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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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149-2 おもいひとひら(中編)

「あれ、ゆかり? お花見だったんじゃないの?」

 カウンターの中からマスターが声をかけると、テーブル席についていた美紗とその兄も振り返った。


 日曜日の喫茶いしかわは、平日のランチ時よりは少し緩やかになるものの、回転率は逆に下がるので、テーブル席はほぼ満席だった。カウンターも三人ほど座っている。

 ゆかりは、自分の家に帰ってきたような安心感に包まれて、こわばっていた肩の力を抜いた。


 いつも笑顔の看板娘の青ざめた顔に、何があったのかと心配そうにマスターは問うた。

「ちょっと色々ありまして。和樹さんからいいタイミングでメール貰ったので、これ幸いと抜けて来ちゃいました」

「ああ、例のアレ、ね。ゆかりから秒速の返事が届いたってビックリしてたよ」

 今、大島のおばあちゃまのところへの出前を引き受けてくれたから不在なんだけど、とマスターが言った。


「私もちょうどよかったんですよ~」

「ねえねえゆかりさん、何があったの? それ、今日のお弁当でしょ? 重そうだけど食べてないの? 中止になっちゃったの?」

 美紗がゆかりが持ったままの保冷バッグを指さして言った。

「うーん、実はね……」

 ゆかりは美紗の隣に座ってさっきまでの出来事をかいつまんで話した。



「なにそれ、ひっどーい!」

 家事を取り仕切る美紗には、自分の作った食べ物を理不尽に貶されるなんて想像するだけで腹立たしい。

「ホントに酷いし、わけわかんないねその勝手についてきた男の人たち」

 昼食を食べ終わったテーブルの上には、マスターの許可のもと、ゆかりのお重がひろげられていた。


 四段重ねのお重の一段目のいなり寿司はいくつか食べられているものの、二段目はそのまま手付かずだ。三段目は若竹煮、四段目はだし巻き卵がこれもほとんど手つかずで残っている。

 あの男だけが文句をつけながら食べていて、ゆかりを含めて他の子は持ち寄った別の料理にも手を伸ばせずにいたのだ。


「だって、このお稲荷さんすごく美味しい!」

「うん、塩梅も揚げとのバランスもいいし、これをまずいって相当なバカ舌じゃないかそいつ」

 それぞれ一つずつ摘まんで、美紗とその兄は感想を言い合った。

「ありがとうございます。味の好き嫌いはあると思うので別にいいんですけど、あれだけ執拗に言われたのがなんだか怖くなっちゃって」


 最初は困惑しただけだった。

 それから悔しくなって、最後には怖くなった。

 悪意を向けられたり危ない目に遭ったりしたことがないわけではないけれど、理由がわからず攻撃されるというのはまた別種の怖さがあった。

「ネットに影響された女叩き野郎か、勘違い野郎ってところかねえ。情けねえ」

「ほんとに災難だったね」

 美紗の兄はカウンターに移って、マスターのコーヒーを飲みながら嘆いた。


「ねえ、ゆかりさん。この若竹煮すごく上品で美味しいんだけど、どうすればこうなるの?」

「筍は下拵えがちゃんとしてあれば、アクのない優しい味になるの。いただいた筍、全部湯掻いてあるから明日喫茶いしかわ(おみせ)に来てくれたらお裾分けするね。うちの兄の好物なんだけど、豚肉と味噌で炒めても美味しいわよ。すごくご飯がすすむの」

「それおいしそう! やってみる!」


「それはそれとして……このいなり寿司も本当に美味しいわ。さっき食べたオムライスでお腹はいっぱいなのに、それでも食べたくなっちゃうのよねぇ」

 と悩ましげな表情でもうひとつ……と美紗が手を伸ばそうとしたとき、カランと扉のベルが鳴った。


「おかえりなさい、和樹さん」

「はい、ただいま戻りました……ってゆかりさん? え、まさか僕のメールが呼び出しだと思って帰ってきてしまったんですか?」

 自分のメールのせいでゆかりが楽しみにしていた花見から帰ってきたのかと、珍しく慌てた様子の和樹に、ゆかりは「違う違う」と手を振った。それでも心配そうな和樹に、美紗が説明する。


「急に参加した男の人が、ゆかりさん手作りのお稲荷さんをまずいって言い出して、他にも色々ひどいこと言ったんですって。ゆかりさんのお稲荷さん、すごく美味しいのに、ひどいよね」

「どういうことです? 詳しく話してください」

 眉間にしわを寄せた和樹に詰め寄られて、ゆかりは仕方なくもう一度、同じ話を繰り返した。


「まあそういうわけで、和樹さんのメールは抜け出すいいきっかけになりまして、逆にありがたかったです。助かりました」

「いえ……それにしてもひどい男ですね。そんな男のことは気にしない方がいいですが、話を聞く限り粘着質な奴かもしれません。しばらく用心した方がいいですよゆかりさん」

「でも、あっちは私のこと何も知らないですよ?」

「喫茶いしかわに務めていることは言ったんでしょう?」

「あ……」

 簡単な自己紹介の時に、宣伝を兼ねて喫茶いしかわに務めていると話していた。和樹に問われて、相手の名前は思い出せたが、勤め先などは言っていなかった気がする。


 ふむ、と和樹は考え込んだ。

「しばらくはゆかりさんが一人にならないようにシフトを組んだ方がいいかもしれません、マスター」

「そうだねえ、ちょっとシフトを組み直そうか」

「ええっ! そんなご迷惑かけられません、大丈夫ですよ」

 マスターを止めようと立ち上がるゆかりの肩を和樹が上から抑える。

「大丈夫じゃありませんよ、ゆかりさん。脅すつもりはありませんが、初対面の女性にそんなことをする男は何をしでかすかわからないんですから」


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