14 心を溶かすフレンチトースト
翌朝のおはなし。
おでこがジリジリする。それにまぶたを閉じていてもとても眩しい。
おかしい。私が起きるべき時間はこんなに眩しくないはずだし、こんなジリジリ焦げるような熱さを感じたりするはずがない。
シーツにうつぶせになりながら、手を伸ばしスマホを引き寄せる。
「……え?」
時刻は9時27分。表示されている時間にピシリと固まる。セットしたはずのアラームは起動した気配すらない。
「え~~っ!」
寝室のドアがカチャリと開く。
「あ、ゆかりさん起きましたか? おはようございます。朝ごはんできてますよ。ゆかりさん大好物のフレンチトーストです」
和樹さんがスタスタとベッドに歩み寄る。ベッドに腰掛けてボサボサの頭を撫でられて、ようやく私はフリーズから解放された。
「ど、どうしよう!? 子供たちのラジオ体操!」
とんでもない寝坊をしてしまったと涙目になる私をゆるりと抱き締めながら和樹さんは穏やかに告げる。
「ラジオ体操には僕が一緒に連れていきました。あ、ゆかりさんのカード借りましたよ。ハンコも押してもらいましたから。ほら」
ラジオ体操のスタンプカードがぴらりと目の前にあらわれた。たしかに今日の日付とスタンプが確認できて、思わずハーッと大きく息を吐く。
「子供たちはそのまま夏休みの宿題一式を持って喫茶いしかわに行きました。あ、お義父さんとお話ししたら、ゆかりさんは疲れが溜まってるみたいだし今日は飛鳥ちゃんたちがお手伝いに来てくれるから、午後からのシフトはお休みに変えてくれるって」
「……ん? え? 勝手に私のシフト変えちゃった、ってことですか? 私の知らないところで?」
「あ、はい。そうなりますね」
体力の限界まで付き合わされた昨夜のことも相俟って、私の機嫌は急降下した。
私の雰囲気がピリッとしたことに気付いたらしい和樹さんが少し身構えた。
「和樹さん、ご存知ですか? 夫婦間でも合意がなければ強姦罪って成立するんですよ」
「えっ!?」
「私、昨夜は合意したり承諾したりする言葉を発した覚えがないのですけれど」
「いや、でも、それは……」
「さすがに強姦罪で訴えるのは今回はやりすぎかなと思うのでしませんが……」
あからさまにほっとする和樹さんに、私は畳み掛けた。
「毎回こんな調子で抱き潰されても困りますし、今後は同じベッドに入るのも添い寝もえっちもなしで」
「そんなっ」
この世の終わりみたいな落胆した表情になる和樹さん。でも私も怒ってるんですよ? ムッとしたままじとりと睨む。
「すみませんごめんなさい申し訳ありません! 今後はちゃんと同意をもらってからにします! できるだけ抱き潰さないようにするから、それだけは! それだけは勘弁して……」
しゅんとしながらも、そこで抱き潰しませんって宣言してくれないのが和樹さんらしいというか、あまりブレーキかかる気がしないけど……うーん。
「本当に、本っ当に気を付けてくださいね? 私のシフトを勝手に変えるのもなしですよ?」
じーっと目を見つめて念を押す。
「はい」
神妙に頷く和樹さん。甘いかなぁと思いつつ、許すことにする。ため息をひとつ。ビクリと反応する和樹さんとまっすぐ向かい合う。
「あの……ですね。和樹さんと仲良くするのは嬉しいし好きなんですけど、私は和樹さんほど体力がありません。和樹さんの元気に合わせてしまうと、その、次の日のお仕事とか、いろんな予定に支障が出てしまって、それはとても困るんです」
「はい」
「では、これで仲直りです。朝ごはんにしましょう」
すっかりしおれていた和樹さんの表情がパッと明るくなる。喜び溢れてブンブン振られる犬のしっぽが見える気がした。
和樹さんが用意してくれたのは、洋朝食だった。
焼いて香ばしくなったハムとミニトマトとレタスがたっぷりのサラダ。黒オリーブの輪切りが散らされ、レモンの酸味が効いたドレッシングがかかっている。
オニオンコンソメスープ。アクセントにセロリと人参が入っている。
和樹さんお得意のフレンチトースト。すでに蜂蜜がたっぷりかかっている。そういえば、メープルシロップ切れてたなぁ。
ヨーグルトには、ちょこんとブルーベリージャムが添えられている。
「うわ! すっごい豪華!」
思わずうっとりしてしまう。
「ゆかりさんに喜んでもらうための朝食ですから」
にこやかに告げる和樹さん。たしかに嬉しいし、とっても喜んでますけれども。
「……もしかしなくても、昨夜からこうなるのを狙っていましたね? ここに一晩漬け込むフレンチトーストが並んでいるのがその証拠です!」
どこぞの名探偵よろしく、左手を腰に当て、右手でフレンチトーストをビシリと指さし、ババーン! と決めてみると和樹さんも乗ってくれた。
「なっ、なぜバレた!」
「いつもなら、明日はフレンチトーストですよって私に予告するじゃないですか。それをしなかったのは、フレンチトーストをご機嫌とりに使うつもりだったから。なかなかの名推理でしょう?」
ふふん、と推理を披露すると、少し驚いてからニヤリとする和樹さん。
「くっ、バレてしまっては仕方ない! かくなるうえは!」
「ちょっ、ちょっと待って! それミステリじゃなくて時代劇」
顔を見合わせ、どちらからともなくぷっと吹き出した。お互いにくすくすと笑いながら席につく。
「はあ、面白かった。じゃ、食べましょうか。いただきます」
和樹さん特製の、ホテル顔負けなフレンチトーストは、いつも通り美味しくて、ふにゃんととろけた。
さっきまでの怒りや不満なんか、きれいさっぱりだ。
「うふふ。とっても美味しいです。和樹さんの朝食、最高です!」
ごめんね可愛い朝チュン書いてあげられなくて。
子供たちがいたら静かで穏やかでいつも通りの朝だったかもしれないけれど、ふたりきりでイチャイチャしたい和樹さんの執念を誰より理解している子供たちは、触らぬかm……げふんげふん、えーと、その、そう、空気を読むイイコたちなのです。
ゆかりさんも和樹さんは大好きですけど、さすがにこちらのお仕事その他の都合も考えずに抱き潰されたらいろいろ困ります。おかんむりです。なので今後のことも考えて効果覿面な釘さしを。
こういう喧嘩はおそらく何度もあったでしょう。
あ、一晩つけるフレンチトーストは、常温じゃなくて冷蔵庫の中でですよ。だから一晩隠せたのです。
(常温はさすがに、サルモネラ菌が心配すぎますから)
ゆかりさんの入浴中に漬け込んで冷蔵庫に隠して、冷蔵庫を開けさせずに水分補給させて、寝室でスキンケアとかするように誘導してから自分は烏の行水。
あとから烏の行水に気付いたゆかりさんに「せっかくのんびりお風呂に浸かれる日だったのに!」とぷんすこされるところまでが様式美。




