156 だって、あなたが好きだから
ゆかりさんと和樹さんの初デート。
「う~ん。服はこれでいいかなぁ?」
ゆかりは再び自分の姿を見る。
「和樹さんとのデ、デート。この服で大丈夫かしら?」
今日は約束の土曜日。かれこれ一時間程クローゼットの服を掻き分け服を選んでいた。吟味した上で選んだ服はデニムのジャケットにレモンイエローのワンピース。メイクもいつもより華やかさを意識した。
「……なんでこんなに服を悩んでいるのかな。私」
半ば無理矢理押しきられたデートだった。どうしてこんなにも着ていく服に悩んでいるのだろうか。
「……だって和樹さんと並ぶんだから仕方ないもの」
規格外のイケメンと二人で出掛けるのだ。適当な格好なんてできない。そう、自分に言い聞かせた。
「デートって、どこに行くのかしら」
二人で出掛けることは、たびたびあった。すべて新メニュー開発の市場調査という名目があったが。何の名目もなしに二人で出掛けたことなんてない。
「まさか三ツ星レストランに連れていかれるとかないよね? ふふっ」
喫茶店の市場調査ならまだしも、本来の和樹なら有り得るような気がする。よく見かけるスーツは明らか高級なもので、振る舞いも大人の男性のそれで、なおかつ本人はゆかりを口説くのだ。
「どうしよう!? この格好はまずい?」
けど、三ツ星レストランに行けるような服なんて持っていたっけ? 結婚式に参加する用のドレス? とか思考回路が迷走していると、ピーンポーンとインターフォンが鳴る。時計を見れば約束の時間ちょうどだ。
「ぁ……来ちゃった」
一瞬だけ、居留守を使おうかと考えたが、止めた。なんだか恐ろしい事態になるような気がする。
「……出よう」
一応準備は終わっている。もうどうなっても知らないと応答ボタンを押して画面に映る和樹の姿を見た。
「え……?」
◇ ◇ ◇
「ブランくん!」
「ワンっ!」
ゆかりが投げたフリスビーを猛ダッシュでブランが取りに行く。あっという間にゆかりの元に戻ってきた真っ白なもふもふをゆかりはなで回す。
「いい子ね。ブランくん」
「ワウっ」
「ブランは動くの大好きですからね」
そうのんびり言う和樹はジャージで腕立て伏せをしている。
何だろうか? この状況。
ゆかりは三時間前の、和樹が自宅に来たときを思い出す。
インターフォンに出るとジャージ姿の和樹が映っていた。あら? と思っていると何もいらないからマンションの玄関に来てくれと言われ、言われた通りにして、和樹の車に乗って着いたのがこの大きな公園だった。ペットと過ごす空間がコンセプトの公園で緑豊かでドッグラン等の施設も充実しており、ペットと一緒に楽しめるカフェなんかもあり、ペットを飼っている者の間で話題になっていたし、ゆかりも気になっていた。
「まさか、こんな形で来ることになるとは。楽しいからいいけど」
「ゆかりさん? どうかしました?」
「いや……えーと。和樹さん、ワンちゃん飼ってたなら教えてほしかったなと……」
和樹が犬を飼っているのは意外だった。しかも愛嬌の塊のような(今はゆかりにしっぽを振っている)可愛らしい犬。
「いやー言うタイミングがなくて……」
「それでもこんな可愛い子独り占めなんてズルいです!」
「はは。じゃあ、これから会いに来てください」
「え?」
「僕の家に来たらいつでも会えますよ?」
「ななな!?」
にっこり笑って言う和樹に思わず、頬に熱が帯びる。
そう言えばデートだったと唐突に思い出す。今の今まで、実は半分くらい忘れていた。
行く前はガチガチになっていたものの、このまったりな空気と可愛いもふもふの存在で忘れかけていた。
「ゆかりさん……デートだってこと覚えてます?」
「だって!」
「まぁ、いいです。それよりお腹すきません?」
キュルル。
和樹に言われて、素直に反応したお腹に思わずお腹を抱き抱えた。
なんてタイミングで鳴るのか。
「ゆかりさんのお腹は素直ですね。お昼にしましょうか? 僕、お弁当を作ってきたんです」
「え! 和樹さんのお弁当!」
ゆかりは目を輝かせる。これまで何度も素晴らしい料理の腕を披露してきた和樹である。間違いなく美味しいに決まっている。
「うわ~凄い!」
ゆかりは称賛の声をあげた。
木陰に移動し、出された弁当箱はなんとお重。
中からはおにぎりや手鞠寿司、唐揚げ等のお弁当のおかずの王道から肉じゃがや等も入っている。彩りも鮮やかだ。
「ふわぁ……美味しい!」
どれも味が染み込んでいる。濃すぎず、薄すぎず絶妙な味だ。
「それは良かった。ゆかりさん。好きですもんね。僕の料理」
「はい! 大好きです! だって暖かい味がしますから」
「暖かい?」
きょんとした顔をゆかりに向けている。ゆかりもきょんとした顔をして首を傾げながら口を開いた。
「はい。今まで作ってもらったおかずもお菓子もとっても暖かい味がします。きっと和樹さんが心を込めて、食べる人のことを考えて作っているからこんな素敵な味がするんですよ」
ゆかりは知っている。食材に優しく触れる手を、食材を真剣に吟味する眼差しを、相手の体調や気持ちを考えて出す前に味を調整したりする彼を。
どれも常に食べる人のことを考えていなければできない。
そんな和樹の料理はどこか優しい味がしてほっこりくる。
ゆかりはそんな彼の料理が大好きだし、その姿勢を尊敬していた。
料理は愛情って言いますもんねとまで言ってから気付く。
あれ? 何だか恥ずかしいことを言っているのでは?
それに気付くと顔に熱が集まる。
「……言ってから照れないでくれよ」
そうぽつりと言うと和樹は手で顔を覆う。手の隙間から見える肌は赤い。
「和樹さん。恥ずかしいの?」
意外だった。
和樹だったら上手い返しをいくらでもできそうだし、余裕の笑みだって浮かべていそうだ。なのに、目の前にいる男性はどう見てもそんなふうには見えない。むしろ真逆。
「当たり前ですよ! 好きな子にそんなこと言われたら! だいたい僕はこういうのは得意じゃあない」
喫茶いしかわでもゆかりさんの無自覚爆弾に耐えるの大変だったんですからとよく分からないクレームを言われる。なんのことなのかしら。
「……でも、和樹さんがお店に来るときとか、恥ずかしいことを言うじゃないですか」
こっちが炎上すると顔を真っ青にしたくなるような甘ったるいことばかりを言ってからかっていたし、今も顔を合わせば口説かれている。
「自分で言うのはいいんですよ! 全部本心を言ってるだけですから。でも人に言われるのは……」
「喫茶いしかわにいるときに、いろんな人に言い寄られていたじゃあないですか!」
「何とも思ってない人に言われても何も感じません。でもあなたは……あなたは僕の好きな人だから……」
顔を覆っていた手を外し、少し赤い顔をしてそう言われてゆかりの顔はますます赤くなる。
「……その、はい。分かりました」
「……」
「……」
妙な空気が流れる。なんだ? この甘酸っぱい空気は。
まるで学生時代に逆戻りしたかのような何ともいえない空気。
少なくともここにいるのはそんな初々しい世代の男女ではないというのに。
「和樹さん! このお、お弁当沢山作りましたね。食べきれるかな……あはは」
かなり苦し紛れなのは理解していたが、何かを喋らずにはいられなかった。
「大丈夫ですよ。ゆかりさんが食べきれなくても僕が全部食べます」
「全部!? ……でも、和樹さんなら食べれますね」
ゆかりは小さくクスリと笑う。
三段ある重箱はかなり大きく、大家族で食べてもいけそうな程だ。一瞬心配なったが、和樹が食事をしているところを思い出して納得する。
和樹はなかなかの大食いだ。喫茶いしかわでお手伝いをしてくれる時のまかないで食べるのは普通の量だが、外食の時(つまり自分のお金で食べる時)はがっつり食べる。一体この量はどこに消えてしまうのかと思うほどだ。そんな和樹なら可能だろう。
「ゆかりさん」
和樹は真っ直ぐにゆかりを見て目を細めた。
「僕はわりと外面で取り繕うのが得意なほうだと思います。でも、ゆかりさんといる時は、ちゃんと本当の『僕』でした。あなたの傍があまりにも居心地が良すぎて、途中からけっこう、いや、少なくともあなたしかいない時は本性丸出しでした」
「え?」
「仕事中はそんなこと起きないのだけど。ゆかりさん。思い出してみて、僕のキャラ、かなりブレブレだったから」
苦笑いを浮かべて和樹が言うのでゆかりは思い返してみる。
最初は爽やかだが壁を感じる人だった。だが、だんだん少しずつイメージが崩れてゆく。和樹の言動を思い返してみると、返答がぞんざいになっていったり、なかなかやんちゃだったり。
“あれ? 最初の設定どこいった?”状態だったと気付く。たしかに他の人の前ではそんなことはなかったし、徐々にだったので気付いてなかったが、なかなかのキャラ崩壊っぷりだ。
「……なかなかの崩壊ぶりですね」
「僕はゆかりさんには本性晒してたんですよ」
「ふぅん、そっか……」
「そうですよ。僕は僕でしかありませんから。貴女の前ではね」
「もうーそんなことを言って!」
「本心なんですけどね」
「まったくもう……それより、ご飯食べ終わったらあそこ行きません?」
ゆかりが指差した先はペットとのお散歩コースとして人気の屋外植物園だった。
「……いいですよ。行きましょうか」
「やった!」
「本当にどうしようもないな……」
「どうしました?」
「とことん僕はゆかりさんに弱いな思っただけです」
「何ですかーそれ!?」
二人の間に、この場所に来た時よりもずっと優しい空気が漂う。
◇ ◇ ◇
「はぁ~ん、すっごく美味しかったですね! もう、あの味、喫茶いしかわの新作メニューに活かせないかしら」
「喜んでいただけて何よりです。新作メニューについてはまた今度一緒に考えませんか? 前みたいに」
「やったぁ! 和樹さんが協力してくれるなら心強いです!」
公園内にあるカフェで早めの夕食にした。噂通りの味であった。ブランは疲れ果てたのかケージの中で熟睡している。
今は帰りの車の中だ。
「……ゆかりさん。今日、僕がこの格好で来たこと。どう思いましたか?」
「え?」
ゆかりは改めて、和樹の服装を見る。ジャージである。
「うーん、まぁ……ちょっとびっくりしました。だって今日は……」
「デートだと言いましたね。僕。たしかにこの格好はデートに向いている格好ではないです。まして初デートに着ていく服ではない」
「……和樹さん?」
「僕はね。しようと思えば、高級ブティック回ってゆかりさんの服や靴とか全身揃えて、三ツ星レストランでディナーをするみたいなデート。できるんですよ」
ゆかりが最初に思い浮かべたより恐ろしいデートプランをとさらりと言われて焦った。何だ? その漫画みたいなデート。
「ゆかりさん全部顔に書いてありますよ。本当に可愛い人だ。きっとさっき言ったようなデートもゆかりさんとなら楽しい。でも僕を知ってもらえるかって言えば、それはできないと思う。僕はこんな顔をしてるけど、中身はただのアラサー男ですから。僕の見かけから想像した僕と実際の僕とのギャップが酷いとよく言われますしね」
和樹は、自嘲気味だった顔をすっと穏やかなものにする。
「だから、さっきの公園にしました。素の僕でいられるし、このほうがあなたは安心してくれると思いました。僕の家族であるブランにも会ってほしかった。デートという意味ではそれらしい雰囲気ではあまりなかったし、以前からのおでかけに似た感じだったと思います。けれどプライベートの僕を知るには良いものだったはずです。ゆかりさん……」
いつの間にか車はゆかりの住むマンション前に着いていた。しかし降ろしてくれる気配はない。和樹はそっと手を包むように握り、真剣な眼差しをゆかりに向けた。
「僕は……僕は君が好きだ。陽射しの様に暖かい笑顔が好きだ。どんな人にも動物にも態度が変わらない君が好きだ。何事にも真摯に向き合い、取り組む姿勢が好きだ。ちょっとずれている可愛らしいところが好きだ。どんな僕もあっさり受け入れてくれる懐の広いところが好きだ。いろんな君に対する好きが重なって、君が愛おしくてたまらない。生涯ずっと傍に居て欲しいと思うほどに。だから、僕の傍にいて……僕の好意を受け入れて……」
「あ……」
今までにないほどに和樹からの愛が伝わってくる。
先日までありとあらゆる和樹からの告白を受け流してきた。でも、それができたのは和樹が喫茶いしかわでまるで挨拶をするようにさらりと言うからだ。
けど、今回は違う。これを流してはいけない。
けれど……。
私はどう思っているの? 和樹さんの事を……。
答えは見つからない。けれど何か言わなければならない。
「……私はっ」
「今は何も言わなくていい」
口を開き何かを言う前に唇に人指し指で押さえられて何も言えなくなる。
「よく考えて答えて欲しい。あと、僕の好意を言うだけだと不公平だから、僕と付き合うことがどういうことかを言っておくよ。ほぼ仕事で休みも正直あまりない。ろくにデートもできなくて、ひとり寂しい思いも悲しい思いもたくさんさせてしまうと思う。そしてこれがある意味一番難点かもしれないな。ゆかりさん……」
スッと細められた目は妖艶で、和樹の知らない顔をまた一つ知った気がした。
「僕の手を掴んだら二度と離せない。僕が死ぬまで。こんなにも一人の女性に執着したことがなくて、むしろ淡白だと思っていたのに。ゆかりさんに対してはいろんな欲望が止めどなく沸いてくる」
ゆかりの唇に降れていない方の手でゆかりの顔の輪郭を撫でる。
「独占欲、性欲……愛情と混ざり合って汚い欲望が君を僕に縛り付ける。だから、ちゃんと考えて。期限は……そうだな。次に会った時に改めて返事を聞かせて」
「次に会った時?」
「そう。いい返事を待っている」
そう言うとゆかりの広いおでこにチュッと口付けた。
「今日はゆっくりお休みください。ゆかりさん。良い夢を」
車の扉が開く。
微笑む和樹には先程の雰囲気はなく、いつも通りの和樹だった。
「おや……すみなさい」
去っていく車を眺めながらゆかりは自分の額に触れた。
「どうしよう」
和樹と次に会うまでにちゃんとした答えを出すことなどできるのだろうか?
和樹さんてば、こんなん言うて、ゆかりさんを離す気なんか毛頭ないくせにー(苦笑)
てか無理でしょそんなん。
ゆかりさん、次回のデートで色よいお返事を聞いてご機嫌マックスな和樹さんに聞いてみました。
「ちなみにですけど、私がお断りしたらどうしてたんですか?」
「え? お断りなんかさせるわけないじゃないですか。何度でも説得しますよ。でも、ゆかりさんが納得して自分から飛び込んできてくれるに越したことはないですからね」
「……(汗)」




