかった。

「……いえ。ナンデモアリマセン」

「そう? 何か言いたげだけど?」

 いや、言いたくもなるでしょ、と再び心の声が突っ込む。そうしてゆかりは一つ息を吐いた。なんだろう、この妙な緊張感は。


「……和樹さんは、私を甘やかしすぎです」

「そうですか?」

「そうですよ。今日だって、ケーキ食べましょう、美味しい店見つけたんですって言って連れてくるし」

「ゆかりさんが食べたいって言ってたでしょう」

「たしかに言いました! 気になってる店ですって私が言いました! 言ったの私です! 言ってた通りとても美味しくてほっぺた落ちそう……! って、そうじゃない!」

「あ、一人ツッコミ」

「ツッコみたくもなります!」

「はは。面白いなぁ、ゆかりさんは」

「お、面白いって……そんな面白くないですよ」

「面白いですよ。飽きませんし」

「そりゃあ、和樹さんの周りにいる女性たちの中では綺麗じゃないし、普通だろうし、変わってるかもしれないけれど……」

「ゆかりさんは可愛いですよ。僕はそんなゆかりさんが好きです」


 しれっと告白を挟んでくる和樹にゆかりは軽く頭を抱える。だから何なんですか。どうして私なの。そう思うのに、心は揺らぐ。ゆかりもまた和樹のことを少なからず想っていた。そう、好き以外の何ものでもない。だからこそ困る。困ってしまう。それを認めたら、許してしまったら、多分引き返せない気がするから。和樹以上に好きになる人ができなくなってしまう気がするから。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、そんな人の隣を歩くなんておこがましいとさえ思う。釣り合いなんて取れるはずがない。


 そんな簡単に言わないで、と戸惑う心の中で言う。

「ひぇ……わ、私普通ですよ。平平凡凡ですよ。綺麗とかよりもごはんの方が好きだし……」

「美味しそうにごはんを食べる人ってとても魅力的だと思います」

 にっこりとほほ笑みながら和樹は言う。

「そ……ソレハドウモ。って、そうじゃない!」

「二度目の一人ツッコミ」

「そりゃツッコみますって! いいですか、和樹さん。和樹さんがここ最近ケーキとか甘いもの食べに誘ったりするから私太っちゃうんです! 肉がむきっとつきます」

「むきっと」

「そうです。たるんだお肉です。脂肪がたくさんつきます」

「気にするなら一緒に運動しましょう」

「え、一緒にしてくれるの」

「もちろん」

「って、そうじゃない! 運動のお誘いは大変魅力的ですが、そうじゃありません。やるなら一人でやります」

「でも一人だと挫折しません?」

「あ、しますね」

「でしょう?」

「確かに……って、そうじゃない!」

「お、また一人ツッコミ」

「……和樹さんが言わせたくせに」

「わかりました?」

「わかりますよぅ」


 もう、と唇が再び尖る。美味しいものには目がないと言うゆかりらしい反応ではあるし、そこを分かってて和樹は誘うのだ。運動がなかなか続かないというのも喫茶いしかわで散々ゆかりが言っていた言葉だ。その隙を突っ込む、確信犯で何が悪い。

「ゆかりさんは少し太っても大丈夫ですよ。むしろ太った方がいいです。痩せてます」

「嘘だー!」

「なんで全否定」

「否定しますって。だって、昨日体重計乗ったら一キロ増えてた」

「良いじゃないですか。男的には肌触りはものすごく大事です」

「何そこさらっとセクハラ発言してるんですか」

「いえ、滅相もない。そっちの方が魅力的ですと申しているだけです」

「いや、乙女心的にはですね……太りたくないんですよ……」

「一キロくらいは問題ありません。そんなあなたも魅力的です」

「うう、また甘やかす~~~!」

 もう、と思わずゆかりが声を挙げた。これはずるい、和樹さんのばかーと心の中で叫ぶ。そんなに甘やかされるととっても困るのに。視線を落としたまま心の声が駄々漏れる。


「……私、和樹さんがいなくちゃ生きていけなくなっちゃう」


 ぼそ、と呟いた声は和樹にしっかりと届いたようで瞳を大きく見開いてゆかりをまじまじと見つめた。和樹の反応に気づかないゆかりは小さくため息を吐く。これでは本当に和樹以外の人では駄目になってしまう。

 ゆかりの反応に和樹の瞳が俄然元気が出た。言葉に弾みが出る。

「僕がいなくちゃ生きていけないくらいがちょうどいいです」

「……は?」

「だから、ゆかりさん、観念してくださいよ」

 そこまで言ったら好きも同然だ。そして可愛らしい艶やかな唇で言の葉を紡いで。

「え……や、やです」

「えー」

「えーっじゃないです。なんですか、ずるいですよ、私……困るんです」

「困る?」

「このままだと、本当に……本当に」

 ――好きしか言えない。


 落ちそうになる心を何とか引き止めてゆかりは目の前のケーキに視線を戻した。

 素直に認めたい、でも素直に認められないのは和樹は多分ゆかりの手に負えないことは間違ってないから。好き、だけじゃ難しいのが大人の恋の世界だ。その気持ちに溺れられたらどれだけいいか。素直になれたらどれだけいいか。

 好きだけど素直に受け取れないのはそういうところがあるから。そして傷つくのを怖れる。

 好きだと言ってくれることは嬉しいのに、嬉しいと言えない素直じゃない自分が嫌になった。いっそのこと嫌いって言ってくれたほうがいいのに――なんて、正反対の言葉を考えるが、それはそれで、たぶん言われたら凹む。凹んで立ち直れなくなるかもしれない。


 いったいどっちがいいのだろう、そう悶々とゆかりが考えていると目の前の席で肘をつきながら和樹は何かを思案しつつ言葉を口にする。

「……ふーん。わかりました。では、長期戦と行きましょう」

「……へ?」

「僕は何度でもあなたに『好き』を伝えます。しっかりじっくり、伝わるまでね」

「ひえっ」

「覚悟しててください」

 目いっぱい甘やかしますから、そう和樹は言外に匂わせて。ゆかりがその瞳の真っ直ぐさに軽く慄きながら「う、受けて立ちましょう」とうっかり言うまであと数秒。

 いつゆかりが名実ともに和樹の手に陥落するのか、そしてこの恋がどうなるのか、まだ誰にもわからない。


 和樹さんのフルスロットル、待ったなし。ブレーキはいずこ?

 これ以降、いろいろと遠慮がなくなったんじゃないかな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ