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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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163-4 恋の予感?(後編)

 それから日が開いたり開かなかったり、数度和樹の「彼女」になった。これまでのように食事をして送ってもらうだけで、会話も特別恋人らしいものをしているわけではない。それでも一緒にいるだけで、男女と言うのはカップルに見えるのだと端々で感じた。和樹が彼女にしておく方がややこしくないといった理由がわかる。だって世間にカップルというのはこんなにも溢れているのだ。


「そういえばお好み焼きって外で食べたことないかも。あ、お祭りではあるかな?」

「あ、目の前で焼いてくれるんですね……お腹すきました」

「ふっ、ふふっ……何かと思った、すごい、マヨネーズで絵を描いてくれるんですね。わ、にゃんこだ。かわいい、すごい」

「ふわっ、あっつ……おいしい……」

「……いやこれ、めちゃくちゃおいしいですね。何これ……牛筋? お好み焼きに? おいしいですぅ。スタンダードな海老や豚もおいしいけどこれは……うぬぬ」

「えっこれ狡くないですか? ネギ焼き? ネギとお肉焼いただけでこんなにおいしいってあります? おいしい……うちで作れそうだけど何で味付けしてあるのかわからない」

「私お好み焼きでお酒飲むの初めてなんですけど、しっかり食べてるからか全然酔わない。……顔赤いですか? 平気ですよ」


「ハイボールって飲んだことないです」

「一口飲んでみますか?」

 ジョッキを差し出されて思わず受け取ってしまう。和樹がゆかりを連れていくのはおしゃれな店ばかりではなく、ときどき立ち飲み屋やごちゃごちゃした小さな居酒屋のこともあったが、いずれも味に外れはなかった。今夜のお好み焼きもまた同様だ。

 ハイボールの匂いを嗅いでみてもぴんと来ず、一口飲んでみてゆかりは顔をしかめた。そんなゆかりを笑う和樹にジョッキを返す。

「クレヨンみたいな味がします」

「クレヨン!」

 和樹が上機嫌に笑う。子どもっぽいと思われただろうが今更だ。

「ああでも、僕も昔は……苦手だった気がするな。いつから飲めるようになったんだろう」

 和樹の思い出話はいつも聞けそうで聞けない。口直しにデザートを、とメニューを押しつけられて、視線を走らせてから和樹は話しを続ける気がなかったのだと気が付いた。


 喫茶いしかわにいるときの雑談が他人行儀の単なる社交辞令ではないことぐらいはわかるが、それでもこうしてアルコールが入っているときとは違った。和樹のように一見酔っている様子が少しもなくても、やはり少し気が緩むものらしい。お酒は怖いなあ、思いながらシャーベットを頼む。しっかしした味のものばかりだったので、シンプルな柚子シャーベットがおいしい。

 和樹は特別周りを意識している様子はなく、単なる食事以外の行動もとらなかった。ゆかりはただ楽しくおいしいものを食べているだけだった。それでいいんですよ、帰る道すがら、和樹はゆかりにそう言った。和樹はいつだってゆかりの問いかけに適当な返事はしなかった。

「ゆかりさんが楽しんでくれる分、僕は自然に振る舞える。助けられていますよ」

「そういうものですか?」

「そういうものです」


 和樹は酒を飲んだり飲まなかったりする。マンションまで送ってくれるが、その時間をゆかりは密かに気に入っていた。どう、と言語で説明するのはゆかりには難しいが、何となくゆかりの知るどの和樹とも違うような気がするのだ。男とふたりで歩く夜道なのに警戒していないことも理由かもしれない。

 和樹と言う男は周到で、ゆかりが関係を承諾した次の日にはこれこれこういう理由でときどきゆかりさんと食事へ行きます、とマスターに説明しており、律儀にも毎回報告しているようだ。マスターは娘のゆかりをかわいがってくれているので、和樹の誠実さには感心していた。

 したがってゆかりに起こりうる「万が一」が発生する可能性は限りなく排除されているのだ。


 和樹がゆかりに乱暴を働き口止めされたとしても、さほど演技派ではないゆかりの様子などマスターが見抜き、それが和樹と出かけた翌日のことならば遠慮なくと問いただし必要に応じて警察を呼べ、ということである。そこまでされて和樹を警戒することなどできなかった。


 ――道すがら、時折、指が触れるのだ。

 隣を歩いているのだから、別に不自然なことではないと思う、その程度。だけども食事へいき始めた頃にはなかったこと。アルコールの広がった指先だ、と思えども、ゆかりには喫茶いしかわで働いているときに偶然触れる和樹の体温との違いはわからない。普段はゆかりに触れてしまうと大袈裟に手を挙げるような和樹のことを考えると、酔っているからだろうとは思う。思うが、和樹は酔っているように見えないのだ。

 歩きながら揺れる手がゆかりの手首に触れる、その程度だ。しかしこれがゆかりの自意識過剰だったら恥ずかしいな、と思う。ゆかりは決して子どもではないと思っているが、大人がどんな恋をするのか知らない。これって、大人の女ならどうするのが正解なのかしらん。

 考え始めて、考えるのが面倒になって、ゆかりは和樹の手を取った。男の手だなあ、と思いながら和樹を見たが、和樹は話しを続けていて、こちらを見なかった。しかしゆかりの手を握り返した。


「なので、どこかで時間作ってやりたいなと思うんですよね」

「そうですよねえ、ストックしたまま使わなくなっちゃったやつ、捨て時がわからなくなって地層になってますもんね」

「今度暇なときに手をつけてみましょうか」

「うーん、どうですかねー。最近、前は暇だった時間にもお客さんが来るんですよね。和樹さんいるかもーって」

「そのうち飽きますよ」

「そうですかねえ」


「ゆかりさんが女子高生だった頃はどうでした?」

「えー、飽きませんって。ずっと追いかけてたバンドのメンバーと結婚までこじつけた友達いるし」

「それは……なんともレベルが違うなあ」

 穏やかに笑う帰り道、マンション前で手を離す。うっすらと汗ばんでいたのがそのときわかって何となく気恥ずかしくて、ゆかりにおやすみ、と告げる声もいつもより甘く聞こえた。


 ああ、なんか。恋の始まりって感じ。


 思わず「ここまで既成事実作っといてなにフラグクラッシュされてるのよ!」とか言ってやりたくなってしまいそうです(苦笑)


 「ゆかりを射んとすればまずマスター」と行動した和樹さん。

 はい、確実に餌付けできてるはずのゆかりさんにいろいろと伝わってなさすぎて、周りのほうがむしろやきもきするやつです。

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