表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

239/758

171 一握の夢

 コーヒーの匂いがする。

 この匂いは知っている。喫茶いしかわのコーヒーの匂いだ。


 マスターのコーヒーは、大抵のことはそつなくこなせると自負している自分でも簡単にはいかない。蒸らす時間、お湯の量やタイミング。それらは観察した通りのはずだが、どうしても何かが違う。

 マスターと同じ味を出せるのは、サイフォンコーヒーくらいだ。ドリップするよりも経験の差は出にくいそれに、年下の先輩店員は羨ましげに自分の手元を見つめることがよくあった。


 大きな目はどんぐりのようで、つい最近「この前遥ちゃんにロリ顔って言われたんです。うぅっ」と納得できないように難しい顔をしていたゆかりだが、おそらくこういった子どものような純粋に輝く瞳のせいも多分にある、と僕は考えている。


「いいなぁ。私、サイフォンコーヒーだって、マスターと同じように出せるまで、二年はかかったんですよ」

 和樹さんずるい、と、習って数週間の自分を見上げる目は分かりやすく「うらやましい」と書いてあった。文字通り裏表がない人間は希有な存在であろう。


「ゆかりさんは随分若い頃から教わっていたでしょう。習得に時間がかかって当然です。それに今のゆかりさんの淹れ方はとても丁寧ですよね。僕のは器用貧乏、と言うんです。ドリップコーヒーは、何がマスターと違うのか本当に判りませんから」

「そうですよね!? マスターと同じように入れてるはずなのに、絶対何か違うんです。それでね、わたし考えたんですけど」

 ゆかりが口元に手を添えて、こちらへかかとを上げる。ぽこぽこと沸騰するお湯を見つめながらはいはい、と体を少し横に倒してゆかりの口元に耳を寄せた。近付く清潔感のある香りと、コーヒーの匂いが混ざる。それはゆかりに染みついている香りなのだと気付いた。

 普段は恋人と誤解されることや誤解からくる炎上をやたらと気にするくせに……こういうところ、脇が甘いんだよなあ、と思ったことは口にしない。


 ゆかりはとっておきの秘密を打ち明けるように素早く左右に視線を走らせてから、真剣な口調で囁いた。

「……マスター、コーヒーの魔法使いなんじゃないかと思うんです」


 まほうつかい。

 思わず吹き出すと、ひどい! さすがにそりゃないよなって判ってますけど! とぷうっとむくれたゆかりが背を向ける。咳払いをして笑った衝動を押しやってから、それでも気が抜けて緩んでしまう頬を揉みながら、すみません、と華奢な背中に声をかけた。



「ゆかりさん……」

「はい、なんですか和樹さん?」

 どこかくすぐったそうに笑いながら囁くように応えた声に、はっと意識が戻る。

「……ゆかりさん?」

「あは、目が覚めましたね」


 そこは、喫茶いしかわのカウンター席だった。

 和樹はシャツにジーンズといったラフな姿ではなく、着慣れたスーツに身を包み、喫茶店の同僚ではなく客として座っている。カウンターのテーブルに肘をついてそこに顎を載せたまま、一瞬睡魔に意識を攫われていたらしい。


 ゆかりはその一瞬の間で見た夢より少し大人びた顔で、秘やかに笑う。

「ふふっ。寝ぼけてる和樹さんなんて、随分と珍しいものを見ちゃいました。かなりお疲れですね」

「あー……いや、ごめん」

「いいんですよ。でもお休みはちゃんと取ってくださいね。居眠り運転とか心配だし」

 そう言いつつ、いつものコーヒーのおかわりが目の前に差し出される。近付いた白い指先からの香りは、夢と同じ匂いがした。


 今回も短いです。


 なんとなく、邯鄲の夢とか一握の砂とかをぼんやり思い出しましてね。

 そのへんのイメージやキーワードをこねくり回したら、こんなのができあがりました。


 ちなみに今回の設定は、ランチタイム終わりにお店に飛び込んできた和樹さん。

 ランチして(居眠りして)コーヒーおかわりして、飲み終わる頃に子供たちが小学校から帰ってきて。

「ただいまーっ! あっ、お父さん!」

 って子供たちのハグで元気をチャージして、お仕事もうひと頑張り……というのを考えてました。


 天使ちゃんたちにおずおずと

「今日はお父さんに“おやすみなさい”できる?」

 って聞かれて、当日締切の経費精算やら報告書やらを短時間で仕上げるのに必死です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ