141 イチゴと呼び捨て
そろそろ暖かくなりはじめた季節。ゆかりは和樹と一緒に某ホテルのいちごビュッフェに来ていた。
「和樹さん! 今日はついてきてくれてありがとうございます!」
「いえいえ、いちごビュッフェは女性の憧れでしょうし僕もお供できて嬉しいです」
学生時代の友人に某ホテルのいちごビュッフェ割引券をもらったとき、ゆかりは飛び上がる思いだったがもらった券は二枚。友人のほとんどがもうそこのいちごビュッフェには行ってしまったということで、同行者に悩んでいたが、和樹に相談したら「僕じゃダメですか?」と言われ、そのままオフに一緒に行く流れとなった。
「なんだかこのいちごビュッフェ、猫モチーフの置物が多いですね?」
「そうなんです! 今回のここのいちごビュッフェのテーマが猫といちごでね。うふふふ」
思わず事前に仕入れていたいちごビュッフェのテーマについて和樹に語ってしまう。普段は和樹にいろいろなことに関する知識を教えてもらうことが多いので、まるで気分は先生だ。ゆかりが語っている間、和樹はニコニコとそれに聞き入っていた。
お待たせしました、という店員さんの案内で店内に案内してもらう。外装もすごかったが、中はもっと猫といちごだらけだ。
「あ! あの猫の表情可愛~い! あ! あのいちご料理なんだろう? 絶対チェックしなくちゃ!」
「ゆかりさん、気持ちが高まるのはわかりますが、まずはテーブルについて荷物を置きましょうね」
二人は窓際のテーブルに案内されると、荷物をラックに入れ座った。周りには女子グループやカップルが多かったが、ご年配の老夫婦なんかもいた。
「さて、先に料理を取りに行ってきてくれていいですよ、ゆかりさん。写真も撮るんでしょう? 僕は荷物を見てるんで」
「ありがとうございます! お言葉に甘えて行ってきます!」
ゆかりは荷物と上着を和樹に任せ、カメラをさげて料理を取りにお店の中心へと向かった。
今回のテーマは猫といちごに加えてパリモチーフも入っている。ビュッフェはどこを切り取ってもフォトジェニックだった。思わずたくさんシャッターを切る。
ある程度満足したところで、料理を取りに移る。苺のロールケーキや苺のガトーショコラ、マカロン、カップケーキやタルトなんかもある。ゆかりは目に入ったものを器用に1つずつお皿に盛り付けていった。店員さんオススメの形の良いいちごを先に試食させてもらったりもした。苺料理の他にもバゲットサンドイッチや魚介たっぷりのブイヤベース、茸とベーコンのキッシュなどの軽食もあったので、そちらは後で和樹に教えてあげようとチェックする。
一通り見回ってお皿がいっぱいになったところでゆかりは席に戻ろうと元来たところへ戻った。もうすぐ和樹のいるテーブルにつく、というところでそこに先客がいることに気づく。座ってスマホを片手にゆかりを待っていたであろう和樹は三人組の女性客に囲まれていた。
「お兄さんかっこいい! ホストとかですか?」
「よかったら私たちと一緒の席でいちごを楽しみません?」
「……生憎ですが連れと一緒に来ているので」
「そんなこと言わずに! きっとうちらと一緒にお喋りしたほうが楽しいですよ~」
いわゆる逆ナンというやつだ。和樹はかわし慣れていると以前言っていたが、どうも三人組の押しが強すぎて手こずっているようだった。ゆかりはというと料理の乗ったトレイを持ったままテーブルに戻れずにおろおろしていた。とてもかわいらしい格好、見た目をした三人組だった。
普段から自己評価があまり高くないゆかりは完全に萎縮していた。そんな中、戻ってきたゆかりに気付いた和樹が声をあげた。
「ゆかり!」
その声に驚いた三人組が一斉に、声の向けられた方向にいたゆかりを見る。
「……彼女が戻って来ましたのですみませんがお引き取りください。ゆかり、戻っておいで。ここは君の席だ」
和樹の少し苛立っているような、有無を言わさせない声に驚いたゆかりだったが、すぐに固まっていた足を動かして、三人組に会釈をした後自分の席に戻った。
三人組は「ちぇ、つまんないの~」と言いながら、もう和樹に対する興味を失ったのか去っていった。
ゆかりはテーブルにトレイを置くとはぁと息をついた。
「すみません、ゆかりさん。彼女たちなかなか諦めてくれなくて。あなたのことを利用する形になってしまって……」
そう言って困った笑顔で笑う和樹はゆかりの知っているいつもの和樹だった。そのギャップに驚いてしまってゆかりは思わず和樹のことをマジマジと見つめてしまう。
「どうしました? 僕のこと見つめて」
「いや、同一人物なんだよな~と思って……」
「ああ、さっきの」
「突然“ゆかり”って呼び捨てにするから、すごくドキドキしちゃいました……」
そう言って顔を赤らめるゆかりを見た和樹はニヤリと微笑む。
「……呼び捨ての方がいいですか?」
「いえ! 心臓いくつあっても足りないので今まで通り“ゆかりさん”でよろしくお願いします!」
「そうですか……まぁ僕も“ゆかりさん”って呼ぶのがすごく好きなので。でも良いことを知りました……呼び捨てにドキドキしてくれるのか……なるほど……」
「……和樹さん?」
「いえ、何でもありません。僕も料理を取ってきますね」
和樹は立ち上がるとお店の中心に向かった……と思ったらゆかりの元に戻ってきた。
「ゆかりさんがナンパされてしまったら堪らないので虫除けさせていただきます……失礼」
「え?」
気づいたら顎に手をかけられキスされていた。しかも長い。窓際の席だから外の視線は痛いほど刺さるし、先ほどあげた和樹の大きな声でこちらの様子を伺っていた店内のお客や店員たちの視線も二人に集まっているのがわかった。
ゆかりは慌てて和樹の肩を叩き、ようやく唇を離してもらう。
「か、和樹さん!?」
「……いちごの味がした。試食でもしましたか?」
「しましたけど……じゃなくて!」
あまりの状況にあわあわ二の句が告げないでいるゆかりを他所に和樹は悪戯っぽく言う。
「これで誰もあなたに手出しはしないでしょう? あなたは僕だけのいちごでいてください」
そうして今度こそ和樹は料理を取りに店の中心へと向かったのだった。
座席にぽつんと一人残されたゆかりは、視線をどこに持っていけばいいのかわからずに赤面しながら俯く。
(和樹さん~なんでこんな恥ずかしいことをさらっと~!)
彼に伝えたかったオススメメニューのことなんてとうに忘れてしまっていたゆかりは、しばらくそのまま座席で動けずに悶絶するのだった。
イチゴビュッフェ、新春明けから四月半ばまでやってるところが多いですよね。
和樹さんなら女子だらけの場所でも当然ついていきます。
喫茶店の新メニューに反映されるのか、それともデートでふるまわれるのか。どちらにしても和樹さんにとってはご機嫌になる結果しかありません。




