152 不機嫌さんへのお詫びは
同棲から一ヶ月ほど過ぎた頃のゆかりさんと和樹さんのおはなし。
「この事件の犯人はですね……」
「ちょっと待って、ちょっと待って!」
この大きな部屋に相応しい、大きな大きなテレビは一体何インチあるんだろう。そんなことを考えながら、録り溜めていたドラマを見ていた深夜零時。
今夜も、和樹さんは帰ってこない。
この部屋に来て、早いものでもう一ヶ月。和樹さんと暮らし始めて一ヶ月。
この広い家にも、時々ふらりと疲れた顔で帰ってくる家主にも大分慣れてきた。まあ、ほぼほぼブランくんとのふたり暮らしが現状だ。
そんな中、家賃を払うと言っても断られ。ならば半分でもと言うと、分譲なのでいらないと断られ。せめて水道光熱費だけはと申し出ても当然断られ。
でも、そんなに迷惑はかけられない、払わせてもらえないならここには住めないと言えば、和樹さんは渋々受け取ってくれた。もの凄く嫌そうな顔をしてはいたけど。
水道光熱費なんて、ほとんど帰ってこない和樹さんだけなら微微たるもののはずで。九割方は私のものなのに全部払ってもらうなんて、なんか嫌だ。
「和樹さん、いつ帰ってくるんだろうねぇ」
隣にいるブランくんを撫でながら呟いた言葉は、テレビの音に消え入って、その答えは返ってこないはずだった。
「あれ、ゆかりさんまだ起きてたんですか?」
「わ! 和樹さん!?」
後ろから聞こえた声に、驚いて振り返るとそこにはこの家の家主が立って居た。
びっくりしたぁ。物音一つ、足音一つしなかった。仕事柄なのかな。なんだか……。
「忍者みたい」
「ゆかりさん寝てるかと思ったので、忍び足してみました」
「え?」
「心の声、漏れてますよ」
「あらら」
心の中で呟いたはずの声を口に出してしまっていたらしい。これは多々あることで、たびたび彼にツッコまれることのひとつ。
和樹さんが上着を脱ごうとしていたので、慌てて受け取ろうと立ち上がりかけるとにこやかな表情で制された。
「明日はお休み?」
「はい! なので今夜は絶賛夜更かし中です。和樹さん、ごはんは?」
「食べてきたので大丈夫です」
急に彼の体温を近くで感じたのは、シャツの一番上のボタンを外してネクタイを緩めながらソファの隣へと体を沈めたから。
ミシリ、と彼の体重でソファが軋んだ。その距離に一瞬ドキリと胸が高鳴って、体温が上がったのはなんでだろう。
「刑事ドラマ?」
「はい。三時間の長編ミステリーで、すっごく楽しみにしてたんです! うふふ」
「へえ。あ、この四人が容疑者なんですね?」
「そうなんですよ。殺された被害者と四人は大学の同級生で、被害者の結婚式で久しぶりに再会した時に殺人事件が起きちゃって。でも、四人ともにアリバイがあるんですよね」
誰が犯人なのかまったく分からなくて、と漏らすと鋭い目になった彼は
「事件の概要は?」
と聞いてきた。
「なるほど」
「まあ、あと一時間半はありますから。ゆっくり見てれば……」
「この女性が犯人ですね。彼女の証言にはいくつもの矛盾がある」
「え?」
和樹さんの先には、画面に映る最近話題の若手女優。彼女は被害者の親友で、殺されたときにもの凄く取り乱して悲しんでいたから、絶対に犯人じゃないと最初に私が容疑者から除外した人。
彼の言葉に呆然となる。
「どうして……」
「動機としては、痴情のもつれというところでしょうね。被害者と彼女はきっと大学生のころ……」
「どうして言っちゃうんですか!?」
彼の得意げな表情は嫌いじゃない。むしろあの自信に満ち溢れた目も生き生きとした口調も好きだ。
だけど。
「もう知りません!」
今は話が違う。
ソファーの端に小さくなり、膝を抱えてそっぽを向く。自分でも呆れるくらいに、ふくれっ面をしてる自覚はあった。
「楽しみにしてたのに……」
犯人を言ってしまうなんて、あんまりじゃないか。
どのくらい時間が経っただろうか。拗ねる私なんて無視して、ドラマはどんどんと進んでいく。
さっきまでは体温を感じるほど近くにいたのに、今は人ひとり分くらいは間隔が空いていて和樹さんがどんな表情をしているのかは分からない。
彼は優しい人だから、きっと困ってるのは間違いないと思う。
まだまだ腹の虫は治りそうにはないけど、和樹さんだって悪気があったわけじゃないんだし、と態度を改めようとしたとき。
ガチャ。
「え…?」
玄関から聞こえた扉が閉まる音。
悪い予感がして、勢いよく顔を上げ隣を見ると、つい先程まで隣に座っていたはずの彼の姿がなかった。
え、もしかして和樹さん出て行っちゃったの? 私がくだらないことで怒ったりしたから?
うわぁ、どうしよう。
状況を把握してしまうと、もう冷や汗が止まらない。
どうしよう、どうしよう……。
ここは彼の家で、彼は仕事でかなり疲れていて。久しぶりに帰って来られたはずなのに、ただの居候同然の私がくだらないことで拗ねて……。
ああ、私ったらなんて恥知らずな女なんだろう。
和樹さんだって、わざと犯人を言ったわけでもないのに。むしろ、私が『犯人が分からない』て嘆いたから答えてくれたのに。
取り敢えず電話してみようとスマホを手に取ろうとしたとき。
ガチャ。
本日二度目の心臓に悪い音が鳴り響く。
「和樹さん、あの……」
静かにリビングに入ってきた彼は俯いていて、その表情は伺えない。
と、とにかく謝らなくては。土下座? 土下座した方がいいの?
「すみませんでした、ゆかりさん」
「え?」
土下座をするべきかと狼狽えていると、和樹さんが勢いよく頭を下げた。
「このドラマをゆかりさんが楽しみにしてたって知っていたのに、犯人を言ってしまうなんて」
「あ、頭上げてください! 私こそこんなことで嫌な態度を取ってしまってごめんなさい」
和樹さんに倣って私も頭を下げる。
あれ、コンビニの袋? もしかして和樹さん、コンビニに行ってたの? でもなんで?
「やっぱり和樹さん、お腹空いてたのかしら?」
「ゆかりさん……また心の声が漏れてますよ」
「へ?」
「これはゆかりさんに。お詫びの品です」
そう言ってテーブルに置かれたのは、コンビニの焼きプリン。それは、コンビニに行ったら私がいつも買うもの。
「わあ! 私、甘いものの中で一番焼きプリンが好きなんです!」
「それは良かった。これで許してもらえます?」
弱気な声で申し訳なさそうにそう聞く彼は、かなりレアだ。
「うーん、どうしようかな」
だから、ちょっとだけ調子に乗ってみる。だって、こんな機会そうそうないし。
『え!?』と私の返答が予想外だったらしい彼の驚いた声を後ろで聴きつつ、冷蔵庫から缶ビールを2本取り出す。そして、キンキンに冷えたビールの一本を和樹さんに差し出した。
もうひとつの『お詫び』は。
「じゃあ、このドラマ見終わるまで付き合ってください。和樹さんの推理が合っているか一緒に確かめましょう?」
「かしこまりました」
笑顔でビールを受け取った和樹さんは、ソファーに座るとすぐにプルタブを上げビールを煽った。
ごくごくと上下する喉仏に、つい目がいってしまう。
って、いけない、いけない! 画面へと集中しなくては。目を逸らし、もう一度ドラマに集中する。
横に居る名探偵さんと一緒に、犯人を確かめないといけないから。
まあ結局、彼の推理は一ミリのずれもなく正解しているのだけど。
◇ ◇ ◇
突然感じた肩の重みに、今まで神経を注いでいた画面から目を逸らす。
重みの方に目をやると、やっぱりその正体は彼女で。
先程までテレビに集中していたはずのゆかりさんは、今やすやすやと寝息を立てている。しかも俺の肩の上で。
眠くなるのも当たり前だ。犯人の分かったミステリーなんて退屈に決まってる。
『このドラマ楽しみにしてんたんです!』と満面の笑みで言っていた彼女に、犯人をつい言ってしまい怒らせた。しかも、最終的に物で釣ろうなんて、安易すぎるな。彼女の心が広くて良かった。
見下ろすと長い睫毛が、少し赤らんだ頬が目に入る。
あまりこの距離はよろしくないな……。
そう思いつつも、肩から退ける気にはなれなくて。
熱を下げるように、彼女の飲みかけのビールを煽った。
この時期のゆかりさんの意識は、まだわりと居候感覚というか、いちゃらぶな恋人同士にシフトしきれていない感じですね。
でも、こういう「間違ってるわけじゃないけど、こっちが求めてる答えはそれじゃない」的な怒らせ方って、それなりに聞くよなぁと。




