172-3 うわきぎわく(後編)
しばらく運転をしていたが、自宅に戻っている様子はない。ドライブかと聞けば、違うと言われてしまった。外は真っ暗で自分がどこにいるか判断できないが、まあ彼となら海の底にでも行ってやるかと物騒なことを考え始めたとき、和樹が「ついた」とつふやいた。
「和樹さん、ここどこ?」
「わかりません? 来たことあるんじゃ」
「暗いし」
「あ、そっか。それにいつもは電車か」
駐車場について車の外に出ると、誰かが近づいてくる。ゆかりは思わず和樹の腕にしがみついた。
しかし、その誰かは、ゆかりが良く知る人物だった。
「ゆかり!」
「あれ、お兄ちゃん?」
確認して、目を凝らして周囲を見ると、確かに兄のマンションの駐車場だったらしい。
「ゆかり、なにしてんだ」
「ご、ごめんなさい……。心配かけて」
「いや……。ありがとう、和樹さん」
「いえいえ。こちらも不甲斐ないです。仲を取り持つどころか、こじらせそうになったんだから」
――男たちの会話は、途中からゆかりには聞こえていなかった。
「あの人」
「え?」
ゆかりは思わず顔をこわばらせながら和樹の手を握った。それに応えるように和樹がゆかりの頭に手を置いた。
「だから、大丈夫だよ」
目の前には、和樹が話していた「あの人」が居るのに。なにが大丈夫なのか。
あの人・女は、ゆかりのことを怪訝そうに眺めている様子である。和樹の隣に居ることを咎めているのだろうか。
それでも、この手を離したくない。
リョウが、咳払いをした。
「ゆかり」
「な、なに?」
兄どころではないのだ。彼女が近づいてくる。緊張は、その瞬間マックスになりバクバクとなりだした心臓の音は――
「この人は、お兄ちゃんがお付き合いしてる人だ」
その言葉で止まった。
「は?」
◇ ◇ ◇
和樹はゆかりが作った料理を温め直しながら、けらけら笑っていた。
「お兄ちゃん、私のことブラコンだからって彼女に説明してたのも納得いきません。あっちがシスコンなのに。もう、本当になんだと思ってたの? 私のこと」
真相は、あっけない。
リョウは和樹にこう相談したそうだ。
――妹に彼女を紹介したいが、妹が気に入ってくれるか彼女が心配している。自分より和樹のほうが今のゆかりをしっているから、いろいろ教えてやってほしい。例えば嫌いな女性のタイプとか好きな食べ物を。
「それで和樹さんはなんて答えたの?」
「ゆかりさんは大体の人を好きで、嫌いな食べ物はひとつもありません」
「なにそれバカっぽい!」
「バカはおいといて、人も食も好き嫌いないのは事実じゃないか」
ゆかりは深く深く溜息をついた。
あのあと呆然としたゆかりを兄の彼女は優しく抱きしめて、「ごめんね! 本当にごめんね!」と言ってきたので、ゆかりはすっかり力が抜けてしまった。
後日、それは再来週の日曜日、四人で逢う約束を……いや、既に三人はしていたのだが、ゆかりは最後に聞かされたのだ。
和樹はひとしきり笑って飽きたのか、はぁ~と間抜けな声を出した。
「ゆかりさん。あの感じだと、お兄さん結婚しそうですよ」
「うん……。ああやって改まって紹介しようとしてたってことはそうですよね」
「大丈夫?」
「なにが?」
「リョウさんはゆかりさんが卒倒しちゃうかもって、この計画を練ってたんだよ」
「はぁ?」
どんなシスコンだと思っているのか。ゆかりは腹の底から怒りが湧いてくる。思い返せば、ゆかりは兄に振り回されてばかりの人生である。
「良かったですよ! やっといい人見つけてくれて。彼女さんも泣いて私に謝ってくれたし」
「良い人だったよ。ゆかりさんの話をたくさんお兄さんから聞いていたみたいで、もう勝手に妹みたいに思ってるから嫌われると悲しいって。ちょっとリョウさんとも似てるかも」
「そんなことを……。お似合いですね」
ゆかりはメイクを落としてソファに寝ころびながら、引き寄せたクマのぬいぐるみにぎゅっと胸に押し当てた。
「寂しい?」
「そんなわけないです」
「寂しいくせに」
「和樹さんが別の人のところに行く方が嫌ですよー」
「可愛いこと言っちゃって」
食事をテーブルに並べた彼は、ゆかりを起こしにソファの隣にしゃがんだ。
「良いよね。僕、兄妹憧れあるよ。ずっと……一人だったから。そのことにコンプレックスが」
「そんないいもんじゃないですけど……。私は恵まれてるかな。良い兄ですよ」
「うん。僕も、ゆかりさんのお兄さんがリョウさんで良かった。僕を受け入れてくれて……。だから、彼女を受け入れる手助けをしたかった」
「そうですか。バカなお兄ちゃんに親切にありがと、和樹さん」
ゆかりにふっと笑って彼は額にキスをする。そのまま流れるように、和樹の身体はゆかりの上にのしかかってきて、ゆかりの視界は一瞬にして影になった。
「僕たちの子どもは二人以上がいいね」
「子ども……?」
彼の手が、ゆかりの下腹部をすっと撫でる。
「お兄ちゃんと妹はどうかな。石川兄妹みたいな」
「えぇ……?」
「ゆかりさんにそっくりな娘ができたら、親馬鹿になっちゃいそうだなぁ」
聞こえてきた彼の話に、ゆかりはどう反応して良いのか困っていると彼はまたクククッと笑い出す。彼の親指がゆかりの頬を撫でた。
「ゆかりさん、顔熱いよ」
「ご、ごはん! ごはん食べますよ! どいて!」
「やだって言ったら?」
彼の手がゆかりの腕を抑えつける。
「明日は休みだし、ゆかりさんが勘違いしないくらい僕の愛を分からせないと……」
「やだ! お腹すいた! 一生懸命作ったんだから一緒に食べましょ? ね?」
勝ち目がない力比べ対決に、ゆかりは堂々と妹力で勝ってみせる、長い一夜が終わり、日付も変わってお腹ぺこぺこのゆかりは、やっとの夕飯にありつけたのだった。
今後を知ってると和樹さんが浮気する心配なんて、するだけ無駄だと思ってしまうのですが、この時期は、まだ同居は始めたものの気持ちがふんわりしてる期間なので、ゆかりさんの愛され自信がかなり小さめです。
(周りはみーんな「あの和樹さんが逃がしてくれるわけがない」と思ってるので、ゆかりさんだけピントがずれてます)
和樹さん、ゆかりさん似じゃなく自分似でもあんなに溺愛してますからねぇ。
ゆかりさん似の娘なんか生まれてしまったら……執着がすごそう。
ギリギリ許されるのはゆかりさん似の息子? あれ? それってつまり、もしやリョウさん似……?




