142 しまう、しまわない
ひなまつり。
石川家では、例年通り、ゆかりから真弓に受け継がれた七段の立派な雛人形が飾られている。喫茶いしかわの和室に。
当日限りのメニュー・ひな祭りセットは、ちらし寿司に白酒、蛤のお吸い物。そのままテイクアウトもできるように包みになったひなあられがついている。
真弓は遊びに来たお友達と一緒に、常連マダムたちにひなあられを分けてもらいながら、身振り手振りを交えて楽しそうにおしゃべりしている。
微笑ましそうにそれを眺めているゆかりが話しかける。
「真弓ちゃん、とっても楽しそうねぇ」
「うん! えっとね、おねえさんたちと、じょしかいやってるの!」
「そっか。あとでお母さんも混ぜてね」
「もちろん!」
フロアからカウンターに戻ると、進から声をかけられた。
「おかあさん、これおいしい」
「あら、お口に合って良かったわ」
「またつくってね!」
「いいわよ。また作るからいっぱい食べてね」
唇の端にごはんつぶをつけながら、満足そうにしている進。そのごはんつぶを、隣の和樹が摘まんで食べてしまった。その様子をマスター夫妻が嬉しそうに見ている。
喫茶いしかわのちらし寿司は、戻した干し椎茸とれんこんと油揚げを刻んでだしで煮たものを、米酢とレモン汁を合わせたすし酢とともに寿司飯に混ぜ込んだものだ。
それを椀でドーム型に成形し、錦糸卵と細切りの絹さや、細切りした焼き海苔とゆでたむきえびを乗せている。
子供たちや甘いもの好きなお客さまには、ご希望で桜でんぶをちらす。
お店では大量に作るためシンプルかつ満足感のある味付けということでこうなっているが、自宅で作るときはサーモンやいくら、かにかまぼこをはじめ、具材が増えることになる。
そしてよほどのことがない限り、和樹が張り切ってちらし寿司作りに参加してくるだろう。いや、あるいはちらし寿司に合わせる春野菜の天ぷらを作りたがるかもしれない。
そういうときは、「ついでですから」「今日は僕が使ったので、たまには」「高いところは僕のほうが得意です」と言いながら、レンジフードの掃除をかって出てくれるのだ。
結婚当初は恐縮していたものだが、今はすっかり甘えることに慣れてしまった。
「さすが和樹さん! 私がやるよりピカピカです!」
そう言って大喜びして、お礼でぎゅうっとハグすると、本当に満足そうにするのだ。まあ、たまに、ご褒美と称して寝室で仲良くするお約束を強めの圧でねだられるけれど。ん? あれ? たまにじゃなくてほとんど……かな?
衝撃の事実に気付いたゆかりがチラリと和樹を見ると、ちらし寿司には天ぷらが合うよなぁと呟きながら、唇の端をにいっとつり上げている。ひいっ! ……見なかったことにしよう。うん、そうしよう。
夕方、真弓のお友達が帰ってから、ちょっとだけ時間をもらって、テラス席に出て家族で写真を撮る。
真弓のリクエストで、和樹とゆかりが椅子に座り、その前に真弓と進がしゃがみ、真ん中にしっぽをぱたぱた振る愛犬がちょこんと座る。
梢がカメラマンだ。
撮り終わると真弓はマスターの手を引っ張って連れてくる。
「お父さんとお母さんは、おじいちゃんとおばあちゃんと交代ね」
「僕が撮りましょう。ゆかりさんは先に戻ってください」
ゆかりが店内に戻ると、和樹の「撮りますよー」という声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
閉店後、和室で眠ってしまった真弓と進にブランケットをかけ、大人たちによる後片付けが行なわれていた。
マスターが喫茶店を、残る三人が雛人形を片付けていく。
「……今年は真弓ちゃん、泣かずに済むかしら?」
「うーん、大丈夫だと思いますけど」
「ふふふ。四、五歳の頃は大変でしたからねぇ。おひなさまがいなくなった~! って大泣きして」
「あら、ゆかりだって同じ理由でわんわん泣いてたわよ? さすが親子だと思ったわ」
くすくす笑いながら梢に指摘され、ちょっと恥ずかしそうにするゆかり。
「ああ、その可愛いゆかりさん、見たかったです」
「ふふっ、ごめんなさいね。当時はスマホもビデオカメラもなかったから」
「……なくて良かった」
ふと、和樹が今気付いたように訊ねる。
「もしかして石川家では、ゆかりさんが小さいときから雛人形を当日中に片付けてたんですか?」
梢が穏やかに答える。
「ええ。いき遅れたら困るでしょ? ふふっ。どうせ迷信だとは思っても、やっぱり気にしちゃうのよねぇ」
店じまいを終えたマスターがふらりと和室にやってくる。
「効果はあったんじゃないかなぁ。あんなに恋愛音痴だったゆかりが和樹くんと早めに結婚できたくらいだし」
「ちょっとお父さん! 恋愛音痴ってひどい!」
「あれ? 違ったかい?」
「……違わないけど」
「なるほど、僕がゆかりさんと結婚できたのは、お義父さんとお義母さんのご協力のおかげだったんですね。ありがとうございます。ゆかりさんと結婚できて、可愛い子供にも恵まれて、僕はずっとゆかりさんに幸せにしてもらってます」
折り目正しく頭を下げる和樹。
「和樹さん……」
「ゆかりさん……」
ほんのり頬を染めて嬉し恥ずかしな反応をするゆかりを、眼差しに愛しさを乗せて見つめる和樹。
「あらあら、お熱いこと。ほほほ」
「和樹くん、お邪魔するようですまないが、この骨組みを片付けて天袋にしまうのだけ手伝ってくれるかい?」
「もちろんです」
「あ、子供たちは、もう少し部屋の隅に……」
「いや、万が一でも骨組みが当たったり片付ける途中で踏んでしまったりしたら大変なので、先に車に乗せてしまいましょう。ゆかりさん、車で子供たちを見ててくれませんか?」
「はい、わかりました」
◇ ◇ ◇
翌朝、真弓はちょっぴり寂しそうではあったものの、昨日の写真を見て寂しさをまぎらわせているらしく、何度も何度も見返している。
和樹は、朝ごはんを食べながら聞いてみた。
「昨日の写真、そんなに気に入ったのかい?」
「うん。あのね、おかあさんとおばあちゃんがおひなさまで、おとうさんとおじいちゃんがおだいりさまで、わたしとすすむとぶらんは、さんにんかんじょなの」
「ああ、なるほど。僕らは雛人形になってたのか」
「……ぼく、おんなのこじゃないのに! ぶらんもだよ!」
初めて真弓の思惑を知った進が、ぷうっと頬を膨らませている。
これはご機嫌とりが大変だと、ゆかりと和樹は苦笑しながら顔を見合せた。
「おとうさん」
真弓がにっこり笑う。
「わたしはまだまだおよめさんにはならないから、あんしんしてね」
「んぐっ、ゴホッ」
突然の発言に驚き、和樹は珍しく喉を詰まらせる。
ゆかりは慌てて湯呑みを渡しながら和樹の背をさすった。
今年の当日は、ひな祭りらしいことは一切せずに過ぎ去りました。
あ、蛤のかわりではありませんが、ボンゴレビアンコを食べました。あさりのスパゲッティ。
ちらし寿司の作り方は、簡略化はしてますが、我が家で作るちらし寿司レシピに近いものです。
他にも紅生姜がのったり、ひじきが入ったり、その日の体調や気分で具材が変わります。
このお話、当初は「雛人形の片付けを遅らせたら真弓も長く家にいてくれるかも」とか考えて実行しようとして叱られる和樹さんにしようかなと思ったのですが、それもちょっとなぁと思いまして。
実行には移さないけど、考えてたことが娘ちゃんにバレてるパターンにしてみました。




