132 お急ぎ配送お断り!
これは、R15かな? いつもより長めです。
仕事ができて人当たりも良い、頭の回転率や運動神経も申し分なし。おまけに顔も良い。悔しいことにいくら探しても欠点らしい欠点が出てこないこの人と“お付き合い”を始めて、わかったことがある。
「……ゆかりさん」
「なんですか? 和樹さん」
「……僕、これ、あんまり好きじゃないです」
和樹が不満げにジト目で見つめる先には、ゆかりの黒いキャミソール。
深夜、山積みだった仕事を片付け、ゆかりの家にアポなしで転がりこんできた和樹は、チャイムに間延びした返事を返した彼女がドアを開けるタイミングとほぼ同時に、その体を玄関にねじ込んだ。
風呂上がりで寝る準備も済ませ、あとはベッドに潜り込めば今日も一日良い日だった。パリッと糊のきいたシーツの海に身を沈め、ふわふわした甘い夢を見よう。そう思っていたゆかりのシンデレラタイムは、グレーのスーツを身に纏った“あの人”に見事に打ち砕かれた。
「……好きじゃないって言うわりには、がっしり鷲掴みしてますよね」
「ちがう、僕が言いたいのはそうじゃない!」
今度はゆかりが和樹をジト目で見返す。
突然深夜にアポなしで人の家に上がり込んで、買ったばかりの女子に人気のブランドのもこもこルームウェアを早急な手つきで脱がしてキャミソール越しに胸を掴んでいる男の何が違うというんだ。
ベッドの上で、ゆかりは頭が痛くなった。
「じゃあ何が好きじゃないんですか? ルームウェア?」
このブランドのルームウェア、可愛いし着心地がいいんですよ。と、ゆかりがブランドの名前を言ったが、和樹には「おいしそうな名前のブランドだな」くらいの感想しかなかった。
「和樹さん、もこもこが嫌い?」
「むしろ好きです」
食いついたな。食い気味できたな。
「あ、ズボンの丈が短すぎですか? でも大丈夫ですよ。ルームウェアですし、これ着たまま外出はしませんよ? ……するとしてもコンビニ行くくらいです」
「太ももがいい感じにエロく見えるベストな丈ですごく好きです。正直、そそられます。ただ、その格好でコンビニに行くのは禁止です」
本当に正直だ。
己の欲求と、ついでに要望までストレートにゆかりにぶつける和樹の目は座っていた。しかしそんなことを自己申告されても、ゆかりにはどうすることもできない。知らない。和樹の好みの丈なんて知ったこっちゃない。
「和樹さん……さては疲れてますね」
「疲れてないです」
ゆかりの左胸を包む和樹の右手が動く。小さな子どもが、眠るときにお気に入りのタオルケットを触るようなたどたどしい指先で、ゆかりの左胸をふにふにと柔く触っていた。
「……眠そうですよ?」
「眠くないです」
睡魔に手を引かれる幼い子どもの行動と同じだが、和樹は頑なに認めない。
「お仕事中に休憩は? ちゃんと寝てました?」
「仮眠はとってました」
「仮眠ばかりじゃ疲れはとれません。ほら、今日はもう一緒に寝ましょう?」
「疲れてません」一点張りの和樹のネクタイをゆかりがしゅるりと解き、部屋に上がり込んだ時に和樹が自分で脱ぎ散らかしたジャケットの上に投げた。ベッドの下には、ジャケットとネクタイ。和樹の抜け殻が作成されようとしていた。
「はい、靴下も脱ぎましょうね」
幼子に言い聞かすように優しく声をかけ、ゆかりは和樹の靴下を脱がせる。
ゆかりの胸を揉む手は緩く動いたままだが、意外にも和樹はゆかりにされるがまま靴下を脱がされた。
(……かたつむりみたい)
抜け殻の上にコロリと放り投げた和樹の靴下と目が合った。動くはずのない丸まった靴下が、ベッドのゆかりと和樹をじっと見つめている。丸いフォルムの靴下は、今にもゆっくりと動き出しそうだ。目が合った気がして、ゆかりは少しどきりとした。
「ほら、次はワイシャツですよ」
「ゆかりさん脱がして」
「こんな大きな子ども、産んだ覚えはないんですけどねー」
欠点らしい欠点が出てこないこの人とお付き合いを始めて“分かったこと”。
和樹は疲れている時に甘えてくる。
意識的なのかそれとも無意識なのか、どちらかゆかりには判断できなかったが、普段仕事で気を張り続けているであろう彼が、自分だけに見せる“顔”があるということに、ゆかりも悪い気はしなかった。甘やかせる時には、とことん彼を甘やかしてあげよう。小さな子どもみたいで可愛いし。二人きりの時にしか見せてくれない和樹の“顔”に、ゆかりはほんの少し誇らしさを感じた。
「ゆかりさんのキャミソールは僕が脱がせます」
「脱がさなくて結構です。今から一緒に寝るんですよ」
ボタンをひとつずつ外し、和樹の腕からワイシャツを抜き取る。服の上からは分かりにくい、よく鍛えられた和樹の体が視界に映った。
「……僕、だいたいこれ、あんまり好きじゃないんです」
「?」
「ゆかりさん、ばんざーい」
人間、不思議なもので「バンザイ」と声をかけられると反射的に両手を上げてしまう。はるか昔の子供時代、幼児の頃から着替えのたびに親や保育園の先生から「ばんざーい」と魔法の呪文を唱えられた成果だ。大人になった今でも、呪いのようにDNAに組み込まれている。
「……和樹さん……いきなり何するんですか……」
開けゴマよろしく、“魔法の呪文”を唱えられ反射的に両手を上げたゆかりのキャミソールを、和樹が「待ってました」とばかりに脱がせた。黒いキャミソールが所在なさげにベッド下に落ち、ゆかりの胸は和樹に晒された。
「わぁー。ゆかりさんのおっぱいー」
普段ならぜったいに聞くことのできない間抜けなトーンで呟いた和樹は、ゆかりの胸を嬉しそうに見つめ、眠気で覚束なかった指先は次第に大胆に動き始めた。柔らかな膨らみの感触を楽しんでいる。
すでにもこもこルームウェアを脱がされていたゆかりは、キャミソールまで和樹の手で取り払われ、ショーツのみの心許ない格好で和樹にされるがままだ。
「もうどこから怒ったらいいのか追いつかなくなってきました」
盛大にため息を吐いたゆかりに構うことなく、和樹はゆかりの体を優しく抱きしめた。
互いに何も身に纏っていない上半身が触れ合い、体温がじんわり移っていく。自分の背中に回された腕を習い、ゆかりも観念して和樹の背中に触れた。
「久しぶりのゆかりさんで落ち着く」
「お仕事忙しかったですもんね。お疲れさまです」
「ゆかりさんの匂いがする」
「あーもう和樹さん、思いっきり匂い嗅がないでください」
抱きしめられたままで、その表情は伺えないが、和樹が息を大きく吸い込むたびに、髪がゆかりの首元で揺れた。
「大型犬みたいだ」と心の中でひとり納得しながら、ゆかりは和樹の頭を撫でた。
「僕、いやなんです」
「?」
和樹はぴったり密着していた体をわずかに離し、さっき放り投げたゆかりのキャミソールを指差した。
「え? ブラトップ……?」
「これ、あんまり好きじゃない」
「一枚でラク」「美胸キープ」を謳い文句にしたカップ付きインナーは、薄着になる夏場に活躍し、ゆかりも着る機会が多かった。
「ワイヤー入ってないから締め付けないし、着心地よくて楽なんですよ。胸のシルエットもけっこうきれいに見えるし」
「……それは何となく分かるんですけどね」
「?」
「ブラのホック外したい」
「え?」
聞き間違いだ。きっとそうだ。
どうでもいい願望をさらりと言い放った気がするけど、ぜったい気のせいだ。疲労のためか、目の下にうっすらクマを作っている恋人の視線はまっすぐ自分に向いていたが、ゆかりは「気のせい」で片付けることにした。
「ブラのホック外したい……プチってしたい〜〜〜」
ゆかりからリアクションがなかったことも手伝って、和樹は盛大に駄々を捏ね始めた。大きな三才児だ。いや、三才児はこんな理由で駄々は捏ねない。
「ブラトップ楽なんです」
「せめてベッドを共にする時は、普通のエロい下着にしていただけないでしょうか? ブラのホック外すの、わりと楽しみにしてるんで」
「“普通のエロい下着”ってなんですか……もはやそれ、ただの“エロい下着”ですよね? だいたい、深夜に訪ねてきて、いきなり身ぐるみ剥がした挙げ句、いったい何を言ってるんですか、和樹さん……」
「……ぐうの音も出ない」
正論を返されうなだれた和樹は、ゆかりの右肩に額をぐりぐりと擦り付けた。
“大きな子ども”を見兼ねたゆかりが声をかける。
「チェストに下着が入ってるんで、好きなだけホック外していいですよ」
「ちがう! そうじゃない! ゆかりさんが着けてないと意味がないんです!」
「なんなら和樹さんの好きなブラ、ベッドに持ち込んでいいですからもう寝ましょう? 横になって、ホック外して留めてを繰り返してたら、そのうち飽きて眠くなりますよ」
「うわぁ、虚しすぎる……何の拷問ですか……」
羊の数を数える代替案としては随分斜め上をいっている。爆走だ。悪魔のような提案だ。
「悶々として逆に目が冴えてきますよ……」
和樹が悲痛な表情で呟いた。
「僕としては、ブラトップよりベビードールとか着てほしいです」
また話が和樹さんのペースだな、とゆかりは呆れながら、床に散らかるスーツのポケットからスマートフォンを取り出す和樹の背を眺めていた。和樹の気がスマホにとられているうちに、ゆかりはシーツをたぐり寄せ、露わになっていた胸元を隠した。
「こういうの着てほしいです」
スマホをサクサク操作して表示させた画面には、かわいいからセクシーまで取り揃えたランジェリーブランドの通販ページ。モデルのきれいなおねえさんが着用しているそれを見て、ゆかりの思考は一瞬停止した。
「……これ、ほとんど下着の意味果たしてませんよ?」
「この透け感がいいんです」
「透け感というか胸のとこまでシースルー……! 丸見えじゃないですか……!」
「大丈夫です。僕しか見ないんで」
上品な光沢のある生地をベースに、胸元に繊細なレースの装飾が施されたライトブルーのベビードールは、全体的に生地が薄い。
和樹は何に対して「大丈夫」と自信を持って言っているのだ。仮にこの、心許ないベビードールを、勇気を振り絞って着用したとしてどうなるかは、ゆかりには結果が見えている。和樹の「大丈夫」は、ゆかりにとって大丈夫ではない。
「……これ、かわいいけど、なんかちょっとえっちですね……」
頬が少し赤くなったゆかりを横目に、和樹が買い物カゴに放り込む。ポチッと親指が動いた瞬間を、ゆかりは見逃さなかった。
「あー! 和樹さん、さっきのベビードール買っちゃいましたね?」
「だってゆかりさんも『かわいい』って言ってましたし」
「〜〜っ、『かわいい』は言ったけど、『着る』とは言ってませんからね!」
ぷりぷり怒るゆかりを宥めすかしながら和樹が問う。
「ゆかりさんはどんなのが好きなんですか?」
「え? 私ですか?」
和樹から手渡されたスマートフォンを眺めながら、ゆかりはしばし下着を吟味する。
あれでもない、これでもない。あれもかわいい、これも好きかも。
先ほどまでの不機嫌はどこへやら。
楽しそうに下着を選ぶゆかりの目はキラキラしている。
「あ、私これ好きです!」
ゆかりと一緒に、和樹もスマホの画面を覗き込む。
「このシリーズ好きなんです。可愛いし、着け心地も良くて、何よりナチュラルに“盛れる”んです!」
「ナチュラルに盛れる……」
「そこは復唱しなくていいです」
どうでもいいところだけ耳に入っている和樹をピシャリと一蹴したゆかりが選んだ下着は、若い女性から人気のシリーズだった。シーズンごとに機能・デザイン共に改良され、お値段もリーズナブルで、ゆかりも気に入っているものだ。小花柄をあしらった上品なレース装飾と、いやらしさがないカラーバリエーションが可愛い。
和樹曰く、「しあわせそうな商品名」のブラは、ゆかりのニーズと合っていた。
「ゆかりさん、どの色が好きですか?」
「では、大人っぽく黒で」
とゆかりが答えた。
(黒もいいけど、白やピンクも似合いそう。やっぱり青もいいな)
和樹は買い物カゴに選んだ商品を次々と放り込んでいく。ゆかりには内緒で。
「ホック外すの楽しみだなー。ベビードールも楽しみですねー」
「ベビードールの件は一旦保留にしますが、普通の下着はありがとうございました」
徐々に和樹のペースに乗せられてきたゆかりは、とりあえず下着については礼を述べた。
「一旦保留ということは、着てくれる可能性は大いに有り、ってことですか?」
「……えっちな気分になったら」
「がんばります」
「が、がんばらなくていいです……」
彼は何をがんばるつもりだろう。商品が届く日が少しこわい。
「ゆかりさん、今日は“えっちな気分”じゃないんですか?」
「あいにく、目の前の“大きな子ども”をどうやって寝かしつけようかと考えているので」
会計を終えたスマホを枕元に放り投げた和樹は、「眠くないです」と、ゆかりの胸元を隠すシーツを落とし、再び彼女を抱きしめた。
「ゆかりさんのおっぱい……やわらかい……」
力なくふにふにと胸の感触を味わう和樹を見て、「これは途中で寝落ちるな」とゆかりは直感的に悟った。今回はどれくらいの間、充分な睡眠がとれなかったのだろう。大事な仕事のためとはいえ、ゆかりは少し心配になった。
「はいはい。ゆかりさんのおっぱいは今日はもうおしまいですよ」
「いやです、ゆかりさんと仲良くしたいです」
頭を「いやいや」と横に振る駄々っ子を抱きしめ返し、ゆかりは一緒にベッドに転がった。
よほど疲れているのだろう。和樹の“甘え方”を見て状況を理解したゆかりは、なおさら寝かしつけに精を出した。幼子に言い聞かすよう、言葉を噛み砕きながら和樹を説得をする。
「ほら、ゆかりさんのおっぱいさわってていいですから、今日はもう寝ましょうね」
ベッド下に放り投げられた可哀想なブラトップを着なおしたかったが、今は和樹を寝かしつけるほうが先だ。胸を好きにさわらせたまま、ゆかりは和樹の背中をトントンと一定のリズムで叩く。
和樹の「眠くないです」の声は、少しずつボリュームを下げ、途切れ途切れに紡がれる。ゆかりの胸をふにふにと堪能していた手は、力なくパタリと落ちた。
(寝た!)
和樹のまぶたは閉じられ、胸は深く動いている。規則正しい呼吸音が心地よい。
(かわいい……和樹さんが可愛い……!)
普段しっかりして頼れる分、このギャップはゆかりにとって嬉しいものだった。頼られている。安心されている……気がする。
職場では日夜活躍している和樹が、プライベートでは年下の恋人にベタ惚れなど誰が思うものか。和樹の部下が知ったら卒倒してしまう。
「和樹さん、お疲れさまでした」
和樹を起こさぬよう、ゆかりが小さな声で労いの言葉をかける。もちろん、和樹から返事はない。返ってくるのは規則正しい寝息ばかり。
和樹の寝顔を拝める機会は滅多にない。ゆかりは「まつげ、長いんだなぁ」と呑気な感想と、わずかな悔しさを覚えた。
「また今度、“仲良く”しましょうね」
和樹の髪を優しく撫でながら、ゆかりも眠りの国へ手を引かれた。
数時間後、久しぶりにぐっすり熟睡して心身ともに全快の和樹と、お急ぎ便で配送された“えっちなベビードール”が到着してしまうことになるとは知らず、石川ゆかりはまだ穏やかな甘い夢を漂っていた。
2月12日はブラジャーの日ということで、和樹さんのブラジャーへのこだわりを(苦笑)
6千字越えたので、分けようかなとも思いましたが、勢いでオチまで辿り着くほうがいいかなと思ったので、おまとめで載せました。




