144 こどもと取り合い
数年前の、息子くんの反抗期っぽいもの。
今日は朝から快晴で洗濯物もすぐに乾いてしまいそうだ。そんな気持ちのいい日に、和樹は久しぶりに休暇をとれた。
「もぉ、せっかくの休みなんだから和樹さんはゆっくりしてればいいのに」
チラッと言われた方向を見る。ベランダで洗濯物を干す僕に呆れ気味で言うのは愛する妻のゆかり。
「いいんですよ。いつもゆかりさんに任せてばかりだから、こういう時くらい僕に任せてよ」
「本当に優しいんだからぁ。でも、ありがとう」
彼女は満面の笑みを向け部屋に戻っていく。
普段、彼女には家の事をすべて任せている。だからこそ、たまに取れる休暇は彼女が少しでも休めるように率先して家事をやる。半分は彼女のあの笑顔が見たいってのもあるけど。
「あ、和樹さん洗濯物干しお疲れさまです! ご飯できてますよ」
リビングに戻るとダイニングテーブルには大好きな和食が用意されていた。
「今日も美味しそうだね」
「はやくすわってよ、おとうさん」
テーブルに並ぶごはんを眺めているところ、先に席に着いていた彼が言う。
「はいはい」
「はいはいっかい。まえにおとうさんがそういったでしょ」
相変わらず生意気だな、僕にだけ。
生意気に注意をする彼。
僕と彼女が愛してやまない息子だ。まだ小学校にも行っていないのに両親も驚くほどしっかりしている。
「いただきます」
僕と妻と娘と息子、四人で手を合わせ食べ始める。
彼は妻の隣に座り、時折「おいしい」と彼女に笑顔を向けながら食べている。
「今日は保育園はお休み、和樹さんもお休み、喫茶いしかわも定休日。久しぶりに四人で過ごせますね」
僕と子供たちを交互に見ながら彼女は嬉しそうにしている。あー可愛いなぁ、なんて思っていたところで生意気な彼は雰囲気を壊す。
「ぼくはおかあさんとふたりだけでもよかったけどね」
彼女の腕をぎゅっと掴み、羨ましいだろうと言わんばかりにこちらを見る。
「そんなこと言わないの」
腕を掴む息子の頭を優しく撫でる彼女はもう立派な母親だ。撫でられた息子も嬉しそうにしているのがよく分かる。
息子は彼女のことが大好きだ。
四歳になる前までは僕にも「おとうさんだいすき!」なんて抱きついてきたけど、今はめっきりそんなこともなくなった。
あの頃は、家に帰れる日がほとんどなく、帰れても彼が眠りについてる夜中。そして、息子が目を覚ます前にまた仕事という生活を送っていた。たまの休みでも疲れていて一緒に遊ぶ余裕もなかった。
そのおかげで母親にべったりとなり、今では大好きなお母さんの夫である僕に対して敵対心を持つようになった。
でも、僕にうりふたつとかミニ和樹と言われながらも彼女とそっくりな雰囲気も併せ持つ彼だから、敵を見るような目をされてもただ可愛いとしか思えない。性格は……とてつもなく僕に似ているが。
生活にも余裕が出てきた時には、僕にくっついてきたり甘えてきたりすることがなくなっていた。
寂しい思いをさせてしまって、幼いながら僕のことを恨んでいるのかもしれない。全部、自分が悪いことは分かっていた。
「そうだ! 今日はお弁当でも持って公園にでも行きましょ」 「公園でいいの? どこか行きたい所があるなら連れていきますよ? 車あるし普段行けないところとか」
「いーの、いーの。のんびりと過ごすだけで幸せだから」
きっと疲れさせないようにと僕への彼女なりの気遣いだ。彼女の優しさは本当にありがたい。
「ならお弁当は僕が作るよ。何がいいかな?」
「うーん」
人差し指を顎に当て考える彼女に隣の息子はすかさずそれを提案してきた。
「ハムサンド」
「そうね! たまには和樹さんが作るハムサンドがいいな」
そういえば久しく自分でハムサンドを作ってないな。
「わかりました、ハムサンドに決定ですね」
「やったね」
「わぁい」
息子と、続いて娘とハイタッチをしながら彼女は喜んだ。子供たちもまたニコニコと彼女とはしゃいでいる。
幸せな光景だな、と思いながら梅昆布茶を啜った。
朝食を終えると、部屋の掃除やトイレ掃除を済ませた。
キッチンに立ちハムサンドを作っているのだが、さっきからずっと下の方から熱い視線を送られている。
「ずっと見てるけどどうしたのかな?」
いったん手を止めて視線を送る主を見る。
「べつに。ただみてるだけだよ」
「そっか」
再び手を動かしながら、息子と会話を続ける。
「お母さんから聞いたけど料理のお手伝いしてるんだって? 偉いなぁ」
「あのこ私がキッチンでご飯作ってると傍に来て手伝ってくれるのよ。野菜を洗ったり簡単な事だけどね。最近は一緒にハムサンドも作るのよ」
と、以前彼女が嬉しそうに話をしたことがあった。
「それに買い物行ったときに荷物持ったり、洗濯物畳んだり、とにかくたくさんお手伝いしてくれるって。本当に偉いな」
「おとうさんの……」
「ん? 僕の?」
息子を見ると何か言いたそうにもじもじとしていたが、首を横に振って言いかけた言葉を飲み込んだ。
「なんでもない。おかあさんがわらってくれるからしてるだけだもん」
「じゃあ、僕と同じだね。お母さんのことが大好きなんだな」
「うん! ぼく、おおきくなったら、おかあさんとけっこんするんだ!」
普段しっかりしていてもやっぱり子供なんだな。目をキラキラとさせ笑顔で息子は夢を口にする。その顔は彼女そっくりだ。
「残念、お母さんと結婚はできないよ」
「どうして? おかあさんだって、ぼくのことだいすきだよ!」
息子の言葉を聞いて、ははっと笑い彼と同じ視線になるようにしゃがむ。
「お母さんは僕と結婚して、僕の奥さんだからだよ」
少し意地悪な笑いを浮かべ、頭をポンポンと撫でるが息子は頬を膨らませている。
こども相手に少し大人げなかったかな。
「おとうさんにはまけないからな!」
少し大きな声で捨て台詞をはき、走ってキッチンから出て行く。それと入れ替わりで彼女がやって来た。
「和樹さん」
「あれ、聞いてたんですか?」
「こども相手に大人げないです」
「はは。でもゆかりさんは僕の奥さんでしょ?」
彼女の耳元で囁くように呟くと、彼女は耳を赤く染める。
本当に僕の奥さんは可愛いな。
「ゆかりさん可愛い」
「もぅ、早くサンドイッチ作って出発しますよ」
「はい」
照れてキッチンから足早に去っていく彼女の横顔は口角が上がり嬉しそうだった。
公園に着き、陽当たりのいい場所にレジャーシートを広げる。
妻と子供たちは仲良くバドミントンをしていて、その光景をシートに座りながら眺める。
気持ちのいい天気に幸せな光景、日頃の忙しさを忘れてしまいそうなくらいゆったりと時間が流れた。
時刻も正午を迎え、昼食にすることにした。
ハムサンドを一口食べ彼女はとても美味しそうに、そして幸せそうに食べる。
昔から変わらない彼女のその表情を見て、自然と笑みがこぼれる。
「んー、美味しい」
「おいしいね、おかあさん」
「ちがう!」
にこやかにハムサンドを食べる彼女たちの声をかき消すような声で息子は言った。その声に僕と彼女たちは目を丸くする。
「ぼくがつくったハムサンドをたべたときと、おとうさんがつくったハムサンドをたべたときのおかあさんのかおがちがう!」
そう言うと手に持つハムサンドを一口食べる。
「あじもちがう。おとうさんがつくるほうがおいしい」
「うん。おとうさんのがいちばんおいしい」
「そうねぇ。私たちが作るハムサンドと和樹さんが作るハムサンド、味が違う気がするような……」
「ふふっ。大好きな三人に美味しいって言ってもらえて嬉しいな」
「どうして? さっきみてたけど、ぼくとおなじつくりかただった。ぼくがみてないところでなにか、かくしあじをいれたの?」
「でも、隠し味ってお味噌だけじゃなかったかしら」
なるほど。だから息子はあんなに熱い視線でこちらを見ていたのか。
「んー、それは秘密かな」
「いじわる! じゃあぼくとかけっこしてしょうぶだ! ぼくがかったらかくしあじおしえてよね」
「ははは。いいよ」
お昼を食べ終えると、小さな息子と隠し味の秘密をかけた勝負が始まった。
「和樹さん、大人げないです」
娘の手を引きながら隣を歩く彼女から本日二度目の言葉をいただく。
「こども相手にかけっこで本気出すなんて」
そう、彼女の言うとおり先程の勝負は本気をだして息子を負かした。何度も彼は「もういっかい!」と粘っていたが、何度やっても結果は同じだった。
「勝負は勝負ですから」
「和樹さんらしい。たくさん走ってさすがに疲れちゃったみたいね」
僕の背中の方に視線をずらし彼女は愛しそうに息子を見る。
何度も何度も走ったおかげで帰る頃にはシートの上でウトウトしていたので、背中におぶるとすぐに息子は熟睡してしまった。
「重くなったな」
前におんぶしたのはいつだっけ。いつの間にかこんなに重くなって……。
「この子、和樹さんの前では照れてツンツンしちゃうんですよ」 「え?」
意味がわからず少し大きな声を出してしまい、すぐに彼女が「起きちゃう」とシーっとポーズをとる。
「前に聞いたことがあるの。どうしてお父さんにはツンツンするの? って。そしたら、和樹さん忙しすぎてなかなか顔を合わせられなかった時期があったでしょ? 会えない時が多かったから、どうやってお父さんに甘えてたか忘れちゃった。恥ずかしくて無理って言ってたの」
「やっぱり寂しい思いをさせていたのかな」
「そうですね、寂しいって泣くことが多かったです。お仕事なんて辞めてほしいとも言ってましたから」
分かってはいたけどズキッと胸が痛む。
「その度に、お父さんは私たちが平和に幸せに暮らせるように頑張ってるんだよって言い聞かせてたんです。真弓ちゃんはわかってくれてたので、“おとうさんがんばってね”って、お手紙書いてくれてたでしょう?」
「うん。あれは嬉しかったな。すごく頑張れた。ありがとな、真弓」
少ししゃがんで、自分の足で歩く娘の頭を撫でてやると、彼女はくすぐったそうに嬉しそうに笑った。妻にそっくりの表情だ。
きっと妻も大変だったと思う。一人で泣いてばかりの息子を宥めたり、まだまだ幼い彼に言い聞かせたり。
今のことだって今日聞くまでまったく知らなかった。きっと彼女は、言ったら当時の僕が気にしてしまうのをわかってて言わなかったんだ。彼女の優しさには本当に頭が上がらない。
「でもある日二人で買い物に行った時、実は和樹さんをお見かけしたんです。遠くだったので和樹さんも気付いてなかったし、長田さんと話をされていて、急に走ってどこか行っちゃったんですけどね」
「……全然知らなかった」
「私自身も和樹さんが働いてるところを初めて見たから、かっこいいねって口に出しちゃったんです。そしたらこの子、お父さんが見たことない顔してた、すごいかっこいい! って興奮気味に言ったの」
彼女はニコニコと嬉しそうに話す。
「ふふ。次の日から急にお父さんお仕事頑張ってるかな、疲れてないかなって言い出したんですよ。あれだけ泣いてたのが嘘みたいに。ーーねぇ、和樹さん」
彼女は名前を呼び僕の顔を除き混む。彼女の綺麗な瞳に吸い込まれそうだ。
「何ですか?」
「この子の夢知ってますか?」
「夢? ……ゆかりさんと結婚?」
今朝の彼の姿が浮かぶ。
すると彼女はクスクスと笑い僕を見た。
「それは確かによく言ってます。あのね、この子和樹さんみたいになりたいみたい」
優しく微笑む彼女に僕は目を丸くした。驚く僕を見て彼女はまたクスクス笑う。
「お絵描き帳の中見たことあります?」
「いえ。描いてるところに近付くといつも隠されてしまって」
息子はいつも僕が近くに行くとお絵描き帳を閉じてしまう。だから僕には見られたくないのかなって思っていた。
「ふふ。恥ずかしいのね。だって和樹さんばかり描いてるんだもん。働いてる姿の和樹さんばーっかり。隣にはこの子自身も描かれてて、和樹さんと一緒に走ったりお仕事したりしてるんですよ。僕もお父さんみたいになるんだって言って、いつも描いた画を見せてくれるの」
嬉しくて言葉が出なかった。
普段そんな様子を一切見せないのに、寂しい思いをたくさんさせたのに。
黙ってしまう僕に彼女は優しく微笑んでいた。
「お手伝いしだしたのも和樹さんの影響ですよ。和樹さんの真似したら少しでも和樹さんみたいになれるって思ってるみたい。前に、お父さんに似て優しいって褒めたらとても喜んだんです」
そういえば、今朝何かを言いかけていた。そうか、あれは「お父さんの真似をしてる」って言いたかったのか。
「寂しい思いばかりさせたから、僕のことは嫌いなのかと思ってました」
「それはないですよ。この子は尊敬する父親の背中を見て日々成長中です。照れてツンツンしちゃうけど、お父さんが大好きなんですよ」
「父親の背中か」
「はい。だからこれからもこの子にとって世界で一番かっこいい父親でいてください」
「頑張らせていただきます」
「ふふ。頑張らなくてもいいんですけどね。だって和樹さんは今だって、子供たちにとっていいお父さんで、私にとっていい旦那さんだもの」
笑顔で彼女は言う。この笑顔が本当に大好きだ。
「おと、うさん、だいすき」
背中から息子の寝言が聞こえる。僕と彼女は目を合わせ笑った。
「むぅぅ……おとうさんもおかあさんも、すすむばっかり~」
唇を尖らせて拗ねながら見上げてきた娘がとてつもなく可愛い。思わずくすりと笑い、しゃがんで目線を合わせる。
「進のおんぶ、おかあさんには大変だから、家に帰ってから一緒に遊ぼうか」
「うん……あのね、あそぶのもいいけど、おとうさんといっしょにごはんつくりたい」
「いいよ。今日の晩ごはんは一緒に作ろう。なにがいいかな」
「ハンバーグ!」
「ゆかりさん、いいですか?」
「もちろんいいですよ。ハンバーグは真弓ちゃんに任せた! 私はその間にお風呂の用意とかしておこうかな」
「あ、そういえば、ハムサンドの隠し味って何なんです?」
「それはゆかりさんにも秘密です」
「えー、和樹さんの意地悪」
特別な調味料なんて入れていない。
だって僕が入れる隠し味は“愛情”だから。
横で笑う愛する妻と、妻に手を引かれながら「ハンバーグ♪ ハンバーグ♪」とわくわくした表情をしている娘と、背中で寝息を立てる愛する息子、三人へのね。
「あ、ちなみにこの子、和樹さんみたいになれば私とも結婚できると思ってますよ。和樹さんは尊敬する相手でもあり恋のライバルでもあるようです」
「僕は相手が誰であろうと負けませんよ」
「……和樹さん大人げないですもんね」
彼女から本日三度目の言葉をいただいた。
ふふふ、結局はゆかりさんの取り合いでございました。
ちなみに娘ちゃんのほうは息子くんよりもうちょっとだけ現実(お母さんが大好きすぎるお父さんの姿)が見えてます。
私の身近には、そんなことを言い出すこどもが存在したことなかったのですが、実際どのくらいいるんでしょうね。




