138-3 if~自覚のあるゆかりさんが告白を決意してみた~(後編)
黙ったままのゆかりに、少しだけ苛立ちを滲ませた和樹が問いかける。
「僕にくれたのは、そのおこぼれですか?」
「そっ、そんなつもりじゃ……!」
「じゃあ、誰にあげるつもりだったんです? こんなふうに、それと分からないように溶かし込んでしまったものではなく。綺麗にラッピングされたチョコレートを」
「そ、れは……」
自分のチョコレートの行く末など、知ってどうするというのだろう。あなたにあげようとしていたのだと素直に伝えて、拒絶されればいいのだろうか。受け取ってくれるつもりなんかないくせに。あの頃も、今も、彼は時々無自覚にひどく苦い思いをさせてくる。こっちの気持ちなど、お構いなしに。
エプロンを両手で握り締めると、ゆかりは思わずカッとなって声を荒げた。
「……っ、関係ないじゃないですか! ほっといてください! いいんです、こんなチョコ。どうせ受け取ってなんか貰えない……んだから……っ」
様々な感情が入り交じり、気付けばゆかりはボロボロと涙を流していた。
最悪だ。こんなの、ただの八つ当たりだ。気持ちを受け取ってもらえないからと臆病になって、勇気も出せない自分を棚に上げて。これではただ癇癪を起した子供と変わらない。いきなり泣かれたりして、和樹だってきっと困っているに違いない。
涙を手のひらで拭い、何とか気持ちを落ち着かせて、ゆかりが謝ろうと口を開くより先に。
「……関係ない、ですか。……そうですね、確かにそのとおりだ」
「え?」
「誰であろうと関係ない。そいつが、ゆかりさんのチョコを受け取ることは、もうあり得ませんから」
「何を……」
いつのまにか、ゆかりの手首を和樹の手が掴んでいる。和樹はゆかりをしっかりと掴んで離さないまま、顔を寄せた。ほど近い距離で、怖いくらい真剣な瞳を、真っ直ぐと彼女に向けて。
「僕にしませんか」
そう宣言した。何を言われたのかすぐには分からず、ゆかりは目をぱちくりとさせる。
「へ……?」
「そんな風にあなたを泣かせる男なんかより、僕の方がずっと優良物件ですよ。保証します」
「え、あの、それは」
「僕にしてください。何も問題ありませんよね?」
理解が追い付かない。だって、それではまるで、ゆかりの都合の良いように受け取れてしまう。……絶対にあり得ないと、望むことさえしなかった未来。それが、目の前に転がり落ちてきている。
「……僕に、ください。あなたが作ったチョコレートも、あなた自身も。ひとつ残らず」
例えほんのひとかけらでも、他の男にくれてやるつもりはない。
和樹はゆかりの手を取る指に力を込めた。
◇ ◇ ◇
和樹が今日喫茶いしかわに来たのは、偶然でもなんでもない。
仕事を急ピッチで片付けて、何とか閉店後に滑り込んだのだ。他でもない、彼女を妨害するために。
先日たまたま職場の近くで会った徹平から、「そういえばゆかりさん、手作りチョコの材料を買っていたみたいですよ」という報告を受けた時、和樹の決断は早かった。元より、『喫茶いしかわの常連』という間柄で終わるつもりはない。ただ、なかなかゆっくりとした時間が取れないこともあり、先延ばしになっていたのだ。
だが、そんな悠長なことをしている間に、横から掻っ攫われるなど冗談ではない。あってはならないことだ。
先日会った時、ゆかりからバレンタインの日の予定について、探りを入れられた覚えはない。ということは、自分ではなく他の誰かに手作りのチョコレートを贈る可能性が濃厚だ。
和樹の脳裏に、以前のバレンタインの苦い思い出が思い起こされる。
あの日、自分は無条件にもらえると思い込んでいた。けれど、店でも、自宅まで送り届ける道中でも、ついぞもらえなかった甘いお菓子。もちろん、愛の告白を期待していたわけではないし、ぎこちない関係になるのも困ると思っていた。
それでも、もらえないと分かった時、想像以上に落胆している自分がいることに気付いた。きっとあの朗らかな笑顔で、「和樹さん、これチョコレートです。もちろん義理ですよ! 炎上禁止!」とかいいながら差し出してくれると思っていたのに。
結局、どう取り繕っても、自分は期待していたのだろう。ゆかりからのチョコレートを。
でも今は、望んでも強請ることなどできなかったあの頃とは違う。これは雪辱戦だ。今度は我慢などしない。欲しいものは欲しいと、欲張ってやる。
そう意気込んだものの、仕事は待ってはくれず、結局喫茶いしかわに来られたのは営業時間が過ぎてからだった。逸る気持ちを抑えて近くの駐車場から喫茶いしかわまで駆けていく。店から明かりが零れているのに気付いた時、自分がどれほどほっとしたかなんて、彼女は知らないだろう。ガラス越しに覗いた店内で、彼女が一人チョコレートを頬張っているのを見て、息を詰めたことも。
やはり、彼女は誰かに贈るチョコレートを作っていた。でも、なぜそれを一人で食べているのだろう。……ひょっとして、渡せなかったのだろうか。
彼女の愛情が込められたチョコを受け取れる、名も知らぬ相手への嫉妬と、ほの暗い期待。まだ、渡されていないのならば、チャンスはこちらにもある。
和樹は扉を押す手に力を込める。ドアベルが、戦いのゴングのように高らかに鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
「……本当に、良いんですか? 返品不可ですよ?」
おずおずと、ゆかりがそっと和樹を伺いながら、そんなことを言う。それは、チョコレートのことだろうか。それとも、ゆかりさん自身? どちらでも構わない。むしろ、どちらも。
――あぁ、なんて甘さだ。早く、食べてしまいたい。
そんな衝動を抑え込んで、和樹はさらに顔を近づけていく。あとほんの数センチで、唇と唇がくっついてしまいそうな距離まで。
「喜んで。ゆかりさんこそ、覚悟してくださいね。僕、結構面倒な男なので」
「そう、なんですか?」
「ええ、凄く。これは、最近自分でも自覚したんですが、独占欲は強いし、嫉妬深い。関係ないなんて言ったけど、本当はあなたがチョコを誰に贈ろうとしていたのか、気になって仕方がない」
そう、まずは誰にチョコを贈ろうとしていたのか、その謎を解き明かさなくては。速やかに相手を特定し、その人物への接近禁止令を出さなければならない。
でも、その前に。目の前にある桜色の小さな唇に口付けたくて堪らない。二人にとって初めてのキスは、とびきり優しく、甘くしよう。和樹がそう思った矢先に。
「……和樹さんですよ。あなたのために、心を込めて作ったんです」
頬を染めた彼女が、そんなことを言うものだから。
思わず箍が外れた男が優しさをすっ飛ばして、とびきり濃厚な口付けを仕掛けたのは、無理もないことだった。想像以上の強烈な甘さに、キャパオーバーしたゆかりが窒息しかけたのも。
そうしたすったもんだの後で、無事にゆかりの手作りチョコレートは和樹の胃袋にすべて納められることになった。
二人分のコーヒーの香りが漂う中、前回の苦いバレンタインのわだかまりも解けて、後に残ったのは恋人同士の甘い時間。きっとコーヒーの苦さがなければ、胸やけを起こしてしまうほどに。
甘くて、苦い。そしてまた、とびきり甘い。
えーと、まずはタイトル詐欺となりましたことをお詫びいたします。
ゆかりさん、いっこも告白決意してへんやん!(笑)
和樹さんは和樹さんで頭と勘の良さを無駄遣いしてるし。
どちらかと言えば「すっぱり諦めるつもりの恋心が、女心にポンコツな相手に追い詰められてあっさり暴かれた件」な気はするけど、ネタバレしすぎるので、タイトルはこのままで(笑)




