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1-1 聞こえなくても(前編)

 カランカラン。

「ゆかりお姉ちゃん、こんにちは」

「あら飛鳥(あすか)ちゃん、いらっしゃい」

 元気よく入ってきた従姉妹の飛鳥ちゃんは、中学3年生。

 たまにお友達を連れておしゃべりしながら宿題をしている。


「今日のお友達は新顔さんね」

「そ。この前転校してきた、クラスメイトの佳苗(かなえ)ちゃんだよ」

 佳苗ちゃんの背中を押し出すように紹介すると、佳苗ちゃんは少し慌てたように両手をアワアワさせて、それから恥ずかしそうにペコリと頭を下げた。

 私もにこりと笑って会釈する。

「さ、お好きなお席へどうぞ」


 ふたりの座るテーブル席に水を置く。

「ご注文は?」

「私は、ブレンドコーヒーとバナナマフィン。私、すっかりおじさ……じゃなかった、マスターのコーヒーの虜なの。佳苗ちゃんはどうする?」

 はにかみながら壁にかかるメニューの甘酒を指さす。

「あはは。普通の喫茶店には置いてないし、気になるよね」

 へらりと笑ってコクコクと頷くさまは、小動物みたいで、なんか可愛い。

「甘酒ね。承りました。付け合わせはしば漬けでいいかしら?」

 微笑んでひとつ大きく頷く彼女に、にこりと笑い返す。


 注文の品が届いてからのふたりは、雑誌やお互いのスマホを覗き込みながら楽しそうにおしゃべりしていた。

 楽しそうではあるが、ひたすら飛鳥ちゃんがしゃべって佳苗ちゃんが聞き役に徹しているのが少し気になる。

 飛鳥ちゃん、人の話が聞けない子とかじゃないはずなんだけど……。


 佳苗ちゃんが席を立ったタイミングで、こそりと飛鳥ちゃんに聞いてみる。 

「飛鳥ちゃん。佳苗ちゃん、ここに来てから全然声出さないけど、もしかして風邪でもひいてるの?」

「違うよ~? 佳苗ちゃんは元々耳が悪いの。頑張っても言葉が聞き取りにくいのがコンプレックスだからって、しゃべりたがらないの」

「あら、そうなんだ」

 飛鳥ちゃんがあっさりとネタバラシするようにあっけらかんと、でも他の席には聞こえないようにヒソヒソとしゃべる。


 佳苗ちゃんが戻ってくる前にホール業務に戻る。

 ここの喫茶店、佳苗ちゃんに使いにくいところはないのかしら。

 そんなことを考えながら、たまにチラリと目線を向けてしまう。

 今日のシフトは夕方までだったので、父さん……じゃなくてマスターに後を任せて帰宅した。



 ◇ ◇ ◇



 家に着くと、煮込んだトマトの香りがした。キッチンをのぞけば予想通りの背中が、パッとこちらに振り向く。

「おかえり、ゆかりさん」

「和樹さん、ただいま! 今日は早かったんですね」

「うん。取引先から直帰だったから」

 珍しく私より早く帰ってきていた旦那様。

「お仕事終わりにメッセージ見たら『晩ごはんは僕が用意するからまっすぐ帰ってきてね』なんて入ってるから、びっくりしちゃいましたよ」

「たまには奥さん孝行しないとね。お風呂わいてるよ。僕はもう入ったし、ゆかりさんものんびり浸かってきて」

「はぁい。じゃ、お言葉に甘えて」


「ふわぁ」

 手早く身体を洗って湯船に浸かり、立ち仕事でパンパンになった足にはむくみケアマッサージ。

 しっかりと温まってお風呂からあがると、ソファーに座った和樹さんがポンポンと自分の太腿を叩いていい笑顔を見せる。手にはドライヤー。どうやら私の髪を乾かしてくれるつもりらしい。

「もう、ドライヤーくらい自分でできるのに~?」

「知ってますけど、今日は僕にさせて。ゆかりさんを甘やかすのは僕の趣味なんですから、楽しみを取らないでください。ね?」

 お互いにくすくすと笑いながら言葉を交わす、いつものコミュニケーションにほっとする。

 大好きなひとが私の夫で、まっすぐに愛情を向けて大事にしてくれる。やはり私はとびきり幸せだ。

「じゃ、お願いしまぁす」

 ぽすんと和樹さんの前に座った私は、彼に背中を預けて念入りなスキンケアを始めた。


 ああは言ったけど、実は和樹さんにドライヤーで乾かしてもらうのは好きだ。

 熱くなりすぎないようにと丁寧に温風をあててくれて、さらさらと通る彼の指の感触が心地良い。

 最後に冷風をあてて締めるところも柘植の櫛でことさら丁寧にすいてくれるところも、気遣いが嬉しい。

 自分の髪にはぞんざいなタオルドライか夏場の扇風機くらいしかしないのに、私のために覚えてくれたのかなと思うと、胸の奥がポッとする。

「ありがとう和樹さん」

「どういたしまして」

 髪を乾かしてもらって、お互いにほんわか気分の笑顔を向けあう。


「あの~」

 リビングの入り口からひょこりと顔を出すこどもがふたり。

「いちゃらぶ空間をぶち壊してごめんなさい。そろそろお夕飯食べたい」

「あーお腹すいた! 父さんは相変わらず母さんのこと好きすぎるよね」

「うわっ! 真弓ちゃんも進くんもごめんなさい! こんな空気じゃ部屋に入りにくかったよね?」

 慌てて和樹さんの足の間から抜け出すと、和樹さんがちょっとムッとしてしまった。

「和樹さん、久しぶりに家族全員揃ってのおうちごはんですね。和樹さんのごはん楽しみです。さ、急いで準備しましょ」

 にっこり笑顔を向けると、仕方ないなと苦笑する顔で私を見た和樹さんはそのまま子供たちに優しい目を向ける。

「今日のメニューは君らの好物、ごろごろミートボールのトマトシチューだぞ」

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