15 ハグの日
マスターが変なことを言い出した。
「今日って“ハグの日”なんだって。何かキャンペーンできないかな」
「いきなり言われても、なんの準備もしてませんよ?」
「カップルがハグしたら、ドリンク割引とか」
飛鳥ちゃんが困った顔になる。
「私、注文聞くの慣れてないので間違えそうなんですけど」
「ああ、そうか。それじゃあ……あ! ゆかりや飛鳥ちゃんとハグできる券プレゼントってのはどう?」
いいこと思い付いた! みたいな顔で提案してきたマスターに、今度こそ雷を落とす。
「冗談でもやめてください! 和樹さんにバレたらどんな事態になるか、想像できますよね? それに飛鳥ちゃんとハグしようとする人が、痴漢やストーカーだったらどうするんですか!?」
「もしこのキャンペーンするなら、私は今から体調不良になります」
「私もです。どうしてもやりたければ、マスターが対応してください」
飛鳥ちゃんとともに白い目でマスターをみると、いじけていた。いくらいじけられても特典がそれでは賛同など決してできない。
あれこれ話し合った結果、今日の日替わりランチがちょうどオムライスだったので、ケチャップで“HUG”と描くことに決まった。
剥がせるフキダシ形付箋紙に「8月9日キャンペーン オムライスのケチャップがHUGになります」と書いて、メニューの日替わりランチの横にぺたりと貼る。
ランチタイムのお手伝いに来てくれる佳苗ちゃんにも説明する(というか、飛鳥ちゃんが朝のうちにスマホで連絡してくれていた)と、佳苗ちゃんが仕上げのHUG係に決まり、器用にケチャップを操っては仕上げてくれる。常連さんには佳苗ちゃんが運ぶが一見さんには飛鳥ちゃんが運んだ。常連さんはそんなことはしないが、一見さんは……変なリクエストをする勘違い客がいないわけではない。
いつもの日替わりがオムライスの日より売れ行きがいい。今準備している分では足りなくなるのでは? まだ12時を過ぎたばかりだが、念のため、米と野菜の追加の仕込みを始める。
いつもよりちょっと忙しいランチタイムが終わって交代で休憩に入ろうか、まかないもオムライスにしようかと話し始めたとき、カランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「ああ、ランチタイム終わっちゃったか。残念」
「和樹さん!」
苦笑しながらカウンターのいつもの席に座る。
「これでも急いで来たんだけどなぁ」
「日替わりメニューのオムライスなら、まだストックあるので提供できますよ。ゆかりさんお願いしますね。私たち食器片付けたら先に休憩入りまーす」
「もう、飛鳥ちゃんたら、そんな気つかわなくていいのに」
「いいじゃないですか。楽しみだな、ゆかりさんのオムライス」
しょうがないなぁ。中身のチキンライスは4人分をまとめて作ってしまう。卵は、自分のぶんは自分で焼いてねとふたりにスキレットと溶き卵を渡す。やや苦戦しながら卵を焼いたふたりにチキンライスを盛りつけて渡す。
「仕上げは自分でよろしくね」
私もふたり分の卵を焼く。普段のランチではふわふわにするが、和樹さんの好みに合わせて昔ながらの固い薄焼き卵でくるんだ。ちょっと考えて、ケチャップを絞る。
「お待たせしました。オムライスです」
カウンターから出てコトリと皿を置く。和樹さんが目を見張る。
「これ……」
「今日はハグの日なので特別仕様です。ちなみに今日私がオムライスを仕上げたのはこれが初めてですからね」
「ありがとうございます。これで今日の仕事頑張れそうです」
私が描いたのは“HUG”の文字ではなくハートマーク。ベタ中のベタなアレ。
夜、子供たちを寝かしつけた後に帰宅した夫は、珍しくごはんより先にお風呂を済ませた。晩ごはんを並べると手を引かれ、膝の上に乗せられた。
「なんですか?」
「今日はハグの日ですよ! ゆかりさんをめいっぱい抱き締めて当然じゃありませんか!」
食事の間はもちろん、その後もずっと膝の上に乗せられ、撫でられ、抱きしめられた。
ベッドに入れば抱き枕よろしくぎゅうっと抱きつかれた。正直、暑い。でもまぁ、こんな日も悪くない。
夫の腕の中で身動ぎし、きゅっと身を寄せて、彼の心音を聞きながら眠りについた。
せっかくのハグの日なのにベタ甘にはしきれませんでした。
でも、前回はちょっと可哀想だった和樹さん、今回は報われたのでは?(笑)
翌朝、子供たちは「お母さんとはハグの日したのにお父さんとはできなかった……」と拗ねてます。和樹さんはデレデレで遅刻ハグの日を堪能することでしょう。




